中日新聞の「くらしの作文」に「『母の日』に想う」というタイトルで、76歳の男性が投稿されていました。
私が68歳、母が95歳の時で、確か11月下旬だったと思います。
朝は晴天で、私はいつも通りバスに乗り、勤め先へ向かいました。
午後になって急に天候が崩れ、雨が降り出しました。
私は仕事を終え、バスに乗って自宅へ向かいました。
停留所に着き、バスから降りると、母が笑みを浮かべながら傘を差し、私のために傘を持って目の前に立っているではありませんか。
その時間は雨も風も強くなり、暗く冷え込んでいました。
年老いた母が、私が傘を持っていないことを知って、雨に濡れないようにと寒さと風雨の中、私を待っていてくれたと思うと涙が溢れてきました。
「母さん危ないから、もう迎えに来なくてもいいよ」と言いながら、心の中ではやさしい母の気持ちが嬉しくてたまりませんでした。
私にとっては今も忘れることのできない、一番の思い出です。
97歳で母が亡くなり1人になった私は、幸せとは富ではなく、家族や友人に囲まれた平凡な日常生活にあることに気付かされました。
それは待っていてくれる人、話を聞いてくれる人、心配をしてくれる人が傍にいてくれることほどの幸せはない、ということだと思います。
母さん、何もしてあげられず、ごめんね。
許してね。
母さん幸せだったかい。
僕は幸せだったよ、ありがとう。
以上です。
「母の愛は海より深く山より高い」と言いますが、95歳のお母さんが68歳の息子の為に、寒さと風雨の中、傘を持ってバス停で待っていてくれたなんて、本当に泣ける話ですね。
息子が幾つになっても、母は心配してくれるんだ。
本当にありがたいですね。
私も「母の日」に、何もしてあげれなかった母のことを思い出し、改めて感謝したいと思います。
Diana [日本語・英詞付き] ポール・アンカ
涙が出てきますね!お母様の愛情。
私も母には大した事をしてやれず後悔ばかりです。いや万が一やり切ったなんて言う方いたらお目にかかりたい!皆さんそれぞれの想いを抱いていらっしゃるんですよね!
お母さん、ありがとう!
95歳のお母様が68歳の息子が雨に塗られるのを心配してバスの停留所で待っている。
本当にお母様は息子への愛情に満ち溢れていらっしぃますよね。
>私も母には大した事をしてやれず後悔ばかりです。いや万が一やり切ったなんて言う方いたらお目にかかりたい!皆さんそれぞれの想いを抱いていらっしゃるんですよね!
お母さん、ありがとう!
お母様の愛情に十分報いたなんて思う方はほとんどいないと思います。
私が椎間板ヘルニアで半年近く入院していた時、よく見えない目で私を見舞いに来てくれました。
とても嬉しかったです。
でもそんな母親にあまり孝行をしていなかったと思います。
仕事の忙しさにかまけて、親孝行をしなかったです。
今更後悔しても遅いですが。😅
母の日で両親はとっくに亡くなっていますが思いだします
私が一番親に大事にされ欲しい品は買ってもらいました
私は長男ですが両親と同居したのは18年間でした
最期は弟も東京に来たので両親は二人で暮らしました
でも弟と頑張り実家も買い戻しお墓も建て替えしました
でも寂しい思いはさせましたね
両親が元気な内に弟が実家で暮らしてくれたので孫も男2人なので
両親は喜んでくれました
私も35K離れた賑やかな街なのでその場所に家を建て孫も何とか
見せる事が出来たので一番の親孝行が出来たと安どしています
両親は子供が5人もいましたが姉が3人なので早くに嫁に行き家をでました
私も高校卒業すると東京に就職しました
続いて弟も同じ高校で電気科でした
数年間田舎にいましたが東京に出てきました
やはり私と同じように憧れたようです
でも最後は弟が実家で暮らしてくれたので私は長男ですが新宅で暮らせました
私は中学生の頃から田舎は嫌いで高校出たら東京に出ると決めていました
高校も工業高校で電気科を受けました
手に職を付け資格も取れば何が起こっても食べていけると考えました
当時は皆さん車で帰省する人は会社員ですが手に職を持っている人でした
やはり給料は良かったと皆さんが言っていました
現在はIT関係の技術者が多いですね
小学年のころから東京に就職した人がマイカーで帰省する人に憧れていました
しかも綺麗な彼女を連れて来る姿を見ていました
>母の日で両親はとっくに亡くなっていますが思いだします
私が一番親に大事にされ欲しい品は買ってもらいました
私は長男ですが両親と同居したのは18年間でした
最期は弟も東京に来たので両親は二人で暮らしました
でも弟と頑張り実家も買い戻しお墓も建て替えしました
でも寂しい思いはさせましたね
両親が元気な内に弟が実家で暮らしてくれたので孫も男2人なので
両親は喜んでくれました
ご両親は佐貫卓球ルーム2さんも弟さんも立派に家を持ち、お孫さんもいらしたので大満足されていたのでは。
>私も35K離れた賑やかな街なのでその場所に家を建て孫も何とか
見せる事が出来たので一番の親孝行が出来たと安どしています
両親は子供が5人もいましたが姉が3人なので早くに嫁に行き家をでました
私も高校卒業すると東京に就職しました
続いて弟も同じ高校で電気科でした
数年間田舎にいましたが東京に出てきました
やはり私と同じように憧れたようです
でも最後は弟が実家で暮らしてくれたので私は長男ですが新宅で暮らせました
私は中学生の頃から田舎は嫌いで高校出たら東京に出ると決めていました
高校も工業高校で電気科を受けました
手に職を付け資格も取れば何が起こっても食べていけると考えました
当時は皆さん車で帰省する人は会社員ですが手に職を持っている人でした
やはり給料は良かったと皆さんが言っていました
現在はIT関係の技術者が多いですね
小学年のころから東京に就職した人がマイカーで帰省する人に憧れていました
しかも綺麗な彼女を連れて来る姿を見ていました
佐貫卓球ルーム2さんが東京で家を建てられたので、ご両親は大満足だったのでは。
それにしても佐貫卓球ルーム2さんの夢は、マイカーで綺麗な彼女を連れて帰省する事だったんんて、微笑ましい夢だったんですね。
実現出来て良かったですね。😄