世界の街角

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県立風土記の丘資料館・一支国展(2)

2019-03-14 12:32:06 | 古代と中世

<続き>

〇『周』文字線刻瓦質土器の破片を見て

壱岐のカラカミ遺跡より出土したとある。カラカミ遺跡は、標高80m前後の小高い丘陵上に位置しており、遺跡の麓を流れる刈田院川を西に約2km下ると片苗湾(かたなえわん)に至る。

丘陵頂部には鍛冶集団が存在していたことが発掘調査により判明している。中国大陸や朝鮮半島から様々な鉄製品や素材を入手し、国内各地に鉄製品の供給と加工を行い、東アジア諸国と交易をおこなっていたとのことである。

其の中で『周』と判読できる瓦質土器の破片が出土した。専門家によれば遼東半島からもたらされたと云う。

(出典:一支国再発見 壱岐市発刊)

これを見て思いだした。何年か前に硯の破片が発見されたとのニュースである。現在までに5例あり、4例は福岡県糸島市とその周辺で、1例は松江市・田和山遺跡から出土している。

魏志倭人伝によると、女王国の北に特に一大卒を置き、検察させたとある。さらに往来する郡使が常に駐在する所で、贈答する文書や品物の検査を行っていたであろうことを記している。帯方郡使は当然のこととして、漢字の読み書きを行ったが、魏志倭人伝記載の仕事を行おうとすれば、交易品の品名と量を記録する必要がある。これを帯方郡使やその役人が行っていたとは思えず、伊都国の役人が行っていたと考えるのが自然である。この伊都国の役人は倭人であろう・・・とすれば、弥生時代に役人階級と云おうか知識人は漢字が理解でき、読み書きしていたであろう。

しかし、考古学者は慎重でそのような発言はしないであろう。いいずれ竹簡や木簡が発見されることと思われる。『周』文字線刻土器を見て、以上のようなことを考えた次第である。

<続く>