報道機関は言葉遣いに注意せよ(改めよ):
始めにお断りしておくが、例によって例の如きカタカナ語批判の意図はない。報道機関の言葉遣いの不正確さに対する批判である。
アフガン:
近頃気になりだしたのが「アフガン」である。こう入力しただけで「略語」と指摘されるが、如何なる言葉を略したのだろうか。新聞やテレビでは「アフガニスタン」のつもりで使っているようだ。だが、既に述べたように“Afghan”には「アフガニスタン」という國を意味せず、「アフガニスタン人」と「アフガニスタンの言語、即ちパシュートウー語」のことである。私が嫌うことは、彼らが恣意的に余所の国の言葉を短縮して報道で使うことだ。この例は幾らでもあるが「インフルエンザ」は嘗ては「流感」だったが、今や「インフル」などという奇っ怪な略語にされてしまった。
先ほど読んだ産経新聞ですら、記事の見出しでは「アフガン」としながら、本分ではチャンと「アフガニスタン」としていた。新聞は紙面の制約(都合?)があるから省略するのだろう。これなどは未だ可愛らしい方で、テレビで「アフガン」というのは看過しがたいのだ。アフガニスタンと全部言わばフルネームで言っても、彼らが言う「尺」に影響はしないだろう。彼らがこんな言葉遣いをすれば、罪なき多くの視聴者と読者は「正しい言葉遣いだ」と誤認識するだろう。考え直せ。
そこで、念の為に「こんな言葉遣いをするのは我が国の報道機関だけでは」と思って知恵袋に訊いてみた。答えは“言っているのは日本人だけですが。 ちなみに、略している人が理解しているのかどうか分かりませんが、「スタン」とはペルシャ語で「土地、国」を意味します。 アフガニスタンとは、アフガニ(ン)(人)の国、という意味です。”だった。矢張りこういう事だったかと、少し気分が爽快になった。
モデルナ:
「また始まったか」と思って下さる方がおられれば、これに触れた目的の30%くらいは達成できたと思う。勿論「マダーナ」が正しい。言いたい事は「勝手に余所の国の言葉を出鱈目に読んで表記するのは如何なものか」なのだ。これは、偶々Modernaという会社の固有名詞だ。その余所様の社名をその綴りの中にある“r”の後にありもしないuを付けて表記した意図は全く理解できない。他の英語の単語でrを「ル」と表記していない例は幾らでもある。彼らはそういう先例があることを全く知らないとは言わせない。
例えば“percent”は前からずっと今もなお「パーセント」となっているではないか。“curtain”は「クルテン」ではなくて「カーテン」だ。“platform”は「プラットフォーム」であって「プラットフォルム」とはなっていなかった。これなどは省略が進み、最終的には「ホーム」となり「ホームドア」なんて代物も出現した。批判ばかりではなく、一寸捻った例を挙げてみよう。その昔、有楽町の裏通りに「コンホール」という喫茶店があった。看板を見ると“Comfort”だった。更に意地悪を言えば、野球のpitcherは何故「ピッチェル」とされなかったのだろう。
マスコミ人はまともに学校教育で英語を勉強したのだろうから、この程度の知識を備えていて、如何に英語やその他の外国語の名詞等をカタカナ表記する場合にどのようにすべきかを、もう少し考えてからにしたらどうだろう。ここではrだけを取り上げたが、COVID-19の治療薬「レムでシビル」は元は“Remdesivir”なのだ。この表記には呆れた。私には「レムデシヴァー」としか読めないが、何処かの誰かがvirを「ビル」としてしまったようだ。“ville”なら兎も角、どういう考えがあって「ビル」としたのだろう。好い加減な仕事だ。
続投、降板:
これらも気に入らない。何が哀しくて「留任」か「職を継続」や「交替しない」や「辞任」乃至は「辞退」等を野球の言葉で表現するのに、誰が使い出したか知らない野球の用語、しかも投手の関連の言葉を使うのだろう。良し悪しを批判する他に、私は趣味が悪いと指弾したくなる。「社会の木鐸」などと偉そうに言うのだったならば「物事を正しくその事実を解りやすく表現する言葉を使うべき」ではないのか。私はこういう言葉遣いが彼らマスコミ人の軽薄さを表している気がしてならない。
