アメリカにおける会社の在り方は:
始めに:
日本では「会社」、英語では“company“とは同じものではないということから入って行こう。かく申す私もその辺りをそう深く考えずに(今になって考えれば無謀だったと言うしかないが)1972年8月に転進したのだった。だが「これほど違うのか」と気が付き「その相違点を纏めてみようか」と考えるようになったのは2社目になったWeyerhaeuser Companyでの10年目くらいからだった。その文化の相違点をこれから取り上げて論じてみよう。
なお、本稿の目的は「アメリカにおける会社という存在が日本とは違う点を取り上げることにある」ので、両者の優劣は論じているのではない、念の為。
導入部:
1972年8月に未だ39歳の時に、アメリカ紙パルプ産業界の上位5社の中に入っていたMead Corp.に日本駐在のパルプマネージャーとして転進したのだった。その頃には純情にも(「naïveにも」でも良かったかも知れない)日本とアメリカの企業社会には明らかな「文化の相違がある」などとは考えてはいなかった。だから、これから担当する任務の責任の重さと仕事の運び方を意識して、何としても期待通りに働かなければなるまいと考えていた。
そして、ここでも偶然と運と私に向かって流れてきた逆らいきれない運命があり、1975年3月から同じ紙パルプ・林産物業界第2位のWeyerhaeuser Companyに転じることになった。その15年後の1990年に「Japan Insight―日本とアメリカの企業社会の間に存在する文化の相違」と題したプリゼンテーションをウエアーハウザーの本部で敢行することになった。72年にMeadに転じて以来18年を費やしていたのだった。
それほどの年月を費やして理解し認識できたことは、例えて言うならば「日本とアメリカの企業社会ではそれぞれのOS(operating system)が別種であるか、全く違っている」のでありながら、双方で「相手国のOSもこちらと同じはずだから、有無相通じるべきだ」と思い込んでいる点なのだった。
取締役会(BOD, Board of Directors):
ここが日本の会社というか、日本における取締役とその集まりと非常に違う点だろう。アメリカでは取締役とは内部の社員から選ばれて、社員ではなくなって昇進する地位ではないのだ。社外の関係先、地域社会の大手企業等々の経営陣から選ばれてくるのである。具体例を挙げればWeyerhaeuserのCEO George Weyerhaeuserが同じワシントン州内の二大企業であるBoring Companyの取締役であり、Boeingの取締役会長がWeyerhaeuserの取締役であるようなことだ。我が社ではその他にシアトルの銀行の頭取も役員になっていた。
取締役は日常の業務には関与しないが、会社側から会社運営上の重要案件の審議を依頼された時にBoard meetingが開催され慎重に討議された上で採否が決定されるのだ。我々現業部門ではBODに上程され審議される提案書の作成の際には部員全員が集まって、内容も兎も角、言葉遣いにまで細かく神経を使っていた。審議中には全員「ハラハラドキドキ」して結果が出るまで、それこそ息を呑んで待っていたものだった。
人事問題=4年制の大学の新卒の採用:
日本では当たり前のことである「入社試験をして新卒者を毎年定期的に採用して、その会社の方針で教育していく形」は「アメリカ、特に製造業にはそういう制度も慣行もない」という違いがある。尤も、金融/証券界はそうではないようであるが。私が知り得た範囲内では、4年制の大学の新卒者(BA)は先ず銀行や証券会社、会計事務所、または製造業内の工場等に就職し、そこで実務の習得を図り、経験を積むのだ。そこで得た知識と経験を活かして、大手製造業から勧誘を受けるか、自ら売り込むか、人材会社に登録しておく等々の手法で、我が国で言われ始めた「job型雇用」のチャンスを待っているのだ。ここで注目すべきことは「製造業の工場は本社機構とは別個の存在で、そこで採用する人材は言わば「地方採用」で、そこから年月を経て実績を積んでも本社に転属することは例外的であること」なのだ。
本社機構:
ここに所属する者たちの中には新卒で入社した人はいないと思っていて誤りではない。何故かと言えば「彼等は事業部の運営についての全権(人事権も含まれている)を持つ副社長兼事業部長が必要に応じて随時に日本式に言う「中途採用」した即戦力の者ばかりなのだ。部員の一人一人が色々な業界で経験を積み、実績と手腕を評価されて採用されてきた実務経験豊富な者ばかりなのだ。彼等の学歴も様々でundergraduate(4年制の大学出身者)もMBAもPh.D.もいるという具合。
こういう事を聞いた方の中には屡々「それは紙パルプ産業界だけの現象では」という疑問を呈される。答えは「副社長兼事業部長は地方の工場でのローカル採用からその才能を見込まれて本社機構に転じて、シカゴの牛乳パック営業所から製紙部門に上がってきた人物、当時営業部長職のMBAは食品包装業界から、技術サービス担当は原子力関係の会社から、内勤のリーダーの女性はは人材派遣会社から、日本以外の営業担当は閉鎖された香港支店の材木担当者だったのだ」で充分だろう。紙パルプ産業界から入ってきたのは私だけだった。
Rank and title(地位と肩書き):
アメリカの組織では日本のように新卒で入社したときは何らの地位を表す階級はない。私たちの間では「ノン・タイトル」などと戯称していた。だが、年功と成績次第で主任、係長、課長代理、課長、部長代理、部長、本部長、取締役と昇進していく。
アメリカ〔の製造業界では〕にはそういう制度は無い。言うなれば部員全員が事業部長の下に横一線で並んでいるだけ。また、横一線の中から順繰りに昇進することも滅多にない。但し、その中でもmanagerとなっているものはいるが、それは肩書きであって、日本のような役職ではない。そもそも給与は本給一本のみで、日本式の役職手当も、住宅費も、交通費等の手当は皆無なのだ。英語では“flat pay“と良い、年に一度事業部長と1年間の成績を話し合って昇級、据え置き、減俸を決める。
Anti-Trust(独占禁止法):
この法律は非常に厳格に適用される、私が最も「アメリカ的」だと感じさせられた法的な規制だった。
。具体的な例を挙げれば「談合を防止する為に会社員たる者はその業種の会社の会合事前に上司の許可を得る必要があり、その席上で何らかの協定を結ばなかったことを、参加していた弁護士に証明される必要がある」のだ。また「例えば、ホテルなどで偶然に顔見知りの同業他社の営業担当者に出会った際に握手でも交わし、その場を写真にでも撮られてしまえば、そこで談合か情報交換がなかったことを証明できなければ、独禁法違反の嫌疑で逮捕起訴される危険性もある」のだ。ここまで規制されているので、アメリカの会社では同業他社の動き、生産の状況、人事等々について詳細な情報の把握は極めて困難なのである。
我が社では1970年代の初期に偶然に業界の会合に参加した管理職が「談合」の嫌疑で拘束され、不起訴にはなった。だが、社長からは「今後如何なる嫌疑ででも独禁法違反を疑われた者は即刻馘首で、起訴でもされれば法廷費用等一切は個人負担」と布告があった。我々東京駐在の社員にも独禁法違反の項目が記載された分厚いファイルが配布され、末尾には「違反した場合に馘首されても異議は申し立てない」との項目の後に署名するようになっていた。禁止項目の中には「取引先の株式保有は原則禁止、もしも保有しなければならない事態が生じれば、所属部門の長に申し出て可否を相談すること」というのもある。これがアメリカなのである。
余談になるが、“anti”は「アンタイ」と発音される。即ち、「アンチ・トラスト」とは言わないのだ。
続く)
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