新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月21日 その3 英語の単語とカタカナ語の使いすぎを戒める

2020-12-21 14:48:27 | コラム
日本語を乱さないで欲しい:

小池都知事は余程ご自分が英語に熟達しているところを見せたいようで、1回のテレビ等に登場されるや必ず英語というかカタカナ語が出てくる。昨日も都内の感染者が日曜日での最悪、いや最高を記録したことについて、休日でもインタービューに応じられたのだろう,見解を述べられた後で「何れメッセージを出す」と言われた。残念ながら私にはメッセージと言われても「何を仰りたいのか」が解らなかった。と言うよりも、普通にはこういう言葉を使うことは滅多になく、英語ではもっと具体的に表現する性質なのだから。

そこで、ジーニアス英和を見ると[・・・からの/への]伝言、伝達事項、(ご)用件from/for, to];[・・・という](手紙、電子メールなどの通信(文)[to do、that節]が先ず出てくる。2番目に「(アメリカ大統領の)教書」というのが出てきた。そこで、何とか小池都知事が言いたかったであろう事を推理してみると「何らかの通達を出す」か「何らかの対策を打ち出す」という辺りかと想像できる。何れにせよ、格好を付けて英語の単語を使われる意味はないと思う。私は「お止めになった方が良い」と何度も言ってきた。

英語の単語の過剰な使われ方は何も小池都知事に限られたことではない。政治家、ジャーナリスト、専門家、大学教授等々の偉い方々は何の目的か知らないが、英語の単語を好んで使われる。しかも圧倒的多数の方は日本語における漢字での熟語に替えて使われる。その為にかえって意味不明になる程度なら未だ良いが、英語本来の意味を取り違えておられる場合もあるのが残念だ。しかも、そうすることが何か権威付けになるか、博学多識である事を誇示する気のようだが、私はお止めになった方が良いと思う。我が国の学校教育の単語偏重の悪い面が出ているだけだから。

例を挙げろと言われそうだが、「ガバナンス」、「コンプライアンス」、「サポート」、「ハードル」、「インパクト」、「ケースバイケース」、「バイ(ラテラルなのだろう)」等々と枚挙に暇がない。「それほど英語の単語が使いたいのならば、いっその事全部英語で喋ってみたらどうか」と言いたくなることすらある。

カタカナ語のおかしな表記に行こう。先日製薬会社の“Moderna“の表記で驚かされたことは採り上げた。これは断じて「モデルナ」ではないと言ったばかりだ。実は、一寸必要があって「レムでシビル」の英語表記を調べたのだった。ところが、私にはこれは「レムデシヴァー」としか発音できない綴りだった。即ち、Remdesivirだったのだ。私の1945年からの英語の経験で“vir”と書いて「ビル」乃至は「ヴィル」と発音することは考えられない。これがドイツ語かスペイン語ならば話は変わってくるかも知れないが。何処の誰が最初に「レムデシビル」にしようと決めたのか。

一般論としてはおかしなカタカナ表記はローマ字読みの為である事が多いが、英語では“r”をそのまま「ル」と発音することは極めて例外的だと思う。とは言ったが、その例外の例を挙げて見ろと言われても俄に思いつかない。どうしてこうなってしまうのだろう。“sir”という良く知られた言葉がある。“Yes, sir.”と書いて「イエス、シル」と言うことがあるかということだ。「人か物が動く」という意味の“stir”があるが「スター」であって「ステイル」とは発音しない。どうして、英語本来の読み方と発音を勝手に変えるのだろう。

「また、例によって同じ事を言っているな」との批判が来るだろう事を承知で言っている。言い続ける理由は「こんな事をやっていて、英語教育の強化などを唱えるのは無意味だ」と指摘したいのだ。また更に同じような事を言うが「世の英語教師たちは何をやっているのか。恥ずかしいとは思わないのか」なのだ。



コメントを投稿