新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月17日 その3 マスクを収納するケース

2020-06-17 15:33:08 | コラム
我が国ならではの細部までの気配り:

テレビのニュースで知ったのだが、東京都では何とかアラートも解除され外出して食事を楽しめる時が戻ってきたのは良いが、外したマスクの置き場に困る事に着目した会社があったというのだった。そこではプラスティックスのシートを使って、がま口のようなケースを作って恰も小型のバッグに見えるようなケースを仕上げて、ネットなどで好調に販売しているのだそうだ。私は長い年月日本市場向けの輸出を経験して、アメリカ人たちが「世界で最も製品の細部までを厳しい目で評価して、苦情まで言われる難しい市場だ」と言うのが解るようになった。

別な表現をすればと言うか極論をいえば「その製品本来の使用目的を離れたような細かい点をゆるがせにせず、彼等がいう“hawk eye”即ち「鷹の目」で、如何なる小さな欠陥でも見逃さずにクレームになるのだった。日本市場におけるこういう厳しさを認識できていない海外のサプライヤーたちは、何時まで経っても需要家や最終ユーザーに忌避されて「買わない日本が悪いのだ」と捨て台詞を吐いて撤退して行ったのだった。と、ここまで言ったが、ここは対日輸出の難しさを論じるつもりではなかった。

私も確かに「さて、マスクをどうするか。何処にしまうべきか」と少し悩んだ経験はした。だが、面倒なりとばかりにクシャクシャにしてポケットに突っ込むか、持っていたバッグかリュックサックの中に放り込んでいた。だが、テレビに登場されるお医者様の中には、かかる雑ぱくな扱いを許さない厳格な方がおられる。即ち、「ウイルスが付着したままではないか」と警告されるのだ。そこに着目したの上記の会社である。私に言わせて貰えば「如何にも日本式の細かいところまで神経が行き届いている事による着眼だ」となる。

極論を言えば「そこまでで、着用してきたマスクは使命を果たしたのから、その厳しいお医者様が指示されたように、ポリエチレンの袋にでも入れて口を縛ってゴミ箱に捨てれば済むことだ。そして、やおら持ち歩いている2番手のマスクを着用して帰路につけば良いだけではないのか」となるのだ。それでは勿体ないと言うだろうが、今やイスラム横町では今年中に完売できるかと危うく思わせられるほどの供給過剰だ。勿体ないなどと考えなくても良いだろう。帰路は新鮮なウイルスに冒されていない新品を着用して身を守れば済むこと。

実は、私が「是非お試しあれ」と推薦する簡便なマスク収納ケースがあるのだ。それは、¥100ショップでも入手できる「クリヤーファイル」である。通常はA4番用のものが店頭にあるが、私はその半分のA5版用のものがマスクにピッタリだと思う。これが手に入らなければ「エイヤッ」と、A4版用を半分に切れば良いだけのこと。その大きさのものをポケットに押し込むのは無理かも知れないが、これをそのままレストランでも何処でもテーブルの上に置くことだって可能だし、置き忘れもしないと思う。

矢張り、私として英語の講釈が忘れられない。「クリヤーファイル」は歴としたカタカナ語であって、英語の世界では通用しないと思う。大体からして“clear”には「透明な」という意味はないと思う。未だアメリカの人たちに確認したことはないので確信はないが“plastics file holder”とでも言うか、“file holder”でも良いと思う。もしかすると“transparent file holder“も解って貰えると思う。でも、「クリヤーファイル」が日本語で確固たる地位を築いたので、国内ではこれでも良いだろうと妥協して置く。


6月17日 その2 渡部建は論評に値しないが

2020-06-17 10:44:19 | コラム
再度この件を採り上げるのは不本意でああるが:

昨16日は暑かったこともあったし、老化した体調も思わしい方ではなかったので、何の気もなくソファーに寝転がってフジテレビのバイキングを聞いていた。(見ていたのではない、念の為)この番組だけでの流れではなかったが、各テレビ局に出てくる芸人どもは意外というか当然というか、この渡部建なる男に対して決めつけるように厳しいことを言わないのだ。即ち、「直ちに謝罪の記者会見などをすれば、一層事態を悪化させるだけだ」というようなどっちを向いているのか解らない意見すら出てきた。同情的だとすら聞こえた。

