新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月30日 その2 松重豊の著書「空洞のなかみ」に刺激されて

2020-10-30 11:49:27 | コラム
「空洞の器」は通訳にも通じる表現か:

この松重豊という福岡出身のゴツゴツした感がある俳優が本を出していたとは知らなかった。彼が阿川佐和子との対談で「空洞にしておく方が色々な役に対応できる」という意味になることを「空洞の器」で表現しているのに興味を惹かれた。それは、まさか仕事で英語の通訳をするなどとは考えたことすらなかったにも拘わらず、69年だったかに偶然の積み重ねで無理矢理に押しつけられて、UKの大手メーカーの研究員の通訳をしてしまったのだった。まさか、それが3年先にアメリカの会社に転進する切っ掛けになるとも知らなかった。

念の為に確認しておくと、私は生業として通訳をしていたのでない。飽くまでも「通訳もする交渉事の当事者として」だったのだ。それは確かに大学まで英語の勉強はしていたが、如何にして通訳をするかを学んだことなどなかった。69年の初めての時には、不思議なことに10数年もの間離れていた英語が、自分でも分からないままにと言うか、無心の状態で口から出てきたのだった。その後暫くの間は、英語と日本語の間を往復することに何らの抵抗感がなかった。ところが、アメリカの会社に転じて責任を伴う通訳もせざるを得なくなると、無心ではいられなくなった。

それは、自分が所属する事業部と自分の能力の問題にもなるような仕事なので、かなり緊張を強いられたのだった。それに加えて、通訳をしている上司や同僚が言うことが気になり「そんなことを言っては駄目だ」とか「誤った考え方である」とか「何を言いたいのか理解できない」等々の余計なことが瞬間的に思い浮かんで、素直に日本語に移し換えられないこともあった。更に「そんなことを言っては不味い」とか「それは誤認識であるから訂正した方が」などと介入したくなってくるということ。再確認すれば「無心」ではいられなくなったという意味だ。これには悩まされた。

すると、ある時に同席していた商社から転進してこられていた東京の代表者に「仮令彼等の発言が無意味だとか、馬鹿なことだと君が思っても、彼等なりに言いたいことや先方から聞き出したいことがあるのだから、勝手に制止するとか助言したりするのは避けるべきでは」と忠告されて目が覚めた。即ち、自分で当事者であると信じていても、無心になってというか翻訳に徹するだけの機械になって、聞こえるがままに訳していくべきだと見えてきたのだった、即ち「頭の中を真っ白にしておけば、両方の言うことがそのまま素直に入ってきて通訳できるようになる」ということ。

敢えて「真っ白にする」を換言すれば「空洞の器にしておく」と同じ事だとなるのだ。「両方の発言に抵抗する」とか、「それはおかしな主張だ」とか、「何を言うのか」などと抵抗することなく、そのまま受け止めて、素直に別の言語にして口から出せば良いのだということだ。だが、これは今ここで述べているほど簡単な作業ではなく、一寸でも邪心が出てくると全体の意味を把握できなくなる危険性があったのだ。繰り返しになるが「如何にして頭の中を空にして、即ち空洞にして、そこに誰かの発言をそのまま入れて、別の言語にして出力(output?)する」仕事なのだ。

ここまで考えられるようになったのだが、その辺りに松重豊の言う「空洞の器になって役を受け入れる」と共通するところがあるのだなと思って、26年前に離れた「通訳もする当事者」の仕事を思い出したのだった。とは言うが「無心になって、頭の中を真っ白にして」というのは簡単な作業ではなく、そこまで徹するようになったのは転進した大分後のことだった。しかも、幾ら空洞の器になれても、通訳している方々の発言には何時如何なる話題が飛び出してくるか分からないので、極端に言えば「森羅万象知らざるは無し」くらいに博識ではないと務まらない場合もあった。

だが、無心に徹して頭の中を空洞に出来るようになると、通訳という「職務内容記述書」にはない、査定の対象ではない仕事を楽しくて快感を伴う業務だと思うようになった。表現を変えれば、「一種の自己陶酔の世界」に入って「これは自分以外には出来ない分野」だと、誇示しているような気分になっていったのだった。また、別な見方をすれば「自分は影のような存在で、その場にいる訳ではなく、例えば副社長が本社から持参した通訳をする機械のようなものだ」という次元にまで割り切っておく必要もあるということだ。

そこまで割り切れるようになって痛切に感じたことは「副社長のように10年以上も付き合って、人柄から性格も把握できて、表現の仕方や使う言葉でその日のご機嫌や体調が良いか悪いかまでも読めるようになれば、安心して通訳が出来る。即ち、馴れている人の通訳は良い仕事が出来るが、初めて会った方の通訳は困難だという事にもなる。そういう方と重大な交渉の通訳をするのは危険だなと思うようにもなった。即ち、「一見さんはお断りしたいな」という気持ちにさえなってくるのだ。ではあっても、職務であれば何とかしなくてはならないのだ。

話を松重豊の「空洞のなかみ」に戻せば「役者という仕事は偉いものだな」と感心していることでもあるのだ。他人が書いた台詞を覚え、役柄を理解して演技するのは「その為に報酬を取っている」のであっても容易ならざる商売だなと、ある意味では感心して次第だ。今や真剣に無心になって通訳をしない生活が20年以上も続くと、「現在の自分が通訳をすれば、さぞかし惨状を呈するだろうな」と恐れていたのだった。



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