昨日の中日新聞の「中日春秋」に、下記の事が書かれていました。
中日春秋
2025年1月15日 分
サッカー日本代表の元監督イビチャ・オシムさんは、試合をPK戦で決着させることが好きではなかった。
「あんなものはクジ引きみたいなもの」と語ったという
旧ユーゴスラビアを監督として率いた1990年ワールドカップ(W杯)イタリア大会準々決勝のアルゼンチン戦は延長でも決着がつかず、PK戦に。
オシムさんはキッカーを決定すると「自分の仕事はやり終えた」とベンチから引き揚げ、敗北はロッカールームで知ったという(木村元彦著『オシムの言葉』)
一昨日にあったサッカーの全国高校選手権決勝もPK戦にもつれこんだ。10人目で流通経済大柏が失敗し前橋育英が決め、それぞれ敗者、勝者に。
決勝のPK戦が10人目まで続いたのは過去最長という。
失敗者の有無や多寡で白黒をつけるかのようなPK戦はいつも残酷。
オシムさんが嫌ったのも分かる。
流通経済大柏の監督も「PK戦での決着は複雑。1人に勝敗を背負わせるのはどうかな」とこぼしたそう。失敗した選手が早く立ち直ることを祈る。
W杯イタリア大会準々決勝では、試合に勝ったがPKに失敗したアルゼンチンの英雄マラドーナ選手が、やはりPKを外したユーゴスラビアの名手ストイコビッチ選手を抱き寄せ「泣かないでほしい。これが人生だ」と言ったという。
PKは下手な選手だから失敗するわけではないと歴史が証明している。
以上です。
この試合、見ていませんでした。
サッカーは、団体で勝負するスポーツだと思いますが、PK戦は一人に勝敗を任せます。
ちょっと、サッカーの趣旨から外れているのでは?
昔テレビで見たW杯の決勝で、イタリアの有名選手ロベルト・バッジョが最後の5人目でPKを行いました。
ブラジルの選手がPKを入れた後、名手ロベルト・バッジョが、PKを外してしまいます。
それで、ブラジルが勝利しました。
下記の動画の14分1秒ぐらいに、ロベルト・バッジョがPKを外してしまいます。
イタリアの名手の残念なシーンです。
【あなたにPKを蹴る勇気はありますか?】1994W杯 決勝 イタリア 対 ブラジル
また眠れず早朝です
今年は新年早々眠れない日が多すぎます
ドンドン老化現象ですかね
でも妻はもう2~3年パートで働きたいと言うので足を引っ張らないようにしたいと思います
妻の一番のストレス解消と金の為ですね
今日になりますが定年退職した元同僚達と食事会だそうです
皆さん退職後別の会社でパート勤めしているそうです
今回の店は4000円の予算だそうです
新年なので奮発したそうです
男は退職すると働く場所探すと無いですね
だから元同僚同志は長く続かないと思います
私は商売が絡んでましたので廃業したら殆ど終わりでした
そう考えると悲しいですね
何度も言いますが此処まで健康で来られた事が幸せですね
30代40代50代60代で何方かが亡くなってしまう人は多くいますから・・・・・・
サッカ―もそうですが団体勝負ですがやはりミスをすると個人で落ち込みますね
私は小学生から空手をしていたので個人戦が殆どでした
高校の部活でしたら団体戦がメーンですね
中学から個人戦に出場していたので何度負け一人で涙を流した事でしょう
でもその経験は社会でも挑戦する事が出来ました
振り返ると会社勤めしていれば落ち着いた人生でしたでしょう
でも親父が無くした家、土地は兄弟で力を合わせ取り換えしました
姉3人いますが弟が取り返した実家で披露した時姉3人は涙を流し喜んでくれました
そして両親が眠る墓も綺麗にリホームし親戚に披露しました
やはり本家のおじさんが涙を流し喜んでくれました
墓は並んでいますので本家より小さくしました
そのかわり新しいので台座から大理石を使い綺麗にしました
小さな家が建つ位の費用がかかりました
それが両親の恩返しだと考えています
親父は本家がそれなりなのでサラリーマンなのに見栄を張り過ぎたようです
親父の気持ちが分かる年齢になりました
しかも親父は田舎から出た事ない人でした
お袋は年上で若い時は東京で暮らしていたので考えはハイカラでした
これから洋画見て寝ます
佐貫卓球ルーム2さんは、今朝は4時起きですか?
あと2時間ぐらい寝てられるといいですね。
空手をやられていたんだ、スポーツをずっと継続してやられるとは。
精神修養になったのでは。
私はスポーツ、いえ体育は大嫌いでした。
佐貫卓球ルーム2さんは兄弟で、実家の家・土地を取り戻されたんだ。
立派です。
お墓もリフォームされたんだ、小さな家が立つくらい費用がかかったなんて、都会の墓は高いですね。
奥様は元の同僚たちと4千円もの食事をされるんだ。
ご自分で稼がれたお金ですから、問題ないですよね。
大いに楽しんでいただきたいですね。
洋画を見てから、また眠られるんだ。
今度はぐっすり眠れるといいですね。
当時は、PKが無くて決着がつくまで、
延長戦でした。
2時間20分戦ったのが一番長く、
体力のある方が勝ちでした。
雨の中、ボールをゴールに叩き込んで、
1-0で勝ち、
それで優勝、東海リーグでした。
hide-sanさんは10年間もサッカーをやられていたんだ。
まだJリーグができる前でしたね。
ヤンマーの釜本選手、三菱重工?の杉山選手が活躍した頃かな?
>当時は、PKが無くて決着がつくまで、
延長戦でした。
2時間20分戦ったのが一番長く、
体力のある方が勝ちでした。
2時間20分も戦われたんだ。
サッカーは激しいスポーツなのに。
そりゃー体力がある方が有利ですよね。
>雨の中、ボールをゴールに叩き込んで、
1-0で勝ち、
それで優勝、東海リーグでした。
東海リーグで優勝されたんだ。
hide-sanさんは、てっきり関東の大学に行かれていたと思いましたが、東海地方の大学に進まれたんだ。