始めにお断りしておくが、例によって例の如きカタカナ語批判の意図はない。報道機関の言葉遣いの不正確さに対する批判である。
アフガン:
近頃気になりだしたのが「アフガン」である。こう入力しただけで「略語」と指摘されるが、如何なる言葉を略したのだろうか。新聞やテレビでは「アフガニスタン」のつもりで使っているようだ。だが、既に述べたように“Afghan”には「アフガニスタン」という國を意味せず、「アフガニスタン人」と「アフガニスタンの言語、即ちパシュートウー語」のことである。私が嫌うことは、彼らが恣意的に余所の国の言葉を短縮して報道で使うことだ。この例は幾らでもあるが「インフルエンザ」は嘗ては「流感」だったが、今や「インフル」などという奇っ怪な略語にされてしまった。
先ほど読んだ産経新聞ですら、記事の見出しでは「アフガン」としながら、本分ではチャンと「アフガニスタン」としていた。新聞は紙面の制約(都合?)があるから省略するのだろう。これなどは未だ可愛らしい方で、テレビで「アフガン」というのは看過しがたいのだ。アフガニスタンと全部言わばフルネームで言っても、彼らが言う「尺」に影響はしないだろう。彼らがこんな言葉遣いをすれば、罪なき多くの視聴者と読者は「正しい言葉遣いだ」と誤認識するだろう。考え直せ。
そこで、念の為に「こんな言葉遣いをするのは我が国の報道機関だけでは」と思って知恵袋に訊いてみた。答えは“言っているのは日本人だけですが。 ちなみに、略している人が理解しているのかどうか分かりませんが、「スタン」とはペルシャ語で「土地、国」を意味します。 アフガニスタンとは、アフガニ(ン)(人)の国、という意味です。”だった。矢張りこういう事だったかと、少し気分が爽快になった。
モデルナ:
「また始まったか」と思って下さる方がおられれば、これに触れた目的の30%くらいは達成できたと思う。勿論「マダーナ」が正しい。言いたい事は「勝手に余所の国の言葉を出鱈目に読んで表記するのは如何なものか」なのだ。これは、偶々Modernaという会社の固有名詞だ。その余所様の社名をその綴りの中にある“r”の後にありもしないuを付けて表記した意図は全く理解できない。他の英語の単語でrを「ル」と表記していない例は幾らでもある。彼らはそういう先例があることを全く知らないとは言わせない。
例えば“percent”は前からずっと今もなお「パーセント」となっているではないか。“curtain”は「クルテン」ではなくて「カーテン」だ。“platform”は「プラットフォーム」であって「プラットフォルム」とはなっていなかった。これなどは省略が進み、最終的には「ホーム」となり「ホームドア」なんて代物も出現した。批判ばかりではなく、一寸捻った例を挙げてみよう。その昔、有楽町の裏通りに「コンホール」という喫茶店があった。看板を見ると“Comfort”だった。更に意地悪を言えば、野球のpitcherは何故「ピッチェル」とされなかったのだろう。
マスコミ人はまともに学校教育で英語を勉強したのだろうから、この程度の知識を備えていて、如何に英語やその他の外国語の名詞等をカタカナ表記する場合にどのようにすべきかを、もう少し考えてからにしたらどうだろう。ここではrだけを取り上げたが、COVID-19の治療薬「レムでシビル」は元は“Remdesivir”なのだ。この表記には呆れた。私には「レムデシヴァー」としか読めないが、何処かの誰かがvirを「ビル」としてしまったようだ。“ville”なら兎も角、どういう考えがあって「ビル」としたのだろう。好い加減な仕事だ。
続投、降板:
これらも気に入らない。何が哀しくて「留任」か「職を継続」や「交替しない」や「辞任」乃至は「辞退」等を野球の言葉で表現するのに、誰が使い出したか知らない野球の用語、しかも投手の関連の言葉を使うのだろう。良し悪しを批判する他に、私は趣味が悪いと指弾したくなる。「社会の木鐸」などと偉そうに言うのだったならば「物事を正しくその事実を解りやすく表現する言葉を使うべき」ではないのか。私はこういう言葉遣いが彼らマスコミ人の軽薄さを表している気がしてならない。
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