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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

桜田大臣の「ガッカリしております」発言

2019-02-14 08:03:51 | コラム
桜田五輪担当大臣の発言に思う:

何時の発言の後だったか、何処かのテレビ局が元JOCの国際部参事の春日良一氏をゲストに呼んで桜田大臣の発言についての意見を求めたことがあった。春日氏は苦笑しながら「大臣を責める野党にも事実誤認があるようだ。桜田大臣が実際にオリンピック開催の指揮を執っている訳ではないのだから。実務は組織委員会とJOCが担当していることであり、大臣が指揮を執るとか何か命令する性質ではない」と述べた。

私は一時この春日氏を多くの局が多用してきたので何度か彼の発言を聞く機会があった。私の印象では「その発言を聞く限り運動部等で実際の経験がない方で、余り信用することはないのでは」という辺りだったが、実務は云々の発言を聞いたときには「これは信じても良いのでは」と思っていた。春日氏は「内閣に置かれた担当大臣は言わば添え物であり、実務やその進行状況を詳細を聞かされている訳ではないのでは」と言っていたのだった。

だが、これまでの失言と言い今回の「ガッカリ発言」と言い、桜田氏は幾ら正直のようだとは言え、その発言は少し配慮の欠けすぎていたと思う。私はあの記者たちが桜田大臣を囲んで質問している光景を見せられると、ある評論家が指摘した彼の「語彙」の問題もあるようだ。だが、春日氏が指摘した実務担は誰かくらいは承知のはずのマスコミが、野党と結託して大臣を狙い撃ちにしたが如くに質問攻めにして、おかしな発言を引き出して、安倍内閣非難の材料としようとしているのではと勘ぐりたくなってしまう。

私はこの野党と揚げ足取りとマスコミ側の姿勢は、桜田氏がオリンピック担当に適任であるかないかは別な問題ではないかという気がするのだ。

2月13日 その2 池江璃花子さんの白血病に思う

2019-02-13 14:15:12 | コラム
オリンピックより優先すべき事は?:

池江さんのTwitterによる告知以来、各テレビ局はこの件と、直ぐ後から出てきた大坂なおみのサーシャ・バイン・コーチとの契約解消(なのだろうか)の件で持ちきりである。大坂なおみのコーチの問題と違って池江さんに関する報道の場合は個人の深刻な病気に関する問題なので、何か奥歯に物が挟まったような「何が言いたいのか」が判然としない点が多いなと思って聞いている。私も微妙な点が多いので彼らと雖も悩んでいるのだろうとは察している。

その中でも、私は産経新聞が「元競泳選手で、都内の病院に勤務する血液内科医(48)は「白血病の種類にもよるが、一般的に(治るまでに)最短でも7~9ヶ月はかかる。治療中は絶対に運動ができないため、筋力も著しく低下する」と指摘。世界最高レベルの技術を持つ池江にとって五輪に向けて一層の筋力アップが課題だっただけに影響は甚大だ」と書いていた。私はオリンピック云々は兎も角、治療期間と筋力の低下を医師の口を借りてでも率直に指摘した点で価値があると言いたいのだ。

要するに私は、彼らマスコミが「難病に罹った気の毒な未だ18歳の未成年の少女をつかまえて、オリンピックがどうのこうのとばかり言うのは、人の道に外れているのではないかとの感さえするので、それでは失礼ではないか」と指摘したいのだ。この点を本日偶々診て頂いた掛かりつけのクリニックのS医師にご意見を伺ったところ「何はさておいても、患者さんを治すことを最優先すべきだろう」とオリンピックのことばかりを採り上げることに疑問を呈しておられた。

午後からテレ朝に出てきていた元西武や読売等の内野手だった鈴木康友は白血病病に似た病を経験したそうで、語っている間も帽子を脱がなかったのは、抗がん剤による治療を続ければ頭髪がどうなるかという点を問わず語りしていたのだった。それに加えるに、検査の為に骨髄から注射器で髄液を採取する時の「何と言って良いか解らない痛さに耐えねばならない苦しさ」も回顧したが、この話を聞くだけでも池江さんがこれから受けるだろう治療の大変さが解ろうというものだ。

