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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

ネット・フリックスで昨日から「東京ラブストーリー」が、始まりました。

2024-12-16 00:58:05 | 日記
Tokyo Love Story (1991)

 ネット・フリックスで昨日から「東京ラブストーリー」が、始まりました。

 漫画は全部読みましたが、TVドラマはほとんど見ていないので昨日の夜から見始めました。

 主演の鈴木保奈美の若いこと。彼女若い時は可愛かったんだ。

 織田裕二もすらっとしていて、若いです。
 
 有森也実も今と違って可愛いです。

 江口洋介は、今も昔もカッコよかったんですね。

 話は悲恋に終わることは知っています。

 小田和正さんの「ラブストーリーは、突然に」が時々流れるので、楽しみです。

 最後まで見るかどうか分かりませんが、そんなに長くないので最後まで見ようと思っています。


今日から年賀はがきの受け付けが始まるんですね。

2024-12-15 01:30:11 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「年賀状 大変でも直筆で」というタイトルで、87歳の女性が投稿されていました。

 年賀はがきの受け付けが始まる15日が迫ると、例年だとたいてい書き終えていますが、今年はまだ一枚も書いていません。

 2歳上の夫が患う病気がさらに増え、内科に外科、皮膚科、歯科、眼科と週2〜3日通院しており、足腰の衰えからつえが手放せなくなったこともあって、私がいずれも付き添わなければならず、とても年賀はがきを書く時間が取れないからです。

 一方で、友人や同級生らに1年に1度の年始のあいさつは例年通りしたいと考え、年賀はがき200枚は購入しました。

 わが家に届いた分だけ返すつもりです。

 私の周囲でも近年、年賀状じまいしたり電子媒体に切り替えたりするケースが増えました。

 それでも、私は可能な限り、直筆はがきでのやりとりにこだわろうと思っています。

 以上です。

 今年は年賀はがきが従来の63円から85円に、大幅に値上げされました。

 これを機会に、年賀はがきを書く方が減るではないかと思っています。

 87歳になられても、200枚もの年賀はがきを直筆で書かれるなんて投稿者さんは凄いですね。

 私は親戚も入れて、たった35枚の年賀はがきを出すだけです。

 コメント以外、パソコンで打ち出しました。

 あとコメントを入れるだけでいい状態になっています。

 今日から年賀はがきの受け付けが始まるんですね。

 今日・明日にもコメントを書いて出そうと思っています。




中森明菜 セカンド・ラブ

思い出という形がないものも宝物になることを母から教わった。

2024-12-14 01:52:18 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「思い出詰まる品 手元に」というタイトルで、14歳の女子生徒さんが投稿されていました。

 思い出という形がないものも宝物になることを母から教わった。

 目にしたり、手にしたりするだけで思い出がよぎるような物をずっと手元に置いておけば、その思い出を永久保存することができるのだ。

 私は家で大掃除をしていた。

 いらないと思ったものはすぐに捨てるたちだった私は、小学生のときの作品や絵をそれこそ機械的にどんどんごみ箱に入れた。

 そのときだ。「それを捨てたら駄目。思い出だから」。

 母は大きな声で私に叫んだ。

 ハッとして、母の愛を感じた。

 母は、私の昔の服も大切に保管している。

 それらにたくさんの母と子の思い出が詰まっているのは私にも分かった。

 母は、私の思い出を大事にしようとしてくれていたのだ。

 以降、私は形がない宝物を保存するようになった。

 母も含めた家族との思い出が詰まった品々を。

 以上です。

 うちのかみさんは、投稿者のお母さんとだいぶ違います。

 うちは団地で空きスペースがあまりありませんので、出来るだけいらない物は捨てようとします。

 通知表や学校時代に作った作品、表彰状、卒業アルバムなど。

 それらを息子に全部渡しました。

 娘は抵抗して捨てさせません。

 娘は東京の狭い空間に住んでいますので、自分で引き取ることが出来ません。

 学生時代作った作品を全て残してと言います。

 残しても2度と見ないくせに捨てさせません、困ったものです。

 私といえば、旅行写真、パソコンに入っている旅行写真は、全て残しています。

 写真が多すぎて容量が足りなくなり、アップルに容量を増やしてもらっています。

 毎月130円、その為に払っています。

 それ以上払わなくてもいいように、旅行写真でも出来が悪い写真は時々削除しています。

 私は投稿者さんのお母様と似ていますね。😅




難破船 中森明菜

 クリスマスイブの夜10時過ぎ、私は嘘寝をしてました。

2024-12-13 01:25:43 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「おいしい聖夜 今も昔も」というタイトルで、77歳の男性が投稿されていました。