そこで、坂上忍がブラックマヨネーズの吉田敬(Wikipediaで初めて氏名を知ったのだが)に渡部の件をどう思うかと振った。吉田の答には興味を惹かれた。即ち「多目的トイレを目的外使用したことは問題とするが、その他は不問に付する」だったのだ。坂上も意外だと追う顔で更に突っ込むと「その他(の行為)が悪いと言うのであれば、このスタジオにいる者で残っていられるのはアクリル板とアンミカだけだ」と言い切ったのだった。坂上は唖然とした様子に聞こえたが、反論はなかった。

他局でもズバリと遠慮会釈なく斬って捨てたのは、芸人でもタレントでもない山路某だけで「あの渡部が犯したことを不倫などと言うのは誤りだ。単なる好色男の不行跡であり悪行だ」とにべもなかった。私はこの指摘が正しいと思って聞いた。週刊文春が「不倫」と書いたのかどうかも知る由もないが、渡部なる虚け者が犯したことは、人の道に外れた行為で論評に値しないと思う。だが、彼等は同じ業界にいる者が何をしようと寛容なだけだし、そうする方が視聴者が喜ぶのだと思っているのだろう。ヤレヤレだ。


何故言葉を縮めてしまうのか

2020-06-17 09:43:33 | コラム
株式会社コロナに思う:

私はこういう社名の冷暖房器具製造の会社があるとは承知していた。今回、同社の社長がその社名が従業員とその家族に負の影響を与えはしないかと配慮して、子供にも読めるようなかな文字の新聞広告を出したと報道で知らされた。そこで先ずWikipediaで確認すると、英文表記が“CORONA CORPORATION”となっていた。言うなれば、将にそのものズバリだった。確かに、現在の所ではマスメデイアも一般人も皆挙って「新型コロナウイルス」(COVID-19)を「コロナ」と呼ぶし、新聞記事もそうなっていれば、何処かの都知事は“With Corona”という意味不明な造語を発表された。

私は生来なのか、それとも何時かの時点からそうなったのか記憶も定かではないが、極めて言葉の使い方というか使われ方を気にするし、自分なりの基準を設けてそれに拘泥している。例えば、お気付きの方もおられると良いのだが、絶対に「米国」とは言わない。これは「そもそもの漢字を使っての表記が亜米利加だったのにも拘わらず、頭の亜を採らずに2番目の米の字を採用した事が理に叶っていない」と思っているからだ。訳語でも“United Nations”の「国際連合」も認める気がしない。何かに阿っている根性が気に入らないからだ。

そこで「コロナ」である。これはマスコミ独特の手法である「頭の部分を採って略称にしてしまう」にも沿っていない点を、認める訳にはいかないのだ。彼らの常套手段の下らない例を挙げておこう。嘗ては「インフルエンザ」を「流行性感冒」と訳し、略称を「流感」としていた。だが、当用漢字がどうかしたか知らないが、彼等は多くの国民を学がないと過小評価したのか漢字を止めて「インフルエンザ」の前半分を採って「インフル」にしてしまった。私は「インフルエンスが俺をどうしてくれる」と怒っていると揶揄した。何でも短縮したがるのだ。その例はほかにも無数にある。

私は「新型コロナウイルス」を「コロナ」に短縮するのは納得がいかないのだ。この圧縮形を最初に聞いたのはテレ朝だったかで、石原良純が使ったときだった。正直に「アレッ」と思ったが、意味は取れた。この場合は「新型」が排除されてウイルスの悪さとは何ら直接の関連がない太陽の「光環」か「光冠」を意味する“Corona”で代用してしまったのだ。私の個人的な意見では、最悪でも「ウイルス」か「新型ウイルス」辺りが適切だということになる。

だが、甚だ遺憾ながらこの新型の略称はカタカナ語同様にに既に日本語しての戸籍を得てしまったので、今や「コロナ」と聞かされて「光環」と思う人はいないだろう。得意の英語論にも手を伸ばせば、あれ以来何度もアメリカ側の知人や元同僚とも交信しているが、COVID-19の意味で“Corona”という表現を使っていた人はいなかった。これをおかしいとも間違いではないかと思っているのは、私だけなのだろうか。私は言葉は正確に使うべきだと固く信じているので「新型コロナウイルス」を「コロナ」で代用してしまう神経は理解できないのだ。

東京都では再選を目指して小池百合子さんが出て下さるそうだが、それならばその運動を開始される前に、“With Corona”等という奇妙な言葉遣いを廃止してからにして頂きたい。外国人が聞いたら何と思うかとはお考えにならなかったのか。“We have to live with the new kind of the Coronavirus from now on.”辺りが正常な英語だと思うが、如何なものだろう。