「アラート」って何のこと:
小池都知事のカタカナ語の行き過ぎた使用の傾向は既に批判してあったし、食傷気味以上に不快である。今朝ほど家内に「アラートって何のこと」と訊かれた。当然出てきても何の不思議もない疑問である。私は既に「東京都内で何人の都民に“alert”とは、そも如何なる意味かとご存じの方がおられるだろうか」と指摘しておいた。同時に何で「ステップ1という必要があるのか。第一段階ではいけないのか」とも非難しておいた。「いや、英語擬きを使う必然性はない」と言ったつもりだ。
小池都知事は週刊誌でも学歴云々と手厳しく批判されていたが、恰もトランプ大統領を見習ったかの如く「全ての行動は再選に通ず」と言わんばかりに「私は優れた知事であり余人を以て代え難し」と見せつけようと懸命なのだと思って見ている。だからと言って、中途半端な英語の知識でありながら「如何にも、私は知性が高くこのように英語を駆使できるのだ」と言わんばかりのカタカナ語偏重はウンザリである。もしも英語通を以て自認するのであれば「ステップ・ツー」はないでしょうよ。“two”の本当の発音は「ツー」ではないくらいご承知だろう。
しかも困った事に何を焦ったのか、その「なんやらワン」から「ツー」への移行を1週間早めてしまった。小池都知事は専門家に相談した言うし、ある政治面のジャーナリストは都庁の幹部を取材したら「何時東京アラートを発出するか悩んでいた。だが、昨夜では遅い」と手厳しかった。私は発出の遅さを論じる前に「何とかツー」に一段階上げたのは早過ぎたと思っている。その都知事の「えーかっこしい」が判断の誤りだったと見ている。
私は都内の夜間の人の出が多くなったのは、西村康稔大臣が懸念して見せた「気の緩み」ではなく、外出できなかったフラストレーションから開放感を一刻も早く味わいたかっただけのごく自然な感情というか反応の表れだと見ている。但し、私は外に出て自費を投じてまで酒を飲みたいという願望は残念ながら皆無なので、歌舞伎町で遅くまで飲んでいる人を批判する気はない。だが、その飲み歩きが感染者を増やす原因となっていたのならば、その責任は小池都知事の判断の誤りを責めるべきだと思う。
冒頭の家内の質問には勿論答えたが、小池都知事に言っておきたいことは「私は人並みには英語を解っているが、永年アメリカ人の中で暮らして“alert”という言葉を彼らが頻繁に使ったのを聞いた記憶もないし、私自身もこの単語は知っていたが使った記憶はない」のである。しかも、私は“alert”と言えば先ず形容詞だと思い、次が動詞で名詞としては思い当たらなかった。そこでOxfordを見れば名詞では“a warning of a danger or of a problem”と、誠に都知事が言わんとされた意味が出てくる。私がもしこのことを言いたければ、不勉強にして“warning”しか出てこないと思う。
とは言ったが、小池都知事の文語的な言葉を使いたがる傾向は、思うに「我が国の至らざる英語教育の欠陥が悲しいまでに現れているのでは」なのだ。我が国で良くある単語の勉強法ではアルファベットの“a”から始まるので、案外に“alert”を先に覚えられて、“w”からの“warning”にまで至る前に、とてもそこまで覚えきれないと諦められたのと邪推している。何れにせよ、小池都知事にはカタカナ語の使用はお控え願いたいと思う。「バイキング」では松尾貴史が「何で英語なのか。その前の東京は要らないのではないか」と言っていた。同感だ。序でに「ロードマップ」も止めて欲しい。
私からの警告は「訳が解らないカタカナ語の乱用が再選への道に繋がっているとは思えませんよ、小池さん」なのだ。これは決してカタカナ語批判論者としての主張ではない。「貴女を立派案と知事だと思って頼りにしている人もいるのだから、もっと解りやすい普通の日本語を使うべきですよ」と言いたいのだ。より手厳しく言えば「気取りなさんな」なのだ。カタカナ語を使っている暇があれば、少しは都民に貢献する都政の改革を心掛けて欲しいのだ。「これまでにどれほど改革をなさったのか」と言って終わる。
