世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

聖なる峰の被葬者は誰なのか?(9)

2019-03-09 07:53:01 | 北タイ陶磁

<続き>

雲南や北タイの少数民族の葬送について、現在までに分かった範囲で、その様子を紹介したい。

〇アカ族(哈尼族)

アカ族を雲南ではハニ族と云うが、その先民は古代の和夷。和夷は古羌人が分かれたもので、4世紀から8世紀にかけて雲南省西南部へ移動した。羌の源流は三苗(三苗の主要域は長江流域の洞庭湖と鄱陽湖の間)と云われている。

アカ族の葬儀は1週間に渡って執り行われる。その棺桶は一本の白木の大木を刳り抜いた舟形の木棺である。棺ができると遺体を納め男部屋に安置される。ピュマもしくはボェモと云う仏教であれば僧侶にあたる役職者が棺の前に座り、お経のような節回しの儀礼の言葉を暗唱する。埋葬の日、ピュマやボェモが水牛を生贄にする儀礼を行なう。集落の奥が埋葬地であるが、北タイでは山の尾根に集落を営むものの標高1000mまでである。尚、事故死等の非業の死の場合も土葬なのかどうか?・・・調べているが、そのことについて記述した資料に巡り合っていない。

以上を要約すると正常死の場合は、木棺に土葬で、墓地は集落の奥であるが、そこは標高1000m前後である。

〇ヤオ族(瑶族)

ヤオ族は武陵蛮・五渓蛮と称された古代湖南の山地住民の子孫で、湖南省から雲南や東南アジアに分布し、盤古神を信仰する。ヤオ族の葬儀は通常3~5日で、他の民族に比較し葬儀期間は短い。そして土葬と火葬が存在すると云う。一般的には火葬後、骨のみを埋葬して墓を作る。棺桶に遺体を納め、火葬場所に到着すると、棺に対して後ろ向きで4箇所に点火し、火が付いたら全員その場を去る。火葬の半日後、骨を拾い上げ陶製の壺に入れる。骨壺の埋納は翌日に墓地で行われる。

ヤオ族の場合は、火葬と骨壺の墓地への埋葬である。集落は山地であるが標高には、ばらつきがあり500mから1200mと幅がある。

〇ラフ族(垃祜族)

ラフ族の葬儀は2日~1週間と、他の民族に比較しやや短い。ラフ族は古羌人と同じ祖先をもち、青海チベット高原から南下する中で形成された民族である。

ラフ族の伝統では、亡骸は棺桶に入れず、毛布にくるんで家の中の居間に安置される。出棺の時、竹で組まれた簡易な棺(担架のような形状のもの)が組まれ、それに遺体をのせて籤でくくりつける。墓地は集落から数キロ離れた小高い丘の上に在る。墓地に参列者が全員到着すると、まず埋葬地の選定がなされる。祈祷師が生卵を投げて、そこに死者を埋葬してよいかどうかを占うのである。割れればそこに埋葬してよいが、卵が割れなければ場所を変えて何度でも試みる。埋葬は墓穴を掘り、青竹を割って墓穴の壁に沿って底や側面に敷く。火のついた松明を燻すように竹の敷物にかざして儀礼する。その上に毛布にくるまれた遺体が剥き出しのまま入れられる。参列者はそれぞれ森の中でとってきた葉のついた木の枝を墓穴に投げ入れ、同時に全員がそれぞれ土をひとすくいし、一斉に遺体にかぶせる。その後本格的に土をかぶせる。

参考にした文献には、異常死の場合について言及がないので、それについては分からない。正常死の場合は竹棺に納棺し墓は、竹槨を設け土葬にふす。墓地は集落から離れた小高い丘の上である。

3つの民族について、分かる範囲で事例を掲げた。タノントンチャイ山脈やオムコイ山地の埋葬地の姿と似ている民族もあるが、それらの埋葬地では竹棺や木棺の残滓が出土したとの報に接していない。700-800年を経過し、竹棺や木棺は土に還ったのか?

<続く>