世界の街角

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聖なる峰の被葬者は誰なのか?(7)

2019-03-07 07:08:04 | 北タイ陶磁

<続き>

更に詳しい説明を聞きたかったが、なにせ時間がない、仮に時間の余裕があったとしても、記録のない記憶だけであり、チェンマイに戻ることにした。その帰り姿をみて、来年の雨季に来いと言う。なぜ雨季かと尋ねると、雨季には農作業がない。従って人々は発掘を始めるとの説明である。しかし雨季は道が赤土でスリップし易く、車はだめで徒歩になり、野宿を含めて3日間の行程だと云う。 ・・・今回のように発掘現場の痕跡ではなく、実際の発掘現場は見たいが、その行程は大変な困難が予測され、研究者でもない者にとっては遠慮したいとの想いが残った。

今回の事例のみで即断はできないが、過去のターク・メーソト周辺の墳墓からの出土品と、今回のオムコイ地区バン・メーテンの墳墓の出土品と、明らかに違いがある。先の墳墓から出土する内容は、埋葬主が比較的豊かであったろうと思われることである。一方バン・メーテンでは、装飾品の出土を見ないとの話しである。埋葬地を含めて、これらのことから想定されるのは、ターク・メーソト周辺の埋葬主は交易で栄え、豊かであったろうことが、バン・メーテンは山中で、ひっそりとした生活であったろうと思われる。その一方でターク・メーソトの埋葬者とバン・メーテンの埋葬者の民族が異なることも考えられる

また、バン・メーテンに暮らした中世の人々、彼らがシーサッチャナーライやサンカンペーン陶磁を入手するほどの原資は何であったろうか。森林由来の産物で、平地に暮らす人々に魅力があるのは、何であろうか。よく喧伝されるのは蘇木などの染料等々が、語られるのが一般的である。そのほかにも何かありはしないか・・・と、山勘であるが考える。

冗長であったが、当該ブロガーの経験を記事にしてみた。墳墓の埋葬者が誰なのか、予想する材料は何も得られなかった。関千里氏は推論ではあるが、被葬者はタイ人であろうと、ほぼ結論付けておられる。果たしてどうか? 次章で各民族の葬送について分かった範囲で紹介したい。

<続く>