世界の街角

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聖なる峰の被葬者は誰なのか?(5)

2019-03-05 07:28:34 | 北タイ陶磁

<続き>

今回発掘場所に案内してくれるM氏の自宅を訪れた。そこで、発掘品が保管してある棚を見ると、写真の口縁が割れたサンカンペーンの壷と、写真のビルマ・錫鉛釉緑彩の小形盤、それにサンカンペーンの無文盤(所謂犬の餌鉢)が二つで、これは近隣で発掘されたものである。

そこでM氏に種々質問した。先ず第一は発掘現場を見たい、それが無理であるなら発掘現場の写真が見たいとの質問である。現在の発掘現場は山道を50km行ったミャンマーとの国境に近いところにあると云う。とても本日中にチェンマイには戻れませんよと・・・。では近くにはないかと重ねて尋ねると、15km先に旧発掘現場があり、3-4年前に発掘したところだという。徒歩かとの質問に対し、そこへは山道を四駆で行けるという。今回、当地訪問の目的は発掘現場を現認することにある。

行かない手はないが、所用時間が気になる。まあ15kmだから、いくら山道とはいえ30分程度であろうと、たかをくくったのが、大間違いであった。早速四駆で、学校の先を右折して山中に分け入った。5分も走ったであろうか、写真のゲートをくぐる。

これはモン(Hmong)族(タイ人は蔑称としてメオ族という、古代から中世にかけタイ中部や北部のハリプンチャイ王国を建国したモン(MON)族とは異なる)の村と外部を区別する結界である。そこから先が最大の難所で雨季にできた車の轍が深く、その轍からはずれると崖下へ転落である。おまけに山の稜線を走るものだから、両側は崖である。50分が経過して目的地に到着した。帰りのこともあるので、短時間で周囲の様子を確認した。

現地は尾根なのだが、比較的広い場所で、写真の左手のように、道からは1m程高くなり、土質は赤土である。そこで確認できたのは、7つの掘削址が直径1m~1.5mほどで、窪地になっている。

さらにその場所を特定する何かがあるとの考えより、注視してみるが、樹木を見る以外、例えば目印の石なり岩等を見ない。また小高く盛り上っている訳でもなく、かつ環濠らしきものもない。目印なしで何故そこが墳墓跡とわかるのかと、M氏に質問する。彼によるとそこは、陶磁器の破片が落ちていた場所で、その散乱具合で目星を着け、掘削するとの回答であった。

この場所はバン・クリアンと呼ぶモン族集落(บ้านเกรียง:Ban Khuriang)の手前1-2kmのところで、村人が足しげく移動する場所であり、かつ牛を放し飼い(放牧ではない、そのような人工の牧草地は存在せず)にしている場所で、村人は何度も訪れており、それらの村人が破片を見つけたと言う。

<続く>