新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月9日 アメリカという格差社会の国のタクシーの考察

2020-04-09 15:31:53 | コラム
アメリカのタクシーは我が国のタクシーは違う:

私は合法や非合法を問わずに、勝手に入って来てしまった外国人を受け入れる寛容さがアメリカという国の良さであり、見方によってはお人好しな点だっただと思うのだ。同時に「そのような決して上流とは言えないような職しか与えない」という冷厳な階級制度と言うのか、そういう階層の人たちの為の職種があるのもアメリカの特色だと見ていた。

私はシアトルでもニューヨークでもシカゴでもデトロイトでもサンフランシスコでも何処でも、仮令アメリカ人であっても道も知らず、引き算も足し算も出来ないようなタクシー運転手に出会っていたものだった。特に記憶に残っているのが、1990年4月にNYのJFK空港から市内に入るときに乗ったタクシーのエチオピア人に運転手だった。彼は祖国では会社を経営していたそうだが、社会主義政権の資本家に対する搾取に耐えかねて脱出してきたと、滔々とおかしな英語で語ってくれたのだった。お陰様で直ぐに5番街まで到着したが、エチオピアの政治体制のなど何も知らない私はただ「うん。うん」と聞いていただけだった。

アメリかでは都市によって制度は違うだろうが、飽くまでも一般論では彼らの多くは個人タクシーで、会社から車を借りて営業しているのだ。故に、メーターなどあってもなくても同じで、ただ単に目的地までも料金の目安に過ぎないのだ。何時のことだったか、オレゴン州のポーランドの空港では客待ちしていたタクシーが同じ方向に行くお客で満員になるまで動かない運転手にも出会ったことすらあった。しかもその運転手のせこいことと言えば、乗り合わせた全員からそこまでの料金を取っていたことで、大変な稼ぎをしていたのだった。

勿論怖い目にも少しは遭っていた。アメリカでも何処でも外国でタクシーに乗るときには、先ずは運転手に可能な限りというか知っているだけの現地の言葉で語りかけて「好い加減な道を走って料金を誤魔化すな」と思わせておくことが肝腎だと教えられていた。そうであれば、私はアメリかでは必ず“Hey! How are you doing, buddy?”と言ったようなざっくばらんな口調で話しかけて「英語は解るのだぞ」と思わせていた。上海では北京語も上海語も知らないので英語で話しかけて、アメリカ人だと思わせるように努め、インチキはされなかった。

怖かったのは1981年だったかにシカゴに30数名のお客様の団体を引率してきておられた最大の得意先の部長さんに、団体客の中のお一方をデトロイトの乳業会社の工場見学についていって欲しいと依頼されたときの経験だった。当時は既にデトロイトは寂れて治安も悪いと聞いていたので、おっかなびっくりご案内した。空港から乗ったタクシーは道を承知していたが、雲つくような大柄で人相が悪いアフリカ系だった。正直に言って本当に薄気味悪かった。しかも、メーターは故障していてアッという間に目が飛び出るような金額になってしまった。

だが、運転手は少しも慌てず「心配ないさ。目的地に着いたらチャンとした金額を請求するから」と言うのだった。途中で車窓から見た荒れ果てた町並みも怖かったが、料金はもっと怖かった。だが、請求されたのは法外な値段ではなかったので一安心だった。その会社で確かめると料金は正当なものだった。ところが、帰りに呼んで貰ったタクシーも同じ運転手だったのには股驚かされた。ではあっても、こう壊れたメーターの心配は必要なかったのだった。

私の経験から言えば、車も綺麗で礼儀正しく、メーターを守っているタクシーは我が国だけの美風だろう。1980年代だったかに、シアトルのフォアシーズンズ・ホテルの前から乗ったタクシーのフロントの窓に所に“English spoken”という札を出ていたのは笑えた。それほどシアトルでも外国人の英語も出来ない運転手が多いと言うこと。このタクシーの運転手は白人だったが、ウエアーハウザーへの本社への道は私が教えたのだった。これぞ、彼等アメリカ人が屡々言う“Welcome to the United States of America.”だと思う。



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