とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

柳家小三治独演会

2016-02-12 16:06:54 | 落語
 柳家小三治さんの独演会に行きました。さすがに名人芸です。といいながら実はその名人芸をすばらしいと思うようになったのはつい最近です。こどものころから落語を聞いていた世代なので、その上手さというのを当たり前のものとしてしまっていたのです。しかしさすがに50年以上も生きていると、小三治師匠のような名人の話芸は普通ではないのだということがわかってきます。当たり前のように聞こえながら、全然当たり前ではない。努力と経験によって日々磨かれてきたものだということをを感じずにいられません。

 さて、今回の演目の一つが「千早振る」でした。落語ファンでなくとも知っている人の多い定番のひとつですが、知らない人もいるでしょうから簡単に筋を紹介しておきます。

 百人一首の和歌の中に在原業平の
   ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなひに水くくるとは
という和歌がある。 その和歌の意味が知りたくて八五郎が先生の所に聞きにくる。先生はわからないので適当に説明する。その説明は次の通りである。

 竜田川というのは相撲取りの名前。
 その龍田川が吉原の花魁、「千早」に恋をする。しかし「千早」は竜田川を振ってしまう。そこで今度は竜田川は「千早」の妹の「神代」に恋をする。しかし神代もやはり竜田川になびかない。ここまでが「千早振る 神代も聞かず竜田川」である。
 さてその後なぜか龍田川は豆腐屋になる。なぜかというと龍田川の実家が豆腐屋だったからである。そこに女乞食がやってくる。この女が落ちぶれた千早だった。「おからを分けてくれ」というが竜田川は分けてやらない。ここが「からくれなひに」。
 その女乞食千早が絶望し、井戸に身を投げる。ここが「水くぐる」
 すると最後の「とは」が残る。その「とは」とは何か。それが千早の本名だったというオチ。

 後からとってつけたような解釈をし、そのバカバカしさがおもしろい落語です。

 さて、話はこのような他愛もないものですが、小三治師匠はマクラで次のような話をしました。

 知らないのに知っているふりをするのはよくない。つまり「知ったかぶり」をするのはよくない。
 知っているのに知らないふりをするのもよくない。最近の「記憶にございません」はよくない。
 そして知らないで知らないふりをするのもいけません。

 この後、スッと本題に入っていたのです。これはすごい。勝手に客は考え始めます。この落語は単純に「知ったかぶり」の話だと思っていたのに、もしかしたら別の解釈ができるのだろうか。八五郎は知っているのに知らないふりをして先生をからかっていたのか、もしかしたら、先生は知らないことを恥ずかしく思ってわざと奇想天外な話にして「知っているのに知らないふり」をしているふりをしているということなのだろうか、などいろいろ考えてしまう。ただの滑稽話が何重にも大きくふくらんでいきます。

 名人になると簡単にすごい技を魅せてくれるものなのだなあ、と妙に感心してしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする