新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

羽生結弦の健闘への疑問

2014-11-09 07:48:07 | コラム
私は羽生君の健闘を心の底から讃えたくない:

彼羽生結弦は試合前の練習中のかなり深刻と見えた怪我にも拘わらずオリンピックチャンピオンとしての気概を見せるべく勇敢にも滑ることを選んだ。その勇気と意図は壮なりと評価できなくもないが、私はそうは思わないのだ。中国の観客も羽生君に期待していたようだし、日本からの応援団も羽生の完全な形での滑走による逆転優勝を待っていたのではなかったか。

昨8日に上海でのフィギュアスケートのグランプリ・シリーズで、日本期待の羽生結弦は試合前の6分間の練習中に中国の選手と激突し、立ち上がれないほどの怪我をしていた。終始そばにいた松岡修造は「この状態で滑って貰いたくない」と言ったほどの悪い状態のようだったようだ。中国の選手も暫く倒れたままだったほどの有様だった。

滑走順では中国の選手が先だったが、中継では「棄権」とされていたが「まさか」と思わせる気力で滑り抜いて見せた。羽生は頭も打っているかに見えて歩行もままならぬ状態で、私は独自の見地から止めた方が良いと見ていた。

だが、羽生はオリンピックチャンピオンがここで棄権してはならないと言って、気力を振り絞って出てきた。そしてジャンプで何度も転倒したが凄い精神力で4分半の滑走をやり抜いた。解説の佐野も織田信成も松岡も賞賛した。結果は後から出たロシアの選手に優勝されて2位に終わったが、中継放送の間はその鬼気迫る健闘が賞賛し続けられた。

私はそういう見方もあるだろうが、決して賞賛されるべき事ではないと考えている。我が国では屡々負傷をおして試合に出る選手を賞賛することがある。私はこれは精神主義に発する考え方であり、賛成できないのだ。羽生のように未だ19歳では将来があり先は長いのであり、松岡修造も当初はここで無理をすることもないという見方をしていた。

私の見方は、大方の厳しいだろう批判を予想して言えば、練習中に誰かと衝突するようでは未熟であり、不注意の批判を卍手受けるべきだろう。残念だが、未だ未だそこまでの選手であると言いたいのだ。彼はその不注意を深く反省すべきであり、松岡の意見のように無理をして出ていくのを回避すべきだったと思っている。無理をしてオリンピックチャンピオンとしての気概を示したのは立派だが、私はかかる精神主義は採らないのだ。

善戦健闘ではあったが、結局は怪我の為に体力も残っておらずジャンプが思うに任せず、5回も転倒して減点が5だったではないか。私は次ぎの機会に万全の状態で出ていくことを選択すべきだったと考えるのだ。彼は既に腰痛で一度出場を見送っていた。体力等の基本的な点に未だ鍛え直すべき要素が残っているのではないのか。その改善と強化が急務ではないのか。彼の速やかな回復を祈念して終わる。


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