新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月7日 その2 アマゾンへの挑戦状

2019-07-07 11:43:52 | コラム
運送業界を考える:

「アマゾンへの挑戦状」とは過激な表現だが、これはPresident誌の7月19日号に掲載されている良品計画の金井政明社長と小売コンサルタント・ダグ・ステイーブンス氏のとの対談の題名である。面白い対談で興味深く読んだ。その中で金井社長が「アマゾンについてどう思われますか」と水を向けられて、

「アマゾンは・・・・ずるいよね。ずるいというか、現在の資本の論理がまずい方向に一人歩きしてしまっている。イノベイテイブで従来の小売業が全く発想しなかったことをしているっていうのは確かにすごい。ですが、クラウドの事業で収益を上げて、流通は赤字のまま次々とマーケットを乗っ取り、バタバタとリアルをつぶしておいてから、プライム会員の料金を値上げ、物流費も値上げ、なんていうやり方をしている。もう地球からいなくなってほしいねという意見もアメリカのメディアで聞きました」

と答えられた。私はこれまでにアマゾンから2回しか買ったことがないので良く解らないが「なるほど、こういう見方もあるのか」と思わせられたと同時に、30年ほど前の経験を思い出したのだった。それは金井政明社長が指摘された「流通は赤字のまま」という部分についてである。1988年頃だったか、W社が「日本に習え(倣え)」というアメリカでの流れの中の一環だと思うが、事業部ごとに副社長から部長級が我が国のデミング賞受賞の優れたTQCを実践している多くの工場を2週間かけて回って学ぼうという企画だった。

その2度目に派遣された30数名の団体に私も加わった時に、ある自動車会社の工場を訪問して、かの「カンバン方式に学ぼう」という企画が予定に入っていた。ほぼ一日がかりで現場の見学と十分に時間を取った質疑応答があった。念の為お断りしておくが、私は一団員であって通訳は専門の女性2名に依頼してあり、2週間帯同して貰った。そこでカンバン方式だが、質疑応答を終えた後にアメリカ側の一人がポソッと呟いたことは「これは、もしかして運送会社の協力と犠牲によるものかな」だった。そういう見方があるとは私は考えても見なかった。

今日、我が国では大和運輸(ヤマト運輸)が編み出した宅配便(ヤマトは「宅急便」という)があそこまで普及し、佐川等々多くの運送会社が参入した一大産業部門を形成しているかのような状態になったと、私は看做している。「ロジスティックス」などという何のことか良く解らないようなカタカナ語も普及した。輸送は色々な意味で我が国の製造業界と流通業界にとっては極めて重要な関連産業であり、それなくして経済は回っていかなくなるだろうと言っても誤りではあるまい。

その昔は、既に採り上げたように大和運輸は三越の配送を引き受けていた企業だった。それはデパートには「お持ち帰り」と「配達」という二つのお買い上げ品の受け渡しの方法があったからだし、中でも「お中元」と「お歳暮」は運送業者の存在なくしては成り立たなかった。大和運輸はそこからた宅急便へと進化して発展していったようだと私は見ていた。大手の家電量販店も配達なくしては成り立たないような大型且つ持ち帰るには重すぎる商品を取り扱っている。

私は22年以上も対日輸出に従事してきたが、ここでもアメリカから我が国までの海上輸送も含めて、貨物の国内配送は輸送業者に依存している。そこには“tariff”という価格表があるが、競争が激化するにつれてそこからどれだけ値引きするかの目安になっていた時期があったようだ。言い方を変えれば「トラック運賃」というか輸送は常に価格競争に曝されていると言えるのかも知れないと思って見ていた。

