新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月30日 その2 負けに不思議なし

2017-10-30 07:53:48 | コラム
DeNAは気の毒だったかのか?:

29日夜の日本シリーズの野球は見所が沢山あってそれなりに面白かったが、途中でDeNAに勝ち運無しと見切って方々の裏番組を見て過ごした。具体的に言えば、ラミレス監督が懸命に奮闘していた今永投手を6回で引っ込めたところで「DeNAさん、ここまで楽しませてくれて有り難う」と見切ったのだった。

それは、解説の元ヤクルト監督の大矢が救援に出した「三上という投手を統計の実績ほどには評価していない」と決めつけたのに同感だったからだ。果たせるかな、あの始末で倉本のエラーが出たのが致命的だったし、本塁では主審がアウトと判定したことまでがビデオ検証でひっくり返されてしまった。「運」というものはかくも弱い方に残酷に当たるものだという悪い例だった。きついことを言うと「エラーをするのは弱いからだ」なのだ。

しかしながら、あのビデオによる判定は合理的だとは思うが、相撲の行司が屡々検査役の物言いで判定を覆されるのと同様に、何となく面白くないような気がするのだ。あれでは、「最初から本塁上を上下左右というか四方八方から検知するAIのような検査機を据え付けて判定させたら如何か」と言いたくなってくる。要するに、審判や行事は何の為にいるのかという素朴な疑問だ。

あの場面でも、出てくるだろうと思った途端に工藤監督が出てきてビデオ検証を要求し、判定が覆った。この制度が導入されていなかった頃ならば、DeNAは3対3で次の攻撃には入れていたのだった。審判も人であるから時には見損ないもあるのが、人がやっている競技の面白さだと思う。アメリカで採用されたからと言って直ぐ飛びつくのもどうかなと思うのだ。

ではあっても、やはりDeNAはソフトバンクに対しては、多くの面で一歩も二歩も遅れていたのは間違いないと思う。昨夜は折角当たっていなかった宮崎のホームランで一度は運を味方に付けかけたのだったのだから、明日以降は如何に「運を腕で消さないようにするか」に励むべきだろう。尤も、その前に運を呼び込まねばならないのだが。


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