私はそれに耐えて、元の健康体に戻してから世界的な水泳選手の筋力に戻す訓練が如何に大変だろうかに思いを致せば、軽々にオリンピックだのメダルだのと言うのは何かのはき違えのように思えてならない。当事者ではない我々に出来ることは「18歳の少女が一日も早くこの大変な病気を治して第一戦に復帰できるよう励まして上げること」を優先すべきだと思うのだ。


「サーシャ・コーチ」とは

2019-02-13 07:54:49 | コラム
今度は大坂なおみさんが:

昨12日にはマスコミは池江璃花子さんの白血病の件で持ちきりだったが、その最中に今度は大坂なおみさんが Sacha Bajin コーチとの間柄を解消した旨が報じられ、また一騒動だった。このコーチは大坂さんの精神面(「メンタル」何て半端なカタカナ語は使わないよ)の強化に専念し、4大大会のうちの2大会での連続優勝の最大の貢献者として扱われてきた。そのコーチが突如辞めるというのだから、確かに一大事だろうが、報道では「そこに如何なる理由か背景があったのか」には触れていない。後任も取り沙汰されていないようだ。

私は折角あの地位までに短期間に上り詰めたまで大坂さんのこれからにとっては、信頼すべき後任のコーチ役の人物は必要であろうと思っている。あの彼女のTwitterだけでは全く説明不足で疑問ばかりで、やや不安感が残る。それよりも私が「これは?」と感じたのは“I will no longer play together with ~.”とあったところだ。私は“no longer”では「もうこれ以上は」という極めて冷めた突き放したような言い方だろうと思っている。

もっと他に「彼とは契約を解消することで合意した」であるとか「契約を終えることにした」といった言い方があると思うが、それを言わずにぶっきらぼうに“no longer”では「では何か言いたくない事情でもあるのか」と解釈したくなるのだ。だが、この件は何れ時間が解決するだろうと考えることにした。

そこで、矢張り英語関連の講釈をしておきたくなった件がある。それは、先ず何局かで Sacha Bajin を「サーシャ・コーチ」と呼んでいたことだ。「サーシャ」は少なくともファーストネームであってその後に「さん」を付けるのは欧米との名前における違いが解っていなくて恥ずかしいのだ。呼ぶならば、ドイツ式ならば「バイン・コーチ」で、アメリカ式に読めば「ベイジン」か「バイジン」だろう。確かNHKは「ベイジン」とアメリカ式を採っていた。

なお、Wikipediaによれば正式なファーストネームは「アレキサンダー」のようだ。テレビ局も新聞社もそれくらい調べて「特派員」も置いているのだろうから、現地で Sacha Bajinさんに「貴方の名字は正確には何と読めば良いのですか」くらいは尋ねれば良いこと。


2月12日 その2 池江璃花子さんの不運

2019-02-12 17:03:56 | コラム
池江璃花子さんが白血病に:

不運と言うしかないだろう。私はこれまでに何度述べてきたことだが、自分でも良く解らない「閃き」か「勘」というか、スポーツの試合であるとか、将来何が起きるかといったような物事の先が見えてしまうことがあるのだ。または「そういう結果になれば良いのだが」という望ましい未来の絵が見えてこないという経験をして来た。これは「如何なる結末になるのか」などを思い描こうとしている訳でもないのに、自然にというか勝手に「勘」が閃いてくるのである

例えば、1960年に急性肝炎に罹って45日ほどの入院加療の後に主治医に「会社に復帰して良し」との許可を貰って、喜んで会社の上司に報告に短時間出社したのだった。だが、報告しながら、どうしても「自分が自分の机に座って仕事をしている絵」が見えてこなかったのだった。「おかしな事もある物だ」と思っていると、その晩から高熱が出て風邪を引いたことが判明して、会社復帰が2日ほどズレてしまった。「なるほど、こう言うことだったのか」とは解ったが、実に奇妙な「勘」だと痛感させられた。

その意味では「池江璃花子という何年に一人という逸材であろう水泳選手が、幾ら国内の大会やアジアの選手権等で新記録で勝とうとも、オリンピックや世界選手権等で優勝する姿がどうしても見えてこなかったのである。「閃き」である以上、これには何ら根拠がなかったが、どういう形でオリンピックのような大会での活躍が阻まれるのかと、正直なところ不思議なことだと思ってきた。

