新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月16日 再び"r”の発音と表記について

2022-03-16 09:46:15 | コラム
何処の何方がかくも不統一にしたのだろう:

昨日だったか、テレビで「ポルノグラフィティ」という2人組のバンド(と言うのかな?)を取り上げているのを聞いて「あれ!これもか」と思いついた。検索するとアルファベット表記は“Porno Graffitti”とやらになっていたのだった。このPornoとはご存じ「ポルノ」とカタカナ語で表記されている「あれ」のことだ。今日まで、ここまで思いが至らなかったが、何処かの何方かが“r”を「ル」として表記していたのだった。何時頃から「ポルノ」という略語が導入されたか知らないが、そやつは得意技の「ル」にしていたとは気が付かなかった。

既に指摘したことで、我が国のカタカナ語製造業者の仕事は、何もこの”r“の表記に限ったことではなく実に粗雑なのだ。元の英語では滅多なことでは「ル」とは発音しない”r”を時には原語の儘に放置するかと思えば、誤った「ル」としてしまうのだ。近頃最も腹立たしかった例がModernaを「モデルナ」としたことと、Kordaさんを「コルダ」としてしまったことだった。言うまでもないが、「モダーナ」と「コーダ」にすべきだった。こういう例は山ほどあるが、energyを「エネルギー」としてしまったのは英語の発音と2ヶ所で異なっている始末だ。

そこで、今回は「ル」としなかった例を極力五十音順に取り上げてみようと思う。その目的は不統一な点を指摘することにある。何れ「ル」にしてしまった不埒な例も取り上げたい。

「アート」=art。なぜ「アルト」にならなかったのだろうか。

「ウオーター」=water。「ワーテル」にはならなかったが、「ワーテルロー」なんて言う地名もあるが、ベルギーの話だ。

「オーダー」=order。「オーダーメード」だの「ラストオーダー」などというカタカナ語になっているが、何故か「オルデル」にも「オルダー」にもならなかったのは奇跡的だ。尤も、1970年にフィリピンに行った時に”We received anオルデル.“や「イン・オデル・ウオルズ」と言われた時には一瞬「???」となった。スペインド訛りだった。後者は”in other words”だった。

「カート」=cart、「カード」=card。「カルト」や「カルド」にはされていなかった。

「コーナー」=corner。これは「コーネル」にも「コルネル」ともならなかった。

「サポート」=support。今や「支持」や「支援」という熟語や「支える」は何処かに吹き飛ばされてしまった。

「ショートストップ」=shortstop。野球用語では「短い」という意味の「ショート」になってしまった。

「センター」=centerまたはcentre。これも「センテル」とはされなかったが、UK式の方を採れば「セントレ」になっていたかも。

「ターゲット」=target。近頃「目標」と言わずにこの言葉が多用されるようになった。だが、何故か「タルゲット」にはならなかった。

「ナンバー」=number。印刷業界にはフランス語から来たページ数を表すnombreと言うのがあって「ノンブル」と言われている。

「マーケット」=market。素直に「マーケット」しかない。

「モーター」=motor。「モートル」とはならなかったようだ。これと関係するかどうか不明だが、往年の勝新太郎と田宮二郎の「悪名」だったかの映画では、田宮二郎が「モートルの貞ヤン」という役で出ていた。

もうこれくらいで十分だろう。一寸思いついただけでこれほど「ル」と表記しなかった例があるにも拘わらず、「ル」としたがる輩がいるのは何故だろう。少しでも「辞書を引いて確認しよう」という気があれば、こんな不統一なことにはならなかったのではないかと思う。この現象は英語教育の所為か、ローマ字読みの悪影響か。またはスペイン語の発音に惑わされたのかと思っている。何処かで誰かが立ち上がって是正すべきだ。


ロシアの侵略戦争に思う事:

2022-03-16 08:19:30 | コラム
戦時中に育った者として思う:

5月には終わるのか:
私の「閃き」では「5月半ばまでには」と出ていたが、ウクライナの大統領府の方だったかは「5月にはロシアの侵攻は終わるだろう」と言われたとかだ。これだと、1日から31にまでで幅が広すぎると思う。報道によれば、ロシアの国営テレビ局の女性キャスターが生放送中に「戦争を止めよう」と発言したら3万円の罰金を科されたそうで、国内には厭戦気運が出ているとかだ。だが、プーテイン大統領はこれくらいのことで侵攻を止めることなどあり得ないだろう。

ロシアの攻め方:
大東亜戦争中のアメリカの我が国の本土を空襲してきた手法を思い出せば、こんな事を言うべきではないと知りつつも言うが、現在ロシアが保有しているだろう核兵器や近代的?な化学兵器等の存在を考えれば、未だお手柔らかな方だと思わせられる。学校や病院を狙っているロシアが非道だと報じているが、これは戦争なのだ。あの頃には我が国では「無差別爆撃」を浴びたのだった。兵力でも戦力でもない一般市民が住む東京が焼け野原にされたのだった。これから先に行き詰まるかも知れないロシアが何をするかを、考えておく必要があるのではないのか。

停戦協議:
4回目でも成果が得られなかったと報じられている。当たり前だと思う。プーテイン大統領が派遣した連中に「何らかの決定を下すか、ウクライナ側と合意して宜しい」という下部への権限と責任を委譲することなどあり得ないのだから。良く考えるまでもないことで、両国とも大統領制の国だ。プーテイン大統領がその場に出ていく訳がないだろう。

経験からも言えることで、彼らの世界では決定権を持つ者はごく限られている。我が事業部ではその運営に全責任を負う副社長兼本部長だけだった。私が転進した直後に古参の技術サービスマネージャーに諭されたことは「お客の前で迂闊に値段の話をするな。価格の決定権はCEOにしかないくらいに心得ておけ」だった。要するに、重大な決定を下す権限を与えられている者はそれだけ責任が重いのだが、その分だけ収入も多くなる世界と言うこと。

念の為に英語では“delegation of responsibility”が「責任の委譲」で、“authorization”にすれば「権限の委譲」となる。誰に委譲するのかと言えば「下部」である、プーテイン大統領が何処の誰に委譲するのか。そんな者を側近に置いている訳がないだろう。