 クリスマスが近づくたび、5歳ぐらいの記憶がよみがえってきます。

 高度経済成長期の前のことです。

 クリスマスイブ、今は亡き父に「枕元に足袋を脱いで置いておけ」と言われ、その通りにして私は寝ました。

 靴下なんてまだなく、日常的に足袋をはいていました。

 翌朝、目を覚ますと足袋の横に優勝カップを模した高さ5センチほどのガラス容器が置かれ、黄色っぽいあめが一つ入っていました。

 それを口に含んだらとても甘くて・・・。

 あめやキャラメルは高級品で、そうそう食べられませんでした。

 私は今、長男一家と暮らしています。

 孫2人は高校1年生と小学校6年生になり、以前はあんなに欲しがったクリスマスプレゼントを贈ることはなくなりました。

 それでもクリスマスイブには家族皆でケーキやチキンを食べ、私はシャンパンを飲むのが常です。

 以上です。

 私は小学校1年までは、サンタクロースがいる事を信じていました。

 ところが友達が「サンタは、父親だよ」と、言うのです。

 クリスマスイブの夜10時過ぎ、私は嘘寝をしてました。

 父親がお菓子が入った銀色の靴と、何かのプレゼントを枕元に置いていきました。

 「やっぱり父だったんだ」、これでサンタがいないと言う事を知ってしまいました。😅

 後から考えれば、いつかは知るでしょうが小学校2年生では少し早かったかなと思いました。 



中森明菜 / 駅

好きな彼女とまだ踊っていません。

2024-12-12 01:57:43 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「私の療法 音楽とともに」というタイトルで、81歳の男性が投稿されていました。

 9月26日付本欄「音楽心動かす力がある」を読みました。

 日頃私は「認知症の治療は非薬物療法で」と願っていることもあり、音楽を含めた芸術を医療に役立ててほしいと強く思いました。

 私の住む地域で過日、ボランティア団体が高齢者の介護予防のためにミニコンサートを催しました。

 耳を傾けていた高齢者の皆さんはリズムを取って若いときに戻ったかのようで、とても楽しそうでした。

 軽度認知障害(MCI)の私は今も昔も音楽を聴くのが好きです。

 中学校の運動会でのマイムマイムやオクラホマミキサー、校内放送で流れたクラッシックの名曲は脳裏にしかと刻まれています。

 厳密には認知症でもなく、正常でもないという状態。

 音楽を聴くことは回想法にもつながるので、私は文字通り、音を楽しみたいと思っています。

 音楽とともにあり続けていきたいです。

 以上です。

 昔 特養でバイトをしました。

 その頃も回想法を取り入れられていました。

 昔流行った音楽を入居者さんの食事中流していました。

 それを聴いて口ずさんでいる入居者さんもいらっしゃいました。

 きっと効果があったと思います。

 話は変わって、マイムマイムやオクラホマミキサー、懐かしい!

 高校時代 体育祭が終わり、フオークダンスが始まりました。

 最後の曲マイムマイムを踊りました。

 好きな彼女とまだ踊っていません。

 もう曲が終わるという時に彼女がやって来ました。

 彼女と踊れて良かったです。

 修学旅行で写真を撮らせてもらったので、彼女も私を意識していたと思います。

 卒業後彼女に連絡を取りませんでした。

 あれだけ好きだったのに、自分の気持ちがよく分かりません。

 一度ぐらい連絡を取れば良かったと後悔しています。




花はおそかった / 美樹克彦