その池江さんが本12日の午後から各テレビ局が「オーストラリアの合宿で体調の不良を訴えて途中で帰国して検査の結果白血病と診断された」報じた。各局は挙って多くの専門の先生方のご意見を求めたところ「先ずは治療に最短でも半年を要し、その時では寛解であって完治ではないかも知れない」という意見を述べておられた方が多かった。聞いているだけでも誠に気の毒な事態であり、心の底から池江さんに同情したし、我が国の水泳界にとっても痛恨の出来事だと思った次第。

同時に、私の何の根拠もなかった「池江さんがオリンピックのような大会で勝つ姿が見えてこない訳」が解ってきたような気がした。池江さん自身は治療に専念して第一線に復帰する意欲満々であると思わせてくれる告白をしていたが、未だ18際という若さでこのような難しい病気に罹ってしまったのは本当に不運だと思わずにはいられなかった。私が危惧することは、仮に半年で完全回復できたとしても、その間にあれだけの記録を出す筋肉を維持できないのではないのかという点である。

しかも、この点には「最短でも」と「寛解であって完治ではないかも」という条件も付くようなのである。白血病にはいくつかの治療法があるようだが、その間に水泳に必要な筋肉を鍛えるようなトレーニングを並行してやっていけるものなのだろうかと思う時、彼女は大変な苦難を背負うことになってしまったと感じている。だが、聞くところでは池江さんは大変強靱な精神力の持ち主であるようだから、このいきなり降りかかった難病を短期間に克服して、私の無根拠の「閃き」が虚構だったと証明して、2020オリンピックで大活躍して入賞、即ちメダルを獲得して欲しいと切に願うものである。


“child abuse”

2019-02-12 13:31:11 | コラム
児童(幼児)虐待:

英語では“child abuse”と言う現象があるとは、アメリカ人の中で過ごしていて何かの切っ掛けで覚えた表現だったが、「恐らく白人の世界だけででも起きることだろう」くらいに気軽に考えていたものだった。それに“abuse”とは「乱用する」のことだと思っていたので、まさか同じ単語が「虐待」の意味で使われるとは余り考えていなかった。ところが、ジーニアス英和には乱用よりも「虐待する」という方が先に出てくるのだ。Oxfordにはそうとは出ていない。

因みに、Weblioで調べると“Child abuse is an abuse of disciplinary rights.”という例文が出ていて、巧みに abuse の持つ二つの異なる意味を使い分けてあったのが印象的だった。なお、disciplinary right とは「懲戒権」のことのようである。野田市の件での栗原某などは、まさしくこの権利を乱用したと思わせて極めて遺憾だと言える。

その児童虐待が我が国ではこれほど頻繁に発生していて、あの千葉県の野田で起きたように我が子を死に至らしめたほどの虐待が起きるなどとは私にはとても想像も出来なかった。我が国でこのような悲しい事件が数多く起きているとは、我が国の劣化かとすら思わせてくれた。その昔には亭主が女性の連れ子を虐待するという話は良く聞かされたものだったが、あの野田市の一件は何度テレビのニュースを聞いても我が子を虐待して死に至らしめたのであって、私には鬼畜の所業としか思えなかった。

私は既に指摘したが、学校や教育委員会の責任逃れ体質や、児童相談所の権限の範囲の狭さなどは、至急法的にも改善すべきだと思っている。特に学校等では教員が長い経験を経て管理職に昇進して行く制度を改革して、ビジネスの世界を経験した人物を登用せよとも提案した。現に某総合商社を40歳台で退職して家業を継いでいた友人が、その後に不振だった女子商業高校の経営に転進し、実業界での経験を活かしてその学校を見事に進学校にまで改革した例があるのだ。

要するに「広い世界を経験して『責任とは』を心得た人物に、学校や委員会や児童相談所等の管理運勢を任せてはどうか」という主張である。また各組織(機関)は縦割りではなくて、常に横の連絡と提携を密にしておく方法も考えるべきではないのだろうか。それに担当される方々が「親の恫喝に負ける」などという失態を二度と繰り返さないように十分な社会経験を積んでおけるような工夫も必要だろう。我が年齢層が子育てをしていた頃には「モンスターペアレント」などが出てくるような要素は皆無だったと思う。