文化比較論になると思う:
野党が桜田大臣が予算委員会に2分ほど遅れたので「国会軽視」だの何のと言って責め立てていた。相も変わらない時間の浪費作戦であり「そんなことを言っている暇に軽減税率の討論でもしろと言いたくなるのです。そこで「遅刻」という我が国独特の制度を下記のように考えて見ました。英語には「遅刻」そのものを表す単語も熟語も無いと思っているのです。
私は「それぞれの部員が与えられた(割り振られた)業務の課題を遂行する為には、朝何時に出社しようと各人がその日にやってしまおうとしていた事柄が終了出来次第に何時でも帰宅してしまうようなアメリカの会社にいましたから、日本式の遅刻という時には罰を受ける制度がないアメリカ式の方が、忌憚なく言えば、合理的で働きやすかった」と思っています。
日本の会社の頃、同じ藤沢市に住んでいた同業で日本橋に本社がある会社に就職した高校の1期下の者と、毎朝同じ時刻に藤沢駅を出る湘南電車で出勤していました。昭和30年代前半でしたので、遅延はしょっちゅうでした。すると彼は「2~3分の遅刻は寝坊したようで最もみっともないから同じ遅れるのならば大きく遅れて、大きな事故だったということにして新橋駅の近所でお茶でも飲んで時間を潰しましょう」と言って雑談をして過ごしたことが何度かありました。勿論「遅延証明」は貰っておいてでしたが。
後に、W社の最大のお客様だった某大手メーカーの人事・勤労の権威者だった常務さんに「何故に遅刻をそこまで厳しく扱うのでしょうか」と尋ねてみる機会がありました。常務さんは「アメリカの会社とは文化が異なるのであって、我々は朝9時に皆が集まって『さー、皆で一緒に仕事を始めよう』という精神で『何事も全員でやろう』という心がけを表している」と答えられました。
私は「なるほど、そういうことだったのか」とあらためて再認識しましたが、その精神は兎も角「何処までも各人の主体性とその能力に任せて規則で規制しないアメリカ方式の方が仕事をしやすかった」と痛感しました。簡単に結論を言ってしまえば「文化の違い」であり、どちらか一方が優れているかいないかという問題ではないと思いました。
現実にはそういう文化というか決め事がある以上、閣僚たる者が仮令2分と雖も予算委員会に遅れるのは決して良いことではないでしょう。桜田大臣の普段からの心がけの問題であると同時に時間に、時間に正確であろうとしていない習慣が身に付いてしまっているのでしょう。だからと言って、その点を採り上げて開会を送らせた野党の所業は「ただ只管安倍内閣を貶めて幾らかでも人気を落とそうとする児戯にも等しいことだと断じます。
私は経験上も言えますが、我が国ほど時間厳守を励行する国と国民は無いと思っています。ある北欧の代表的多国籍企業の役員たちは先ず約束の時刻に現れることがありませんでした。だが、ある時に珍しくも御殿場から赤坂の本社での会談の予定時刻の3分前に現れた工場長は“I’m sorry. I’m by three minutes earlier than the appointed time.”と言って、我々を爆笑させたことがありました。
私が思うに、欧米人たちは「時間は自分のものであって、それを自分の都合で運用して良いのだ」と思って育ってきたのだと解釈しております。プーテイン大統領などは安倍総理との約束の時刻よりも何時間の単位で遅れるそうではありませんか。それが何を表しているかを考えて見る必要があるかも知れませんが。
野党が桜田大臣が予算委員会に2分ほど遅れたので「国会軽視」だの何のと言って責め立てていた。相も変わらない時間の浪費作戦であり「そんなことを言っている暇に軽減税率の討論でもしろと言いたくなるのです。そこで「遅刻」という我が国独特の制度を下記のように考えて見ました。英語には「遅刻」そのものを表す単語も熟語も無いと思っているのです。
私は「それぞれの部員が与えられた(割り振られた)業務の課題を遂行する為には、朝何時に出社しようと各人がその日にやってしまおうとしていた事柄が終了出来次第に何時でも帰宅してしまうようなアメリカの会社にいましたから、日本式の遅刻という時には罰を受ける制度がないアメリカ式の方が、忌憚なく言えば、合理的で働きやすかった」と思っています。
日本の会社の頃、同じ藤沢市に住んでいた同業で日本橋に本社がある会社に就職した高校の1期下の者と、毎朝同じ時刻に藤沢駅を出る湘南電車で出勤していました。昭和30年代前半でしたので、遅延はしょっちゅうでした。すると彼は「2~3分の遅刻は寝坊したようで最もみっともないから同じ遅れるのならば大きく遅れて、大きな事故だったということにして新橋駅の近所でお茶でも飲んで時間を潰しましょう」と言って雑談をして過ごしたことが何度かありました。勿論「遅延証明」は貰っておいてでしたが。
後に、W社の最大のお客様だった某大手メーカーの人事・勤労の権威者だった常務さんに「何故に遅刻をそこまで厳しく扱うのでしょうか」と尋ねてみる機会がありました。常務さんは「アメリカの会社とは文化が異なるのであって、我々は朝9時に皆が集まって『さー、皆で一緒に仕事を始めよう』という精神で『何事も全員でやろう』という心がけを表している」と答えられました。
私は「なるほど、そういうことだったのか」とあらためて再認識しましたが、その精神は兎も角「何処までも各人の主体性とその能力に任せて規則で規制しないアメリカ方式の方が仕事をしやすかった」と痛感しました。簡単に結論を言ってしまえば「文化の違い」であり、どちらか一方が優れているかいないかという問題ではないと思いました。
現実にはそういう文化というか決め事がある以上、閣僚たる者が仮令2分と雖も予算委員会に遅れるのは決して良いことではないでしょう。桜田大臣の普段からの心がけの問題であると同時に時間に、時間に正確であろうとしていない習慣が身に付いてしまっているのでしょう。だからと言って、その点を採り上げて開会を送らせた野党の所業は「ただ只管安倍内閣を貶めて幾らかでも人気を落とそうとする児戯にも等しいことだと断じます。
私は経験上も言えますが、我が国ほど時間厳守を励行する国と国民は無いと思っています。ある北欧の代表的多国籍企業の役員たちは先ず約束の時刻に現れることがありませんでした。だが、ある時に珍しくも御殿場から赤坂の本社での会談の予定時刻の3分前に現れた工場長は“I’m sorry. I’m by three minutes earlier than the appointed time.”と言って、我々を爆笑させたことがありました。
私が思うに、欧米人たちは「時間は自分のものであって、それを自分の都合で運用して良いのだ」と思って育ってきたのだと解釈しております。プーテイン大統領などは安倍総理との約束の時刻よりも何時間の単位で遅れるそうではありませんか。それが何を表しているかを考えて見る必要があるかも知れませんが。