新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「マウンテイング」とは

2021-04-27 08:02:58 | コラム
「マウンテイング」とは新発見のカタカタ語だった:

最新のPresident誌に掲載されている有志の座談会で、この「マウンテイング」という余り肯定的な意味で使われていない言葉が多用されていて、その大凡の意味を悟った。だが、念の為にとあらためて検索して確認できたので、敢えて紹介してみようと思う。

>引用開始
マウンティングとは、自分の方が相手よりも立場が上であること、また優位であることを示そうとする、行為や振る舞いのこと。特に、対人関係において、自分の優位性を示そうと自慢したり、相手を貶したりすることを指す。
<引用終わる

それではと、なお追及してみることにした。すると、英語の“mount”にはそう言う意味はなく、紛れもないカタカナ語だと知り得たのだった。感じ入ったことは「矢張り我が国には英語の単語の知識が豊富な方が多く、mountという単語をこのように応用して『マウンテイング』という概念を創り上げてしまったのだ」という点だった。私には到底到達できない創造力だと真面目に感心した。

敢えてお断りしておくと、今回はカタカナ語批判をしようと言うのではないということだ。それは、私は長い間のアメリカの会社暮らしで、彼らの「余所様に言って頂く前に、自分から言い出そうという思考体系に染まってしまっていた」という点だ。その表れが、何かといえば「アメリカ及び世界での有数の紙パルプ・林産物会社のミードとウエアーハウザーに通算で22年以上も勤務していたこと、往年(と、言わねばならないのが残念だが)は我が国有数の進学校だった湘南高校から、今では四大私立大学の一角を占めると評価して頂いている上智大学出身であることに触れている点」は、読者の方や世間様からすれば「マウンテイング野郎」と看做されているのではないかとの懸念である。

自分としてはマウンテイングをしてやろうという意図など毛頭なく、唯々自分が何者であるかを知って頂こうと思っていただけだった。だが、この「マウンテイング」の概念というか定義を知れば、私はその範疇に入る間抜けだったと言われても仕方がなかったと、反省しきりなのである。正直なところ「いやはや」との思いだ。

同時に感心したことは「何でも嫌がらせや職権乱用ややいじめの範疇に入る行為を全て『何とかハラスメント』に纏めてしまう概念と造語を創り出す力量の凄さ」である。この「マウンテイング」にしたところで、上述のような長文(?)の表現になる概念を、たった一言に纏めてしまったのは凄いと思う、正直なところ。何とかハラスメントも同様で、私が長い間の英語暮らしの間に一度くらい聞いたか使ったことがあったかと思う程度の固い単語の“harassment”を応用して「パワハラ」等々を創り上げてしまい、漢字の文化を追い払ってしまったのは凄いと驚嘆している。

話は違うかも知れないが、先ほどもテレビのニュースで飲み屋の社長が「マイナスイメージを与える」と言っていたのを聞いて、これを英語で表現して見よと言われたら「暫くお時間を頂戴して考えたい」と言っただろうと考えてしまった。二つの単語を使って「否定的な概念を思わせる」か「好ましくない印象を与える」とでも言えば良いかと言いたいようなことを表現してしまった。矢張り漢字の文化を避けて通ろうという傾向が著しいと思わざるを得ない。


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