新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

サッカーW杯最終予選の最終戦を見て思うこと

2022-03-30 09:23:45 | コラム
再び森保監督の見識と力量に疑問を感じた:

私に言わせれば、歯痒くて腹立たしい試合だった。マスコミはベトナムに勝てばグループ1位通過となると言いながら、この試合にはオーストラリアに勝った顔ぶれを変えると伝えていた。戯言ではないか。監督も彼等もそう踏んでいたのだろう。だが、控え選手を9人も出した試合は情けない展開になった。私が特に呆れたのは、長いこと下手くそであると貶してきた、恐らく代表選手中最高齢だろう川島をGKに使っていたことだった。「ベトナムを舐めているな」と読んだ。

結果は引分けで「沙汰の限りではない」というか、言語道断の出来だった。日頃纏まって練習をしてきたとは思えない者どもを「23人の枠を決めるために力を試す」というような美名の下に使ったのだろうが、見ちゃいられなかった。いや、見るに堪えない下手なサッカーになってしまった。

特に酷いと見たのはこういう点だった。それは前半にはオーストラリア戦の殊勲者と報道機関が称える三苫がいた左側からの攻めに偏っていて、一向に結果が出ないにも拘わらず、左側で細かい無用なパス交換に終始したのは全く頂けなかった。折角右側に起用した久保建英の方には殆ど球が回ってこないので、彼を活かすような形になりようがなかった。あれは遠藤航がいなくなって、代わりに出した柴崎と原口の無能のせいかと思ってみていた。あの状況を変えようと気が付く者がいなかったのも情けないが、指揮官は何を見ていたのかと問いかけたい。

次なる問題点は、解説の内田篤人が見かねたのか遠慮がちに指摘した「後方へのパスが多いので、ベトナムがデイフェンスの体系を容易に整えている」戦法である。それは私が忌み嫌ってきた「自分で切り開こうとしないで躊躇うことなく、後方にフリーでいる仲間にパスしてしまうこと」だ。相手はランキングでは遙か下位にあるグループ最下位の相手だ。それでもピッチ全体を広く使うバックワードパス(カタカナ語では「バックパス」だ)で責任回避の挙に出るのだ。「自分でやれよ」と何度か怒鳴ってしまった。

相手は「5バック」とやら呼ばれる後陣に5人を並べて守っているのだ。少しでもサッカーをやってみれば分かることで「引いて守っているのを相手にした場合には守備陣の壁が形成されるので、幾ら蹴っても誰かに当たってゴールまでには届かない」のだ。彼ら二線級の代表にはそんな大原則も分かっていなかったし、その壁を如何に崩すかの工夫は微塵も感じられなかった。後半になって伊藤純也を始めとして何名かの本物を入れたが、結果は変わらなかった。やっと取った1点だって、流れの中でもなくGKの捕球し損ないを吉田麻也が素早く詰めて蹴り込んだだけのこと。賞賛には値しない。

GKの川島は矢張り無用の長物だった。あのかなり良い球が入ってきたCKに対して一歩も動けず、棒立ちだったところにヘディングで決められてしまった。情けなかったし、あの相手をフリーにした守りの体系も困ったものだと思って見ていた。ここまでは全て監督の選手起用の誤りと、公式戦を選手選択の場にしてしまった不見識を問いたい。あの監督のやり方で何時も奇異に感じるのは「必ず久保建英を途中で引っ込める起用法」である。オリンピックでは堂安と組ませてあれほど使えていたにも拘わらず、A代表では常に交替させられ要員なのだ。

未だ本番までには何ヶ月か残っているようだから、無理をしてでも全員を集めて「一つのテイーム」として機能するような練習をしておかないことには、ベスト8などというのは無理があるような気がした。マスコミも例によって見当違いだ。三苫は確かにオーストラリア戦で2点は取ったが、1点目はあのゴールラインギリギリの深い位置から綺麗に三苫に合わせたパスを蹴り込んだ山根が称えられるべきだったのだ。何度も指摘してきたことで「点を取った者が偉いのではなく、組み立てた者が立派だった」なのである。昨夜は彼を使えた者がいなかったではないか。

あの代表テイームの最大の欠陥は、一にも二にも「決定力不足」なのである。これは「ちゃんとした流れの中での組み立てが出来ないこと」であり、確固たるポイントゲッターの不在は別な問題である。何度でも言うが、大迫君にはポイントゲッターとなる力はないのだ。昨夜の上田などは大迫の代役にすらなれていなかった。森保監督はこの決定力不足をどうやって解消するかを考えるのが焦眉の急だと気が付いているのか。