新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

Eine Kleine Nachtmusik

2022-03-18 09:54:41 | コラム
クラシカル音楽をBGMに;

今朝はモーツァルトのこの件名に掲げた曲を選んだ。先日、2006年1月に最初の心筋梗塞で入院した際には、お見舞いに頂戴したモーツァルトの10枚組のCDを聴いたお陰で、19日の滞在で退院できたと回顧した。だから、モーツァルト様には感謝している。だが、本日この曲を取り上げたのには他の理由もあるのだ。その辺りを思い出してみよう。

クラシカル音楽には疎かった私が、同期入社のMM君(何と頭文字にすれば私と同じなのだった)に行きつけのバーであると連れて行かれたのが「アイネクライネ」だった。彼が得々として語った事はと言えば「このバーのマスターも自分もこのモーツァルトの曲のファンであり、その曲名に因んで「アイネクライネ」としたのだ」だった。だが、正式には「アイネクライネナハトムジーク」(=小さな夜の曲)だというのだった。

私は今考えても不思議なことで、当時の上智大学の規定では「第2外国語に英語を選択して良し」となっていたので、躊躇うことなく英語を選択したので、遂にドイツ語もフランス語もスペイン語も知らずに卒業できたのだった。という言い訳で、この「アイネクライネナハトムジーク」の意味などは知る由もなかった。少し察しがついたことは「ムジーク」は“music”のことで、「アイネ」とはドイツ語で「アインスツバイドライ」が「一、二、三」を意味するようだから、多分「一」と関係がある言葉かな」くらいだった。

その「アイネクライネナハトムジーク」をあの2006年以来、それまでのジャズファンから一転して、と言うよりも半分転換してクラシカル音楽、それもモーツァルトを好んで聴くように変節してしまった。その中でも、時々は、今は亡きMM君を偲んでこの曲を流すようにしているという具合だ。尤も、MM君の後を慕った訳ではないまでも、彼と同じインターナショナルペーパーに転進した某交響楽団のヴァイオリン奏者だったAN君は「モーツァルトを聴いて気分を悪くする人はいないでしょう」とは言ったが。

2006年の退院後には意図的にクラシカル音楽を背景に流すようになった。だが、キーボード入力をする際には重厚な交響楽よりもピアノの音楽の方の調子が良いので、流している曲もショパン、モーツァルト、ベートーベンくらいのものくらいだ。それも段々聴き込んでいる間にショパンの「英雄」と「軍隊」のポロネーズが好みになってきた。モーツァルトでは他に「トルコ行進曲」と「キラキラ星」も調子が良いので流している。ベートーベンの「悲愴」「月光」と「田園」が1枚になっているCDも良いが、BGMには一寸重い。

これらの大作曲家の音楽を聴いていて感じることがある。それは、一人ひとりを川に流れに例えてみると「ベートーベンは囂々たる大河の流れの如くだが、時には小川のせせらぎのような繊細さも感じさせるのに対して、モーツァルトは一寸複雑に曲がった色々な様相を見せるやや川幅が狭い河であり、ショパンは妙なる水の音を聞かせながら綺麗に澄んだ水が流れている中流の如きかな」という辺りになるだろうか。なお、ジャズも流さないことはないが、案外に聞き流しに出来ないので、BGMとしてはピアノ演奏以外を敬遠している。