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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「何の専門家なんだい」

2020-05-05 09:39:51 | コラム
専門家会議への依存に対する疑問:

件名は先ほどテレ朝で中尾彬が言っていたこと。「あの程度のことなら俺でも言えるよ」と、専門家会議の新生活様式への提言をくさしていた。尤もだと思って聞いていた。安倍総理は昨4日夜の緊急事態を5月31日まで延長する記者会見でも、何度か『専門家に相談して』と言われたし、かの西村康稔大臣も何かと言えば自分で決めるとは言わないで常用する逃げ口上でもある。私は既に何度か採り上げて疑問を呈しておいたが、政治というか総理や閣僚がこの重大な時期にあって「自分で決断するが専門家の意見も聞く」と何故言えないのかと極めて不審に思っている。

これも既に採り上げたことだが、国にとってあれほど重大なことを決める為の諮問機関に、感染症や疫病の専門のお医者様のみを集めて、危機管理の専門家もエコノミストも入れずに依存するだけに終わらず、陰の存在を表に出して不慣れなプリゼンテーションまでをさせてしまうような他人依存の政治手法には、飽き飽きしているのだ。私は繰り返して言うが、あの尾身茂副座長が担当したプリゼンテーションなどは、内閣の誰かがやるべきものであり、お医者様に依頼したこと自体が判断の誤りだと思っている。

私がここまであの専門家会議への依存を否定し批判するのには、それなりの理由がある。その点を例え話で説明してみよう。それは「入社以来工場で製造の現場で実際に機械を操作して実績を挙げてきた技術者を、その高い技術を高評価し大抜擢して、いきなり営業本部に異動させて、会社最大の重大な得意先の営業を担当させたのと同じだ」ということ。如何にその技術者が現場で優秀であっても、政治的判断をする場合も多々ある営業担当に向いているかいないかは、深く考えなくとも解ることではないか。

確かに専門家会議にはその道の権威者なのだろうと思わせられるお医者様は多いと思って見ている。だが、そういう方々を集めて感染症や疫病に関して教えて頂くことは政治しか知らない閣僚には必要なことだとは解る。だが、私には安倍内閣の依存度を見ていると「隠れ蓑」代わりにしているかの如くに見えるのは何故だろう。中尾彬の指摘も尤もだと思うし、「何故一国の内閣の閣僚足る者が自分で判断して決める」と言えないのかと、重ねて言いたい。

古い話になるが、1953年にニューヨークから来た真珠のバイヤーの手伝いをしたときに、ある報告書を纏めるように指示された。大学の文学部英文学科の3年生だった私は何ら躊躇うことなく、一気呵成に文章を書いていったし、勿論改行するなどは考えてもいなかった。そこで雇い主から「駄目だ」と言われた。それは「その書き方は君がビジネスの世界にいたことがないと示している。報告書である以上、各項目別に箇条書き(=“itemize”という、念の為)にしないことには、読む方が解り難くなる」という指導だった。「なるほど」と大いに勉強になった。

何故こういうことを持ち出しかと言えば、専門家会議のお医者様たちは優れた技術者であっても、政治的な要素も入ってくるビジネスの世界の権威者ではないのだ。日常的にアメリカ式のプリゼンテーションを内部や外部の場でやって来られた訳ではないのだ。しかも、先日のようにあれほど重要な説明を技術者であるお医者様に依頼した内閣の方針がおかしいのだと、私は敢えて断言しておきたいのだ。専門家会議の構成員を再検討されることである以外に、あのような何かと言えば依存する態勢から脱却して欲しいと思っている。技術者に営業や経営をさせるのは疑問である。



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