だが、ここで今更私が云々する必要はないと思うが、アマゾンのような通販が遍く普及する時代になると、競争も手伝ってまたもや輸送費がその中に巻き込まれて過当競争の様相を呈してきた。そこで運送業界の苦境が進んだようである。ヤマト運輸の運転手さんたちが残業量の未払いがあるというような報道が賑やかに報じられた。そして、この業界は人手不足に悩む業種の典型であるようになってきた。そういう点を先日海外からの留学生が埋めているというテレビ番組のことも私は採り上げてみた。要点は厳しい労働条件では日本の若者が応募してこないということだった。

ところが、現代は自分で商品にも触れずにネットで買おうという傾向は進むばかり、そこで街中には「UBER EATS」と大書したリュックサックのようなものを背負って自転車で疾走する若者が目立つようになったし、宅食の電動アシスト自転車が当アパートにも連日のように来ている。このような流れを「便利な時代になったものだ」と見るのか、輸送業者のお陰で成り立っているのであれば、輸送費即ち人件費を上げるべきでは」は私如きには俄に論じられない。だが、引き上げない限り介護の分野が人手不足を嘆いていると同じ事になって行くように思えてならない。

もしも結論めいたことを言わねばならないのであれば、「政府も与党も野党の愚にもつかない『2,000万円問題』や『年金不安を煽る言動』を抑えることを少しでも考えて、時代の流れと変化を担っている分野の運送業界の低収益と人手不足という苦境があることに配慮されては如何か」という辺りになるだろうか。


私は都会の田舎者

2019-07-07 08:00:28 | コラム
東京の変貌振りに振り回されるの記:

畏メル友のO氏は「私も、銀座など久しく行っていません。行っても、まさに浦島太郎です。」と言っておられた。

かく申す私も東京の生まれ育ちでありながら、悲しいことに今や全く同様な状態だ。私も滅多に都心に出て行かなくなってしまった。新卒で入社後に通算13年余り通った(日本の)会社の頃には、昔の日比谷劇場の隣で三信ビルの前に本社があったのだが、今ではそのビルは何十年も前になくなり三信ビルもなくなっているので、昔を偲ぶことも出来なくなってしまっている。昨日出掛けていった京橋には1972年から2年半在籍したMead社の事務所があったのだが、あの界隈の急激な変貌というか新しい建物が多過ぎて、最早40数年前を偲ぶことも出来なくなった。

特に地下鉄銀座線の京橋駅が変わり方が激しすぎて、明治屋の反対側にある理髪店に行くにはどうすれば良いか解らずに、駅員に恥を忍んで明治屋はどの方角にあるのか尋ねざるを得なかった。こういう都内の変わり方は何処に行っても同様で、2~3年前に待ち合わせ場所を大崎のニューオータニと指定された際にも、改札口でそこに行く道を尋ねざるを得なかった。こういう事態は何も都心だけで出会うことでもない。数年前には小田急線の成城学園前駅でも往年の北口がなくなっていて途方に暮れたことがあった。

ういう悲しい状態に至るところで出会うので、最早都心でも何処でも新宿以外にでていく時は「聞くは一時の恥」を励行せざるを得ないのだ。後期高齢者の実感としては、時代の変化に対応するのは楽ではないのだ。

私は都内にあれほど新しい高層建築物が増えていく背景には、ビルそのものの耐用年数もあるのかと思うが、かなり多くの場合に「耐震建築にせざるをないのだ。そうしないとテナントが見向きもしなくなる危険性がある」と聞かされたこともあった。私は東京の都心にあれほど多くの高層建築ばかり建ててれば、何時の日か高層ビル群ごと地盤が沈下してしまうのではないかと、半ば本気で心配するほど、知らない高層ビルばかりで「自分は一体何処にいるのだろう」と不安にさせられてしまうのだ。

現代の人たちはスマートフォンに歩行者用のGPSの機能が入っているようだから不自由はしないだろうが、そういう端末を持っていない私などはPCでGoogleで検索してそこをプリントアウトでもして持参するしかないのかと思うが、それも面倒だ。矢張り時代の変化に対応するのは容易ではないと思う。