小池都知事のカタカナ語の行き過ぎた使用の傾向は既に批判してあったし、食傷気味以上に不快である。今朝ほど家内に「アラートって何のこと」と訊かれた。当然出てきても何の不思議もない疑問である。私は既に「東京都内で何人の都民に“alert”とは、そも如何なる意味かとご存じの方がおられるだろうか」と指摘しておいた。同時に何で「ステップ1という必要があるのか。第一段階ではいけないのか」とも非難しておいた。「いや、英語擬きを使う必然性はない」と言ったつもりだ。
小池都知事は週刊誌でも学歴云々と手厳しく批判されていたが、恰もトランプ大統領を見習ったかの如く「全ての行動は再選に通ず」と言わんばかりに「私は優れた知事であり余人を以て代え難し」と見せつけようと懸命なのだと思って見ている。だからと言って、中途半端な英語の知識でありながら「如何にも、私は知性が高くこのように英語を駆使できるのだ」と言わんばかりのカタカナ語偏重はウンザリである。もしも英語通を以て自認するのであれば「ステップ・ツー」はないでしょうよ。“two”の本当の発音は「ツー」ではないくらいご承知だろう。
しかも困った事に何を焦ったのか、その「なんやらワン」から「ツー」への移行を1週間早めてしまった。小池都知事は専門家に相談した言うし、ある政治面のジャーナリストは都庁の幹部を取材したら「何時東京アラートを発出するか悩んでいた。だが、昨夜では遅い」と手厳しかった。私は発出の遅さを論じる前に「何とかツー」に一段階上げたのは早過ぎたと思っている。その都知事の「えーかっこしい」が判断の誤りだったと見ている。
私は都内の夜間の人の出が多くなったのは、西村康稔大臣が懸念して見せた「気の緩み」ではなく、外出できなかったフラストレーションから開放感を一刻も早く味わいたかっただけのごく自然な感情というか反応の表れだと見ている。但し、私は外に出て自費を投じてまで酒を飲みたいという願望は残念ながら皆無なので、歌舞伎町で遅くまで飲んでいる人を批判する気はない。だが、その飲み歩きが感染者を増やす原因となっていたのならば、その責任は小池都知事の判断の誤りを責めるべきだと思う。
冒頭の家内の質問には勿論答えたが、小池都知事に言っておきたいことは「私は人並みには英語を解っているが、永年アメリカ人の中で暮らして“alert”という言葉を彼らが頻繁に使ったのを聞いた記憶もないし、私自身もこの単語は知っていたが使った記憶はない」のである。しかも、私は“alert”と言えば先ず形容詞だと思い、次が動詞で名詞としては思い当たらなかった。そこでOxfordを見れば名詞では“a warning of a danger or of a problem”と、誠に都知事が言わんとされた意味が出てくる。私がもしこのことを言いたければ、不勉強にして“warning”しか出てこないと思う。
とは言ったが、小池都知事の文語的な言葉を使いたがる傾向は、思うに「我が国の至らざる英語教育の欠陥が悲しいまでに現れているのでは」なのだ。我が国で良くある単語の勉強法ではアルファベットの“a”から始まるので、案外に“alert”を先に覚えられて、“w”からの“warning”にまで至る前に、とてもそこまで覚えきれないと諦められたのと邪推している。何れにせよ、小池都知事にはカタカナ語の使用はお控え願いたいと思う。「バイキング」では松尾貴史が「何で英語なのか。その前の東京は要らないのではないか」と言っていた。同感だ。序でに「ロードマップ」も止めて欲しい。
私からの警告は「訳が解らないカタカナ語の乱用が再選への道に繋がっているとは思えませんよ、小池さん」なのだ。これは決してカタカナ語批判論者としての主張ではない。「貴女を立派案と知事だと思って頼りにしている人もいるのだから、もっと解りやすい普通の日本語を使うべきですよ」と言いたいのだ。より手厳しく言えば「気取りなさんな」なのだ。カタカナ語を使っている暇があれば、少しは都民に貢献する都政の改革を心掛けて欲しいのだ。「これまでにどれほど改革をなさったのか」と言って終わる。