その昔、パセリは食べられなかった・・・というよりも食材としての認識がなく装飾品だと思っていた。洋食屋のサラダやサンドイッチの上にちょこんと乗っている、気持ち悪いほど青々としたアレである。「なんで、あんな誰も食べない飾りをみんな付けるのだろうか?」程度にしか思ってなかった。
だが、実際に食べてみるとこれがまた美味しいのである。最近よく行くようになった職場の近くの洋食屋に、毎日ちょこんと座っているヤツが気になって、ある日パクンと喰らいついてみた。すると、鉄分たっぷりのヤツの身がサクサクっと口中で解体されるや否や「こりゃ美味い」という電気信号がビビッ!!と脳に伝達されたのである。これには驚いた。
幼少の頃「飾り(だと思っていたもの)」を口に含んだアノ日に『苦い!!』と感じてから一度も口にしなかったアレが実は、こんなに美味いものかと思った。そしてそんな自分に「大人になったね」と呟きたくもなった。
思えば、昔は口に含んでもその美味しさのわからなかったものが、大人になって食してみると意外に美味しかったり、それだけでなく「素材の旨味」に舌鼓を打つのが楽しみになったりするのが、なんか今でも不思議な感じがする。
例えば・・・
<紅茶>
昔は砂糖とミルクを入れて飲んでいたのに、今では専らストレートが好き。ティーパックでも入れ方を間違えなければ、ストレートでも素材の甘みが出てとてもエエ感じなのだ。
<珈琲>
学生の自分までその美味さがわからなかったが、社会に出てから次第にわかるようになってきた。酸味や苦味のバリエーションがいっぱいあって奥が深い。「日本人はブルーマウンテン好き」とたまに揶揄されたりするが、アレは本当に美味いと思う。ただ、フレーバーコーヒーの美味さは未だ理解不能。個人的にはアイスコーヒーはブラックに限ると思う。
<緑黄色野菜>
ピーマン・にんじんなど色のついた野菜も子供はあまり好きではないことの方が多い。これらが偏食なく食べられるようになった背景には「親」の献身的な努力の成果か、野菜たちとの劇的な出会いがあったかのいずれかに拠るところが大きいと思う。
<トマトジュース>
あの生臭い感じが好きになれない人が多いみたいだけれど、或るトマトジュースとの劇的な出会いによってフツーのトマトジュースが飲めるようになった。
あとは、長ネギとの劇的な出会いがあれば完璧なのにな・・・ぶつぶつ。
だが、実際に食べてみるとこれがまた美味しいのである。最近よく行くようになった職場の近くの洋食屋に、毎日ちょこんと座っているヤツが気になって、ある日パクンと喰らいついてみた。すると、鉄分たっぷりのヤツの身がサクサクっと口中で解体されるや否や「こりゃ美味い」という電気信号がビビッ!!と脳に伝達されたのである。これには驚いた。
幼少の頃「飾り(だと思っていたもの)」を口に含んだアノ日に『苦い!!』と感じてから一度も口にしなかったアレが実は、こんなに美味いものかと思った。そしてそんな自分に「大人になったね」と呟きたくもなった。
思えば、昔は口に含んでもその美味しさのわからなかったものが、大人になって食してみると意外に美味しかったり、それだけでなく「素材の旨味」に舌鼓を打つのが楽しみになったりするのが、なんか今でも不思議な感じがする。
例えば・・・
<紅茶>
昔は砂糖とミルクを入れて飲んでいたのに、今では専らストレートが好き。ティーパックでも入れ方を間違えなければ、ストレートでも素材の甘みが出てとてもエエ感じなのだ。
<珈琲>
学生の自分までその美味さがわからなかったが、社会に出てから次第にわかるようになってきた。酸味や苦味のバリエーションがいっぱいあって奥が深い。「日本人はブルーマウンテン好き」とたまに揶揄されたりするが、アレは本当に美味いと思う。ただ、フレーバーコーヒーの美味さは未だ理解不能。個人的にはアイスコーヒーはブラックに限ると思う。
<緑黄色野菜>
ピーマン・にんじんなど色のついた野菜も子供はあまり好きではないことの方が多い。これらが偏食なく食べられるようになった背景には「親」の献身的な努力の成果か、野菜たちとの劇的な出会いがあったかのいずれかに拠るところが大きいと思う。
<トマトジュース>
あの生臭い感じが好きになれない人が多いみたいだけれど、或るトマトジュースとの劇的な出会いによってフツーのトマトジュースが飲めるようになった。
あとは、長ネギとの劇的な出会いがあれば完璧なのにな・・・ぶつぶつ。
http://www.kagome.co.jp/style/tomato-univ/literature/origin.html
から勝手に転記してみました。さすがに大御所!的を得た説明をしています。つまりこういうことらしいです。
トマトの学名は、ラテン語で「リコペルシコン・エスクレンタム」。実は、この学名にもなかなか興味深い意味が隠されています。
リコペルシコン は「狼(lycos)」と「桃(persicon)」を合体させた言葉で、エスクレンタムは「食べられる」という意味。すなわち「食べられる狼の桃」となります。
名付け親は、英国の植物学者フィリップ・ミラーで、1754年に発表しています。「リンゴ」から「桃」に変わった経緯は定かではありませんが、「狼の桃」とは、いかにもたくましい生命力を感じさせるネーミングですね。
一瞬でなくなりますけど・・・
また来夏にでも感想をお聞かせくださいな。
何とも謎な名前。
しかも夏季限定?
手に入るのかい?
夏季限定で近所で「狼の桃」というビン入りのトマトジュースが販売される。とても濃厚でドロドロっとしているのにフツーのトマトジュースに特有の生臭さが全くないのです。
冷たーく冷やして、朝、グビッと一気に飲み干す時の快感がたまりません。近所の人が「騙されたと思って・・・」と言って私の父をタブラカシ、父が同様の手口で私をタブラカシました。
これを美味しいと感じた日には至高の幸せを感じる筈デス、これは!
どりあんさん
最近は、そんなに苦痛を伴わずに胃の中に入っていくのですけど。やはり「好きか?」と問われると「あまり好きじゃない」と答えざるを得ない食べ物です。
でも、ネギマヨ(たこ焼きの上にマヨネーズをたっぷりかけ、その上に刻み青ネギをふんだんにかけたもの)は美味しいと思うし、カツオのたたきも刻み青ネギと生姜がないと物足りないし、今日もカツ玉定食に刻み青ネギ載っていて美味しかったし・・・と、強がってますが。
てか、分けるのが面倒くさいし、注文するときに「ネギなし」というのも情けないので、ポーカーフェイスで食っております。
紅茶は断然ストレート派。コーヒーはスティック1本砂糖入り。
両方ともミルクはノンノン。
お茶にはけっこううるさいかも(^^;)
ミルクもトマトもそのままだと全然駄目です。
生のトマトはサンドイッチだと食べれるようになりましたが、ジュースは未だに駄目な私。
両方とも加工してあると大丈夫どころか、
大好きなものにへんしーんなのですが。
まっしゅさん、長ネギ駄目なのですか~。
おいしいぞぅ♪
気になるな。
とまとはとっても好きだけど
ジュースは飲めない。
ある昔、トマト好きなんだからジュースもさぞおいしいだろうと思って当たり前のようにごくりとやったら、、、まっずーーー!!!
そんな訳で飲めるトマトジュースが知りたい。
鍋に入ってるねぎとか美味しいけど
当然そんなもんじゃ、出会いとは言わんよな。
どっか、東北の方行って食べてみるべし!
がんばって行こう!!