この度のトランプ大統領の25%を通告の書簡には虚しさだけが:
今回のトランプ氏の相互関税率を通告する書簡で示した態度は「彼の無茶な姿勢はついにここまで来たか」と痛感させられた。「最早、この人物には何を言っても無駄だな」という虚しさを再認識できた。彼の主張には論理が欠落しており、経験不足と無知から生じる感情と打算で成り立っていると読んだ。
あのような「アメリカに売り込んだ日本が悪いのであり、必要に迫られて輸入した自国の責任を全く認識できていない態度」には言うべき言葉すら思い当たらなかった。その発想を止められなかった閣僚も側近もdummy(言いなりの飾り)でしかなかったことが立証されていたではないか。いや、浮き彫りになってしまった。ベセント財務長官もUSTR代表も恥を知るべきではなかろうか。
「アメリカに売り込んだ日本が悪い」という認識というか、いびつな物の考え方は極めて倒錯した論理ではないか。実際には、アメリカが自らの市場原理と、国内製造業の空洞化で内需を満たすことが不可能になったが為に、輸入せざるを得なかったのではないか。しかも、国内の労働力の質に問題があった為に、自動車のように良質の輸入車に市場を占拠されたのではなかったか。
国内の事情で進んで輸入していたにも拘わらず、それを後から「損をさせられた」であるとか「不公平だ」と言い出すのは不当である。全く筋が通っていない。ましてや、日本が過剰に輸出してきたのではなく、アメリカが内需を充足すべく過剰に輸入していただけだと、私は認識している。即ち、貿易赤字は日本の責任とするのはunfairなのである。
「輸入したくて輸入しながら文句を言うのか」と、我々対日輸出に努力していた会社では、1990年代に入る前からこう言って笑っていた。自ら進んで買い求めて消費しておきながら、その後になって「これは相手国のせいだ」と責任転嫁するのは、世界最大の経済大国が言うべき事ではない。アメリカも右ハンドルで小型の乗用車を作って、輸出に努力せよと指令するのが大統領の責務では。
トランプ大統領のように、「相手が悪い」であるとか「自国は貪られた被害者」という古き誤解に満ちた構図に固執する限り、同盟国以外とでも正常な貿易取引は成り立たなくなるのではないか。我々が最も重要視して努力を集中したことは、取引先との信頼関係の確立だったのだ。トランプ大統領には「信頼無くして何の国際親善で貿易関係か」と言いたい。この点を可及的速やかに理解させるのが側近の急務だ。
私はトランプ大統領は前期の就任以来「他国と交渉することと、責め立てることとの区別がついていなかっか」と疑っていた。英語にすれば、“He has always mistaken bullying for negotiation.”とでもなるだろうか。今回の書簡もこの延長線上にあるのではなかろうか。私はここでも石破首相に「50議席確保を捨ててもDCに赤沢氏を伴って飛んで行って貰いたい」と進言して終わる。