新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月26日 その2 韓国はWTOに提訴すると言うが

2019-07-26 16:22:31 | コラム
「日本憎し」で凝り固まっているのか:

この「輸出手続きの変更」を韓国が問題にし始めて以来、細川昌彦中部大学教授を始めとする多くの専門家の方々が「韓国はWTOにこの件を問題として提起し、更に提訴するとの意向まで示している。だが、その場合に仮に言わば二審まで行ったとすると結審までは数年かかってしまうことがあり得る。その間に新たな方式で輸入を申し入れたとすると、マスコミが言うような90日も要することはなく精々1ヶ月以内で通ってしまうだろう。そうすれば提訴しながら輸入を続けることになってしまうのだが・・・」と疑問を呈しておられた。

25日夜のTBSの「報道1930」でも松川参議院議員他の出席者もこの点を指摘しておられた。私にも如何に文在寅大統領が反日と残渣整理だったかに政治生命を賭けて取り組んでおられるにしても、この専門家たちが指摘されたように輸入が進行したとすれば、仮にというかもしもWTOで敗訴に終わったらどうする気なのかが不明だとしか思えないのだ。また、例えば数年をかけて勝訴になったとしても、その頃には文在寅氏は青瓦台にはいないかも知れないのだ。

経産省は26日にTwitterで韓国に反論して「WTOでは韓国の主張に賛同した国はなかった」とあらためて指摘した。私は午前中に僅か時間があったので、ジムのサロンでNew York Timesをさっと見出しだけ拾い読みしたが、WTOに関する記事は1行もなかったと思った。これはアメリかでは、我が国で過大に評価されているとしか思えない大手地方紙でも、この件に関心がないと見て良いのかと判断した。

タフネゴシエーター(a tough negotiator)

2019-07-26 07:58:09 | コラム
手強い交渉相手となる為には:

実は、私は永年この「タフネゴシエーター」という表現がカタカナ語なのか、本当に英語の表現なのか確認してこなかった。というのも、アメリカの会社に勤務していた間に彼らが使っていたかどうかの記憶が定かではなかったからだ。そこで今回初めて検索してみると、英辞郎でもWeblioでも英語の表現として使われているという解説になっていた。

そこで、現在我が国が例によって例の如き韓国が「輸出手続きの変更」を巡ってごてている時なので、我が国の代表がWTOで彼らに対して手強い交渉相手になって欲しいとの願いを込めて、この際我々が交渉相手として極めて手強いと痛感していた2人の我が国の「タフネゴシエーター」を語って見ようと思うに至った。

ここに採り上げるお二方はアメリカ人を震え上がらせた凄い交渉人であり論客だった。始めに採り上げるのがW社の全世界最大の製造業界の得意先だったN社のM部長だった。仄聞するところでは慶応大学では弁論部に所属しておられたとかで「なるほど」と思わせられた極めて手厳しい交渉相手だった。

M氏はその部署を離れられた後で、交渉の仕方として以下のように個人的に語られたのだった。それは「前日までに如何に討論を進めるかを熟慮して検討し、どのようにして相手をこちらの論旨の罠に嵌めて行くかを練り上げて臨む。そして上手くそこに嵌めて狙い通りの結果が出た時が快感なのである」だった。論旨の組み立てには全く隙がなく付け入る予知がなかった。同氏は英語では語られず、通訳している方が「ここから先にどう展開されるのか」とハラハラさせられたし、我が方の敏腕副社長等がどのように論争するかも正直なところ、興味を持って通訳していた。

1985年10月に私がシアトルで交通事故の被害に遭った時に折悪しく工場側の大失態で大クレームが起きてしまった。その解決の長期化した話し合いの際にM氏は最悪は我が社を切らざるを得ないことも念頭に置かれて、それは厳しい論旨で問題の解決と補償の交渉を進められた。だが、切り捨てることが問題解決にはならないとばかりに副社長に「御社は不手際を起こした工場の担当の責任者をクビにするようなことをしてはならない。君等は直ぐそういう措置を講じるがそれは誤り。責任者はその地位に止めて失敗から学ぶことを思い知らせない限り、また同じ過ちを犯す危険性があると知れ。君等は『失敗から学習することを知るべきだ』と語気鋭く詰め寄られた。

更に最終的には半年の交渉期間を経て、取引は継続と判断(決断)された上で「我が国には『雨降って地固まる』という諺がある。この失敗に懲りて二度と繰り返さないように地面を固めてこい」と我が社を諭されたのだった。余談だが、1986年4月に最終的に交渉が纏まった後では、私は当時住んでいた藤沢市の小田急の駅までは何とか辿り着いたが、交通事故の大怪我から立ち直ったばかりの私には大役を果たした精神的疲労もあって、900 m程離れた自宅まで歩く体力が残っていなかった。

もう一人は京大の経済学部の某ゼミで歴史に残る秀才だったという某総合商社の部長(当時)T氏。彼は英語でまくし立てるタイプではなかったが、短い文章を繋いでいく論旨の組み立て方が非常に巧妙で、その論旨と語気の余りの鋭さに「また彼と交渉することになるのか」と、言わば拒否感をも見せたマネージャーもいたほど手強さだった。また、話し合いが終わって「彼は何であれほど頭が良いのか」と驚嘆した技術者もいた。論争と対立を恐れない論理的なアメリカ人たちが反論する隙がない頭脳だった。彼の交渉術を見る時に明らかだったのは「交渉の成否は英語力の問題ではない」という紛れもない事実である。

英語の問題にも触れておこう。私は「文法を間違えるのは致命傷で軽蔑されて相手にされない」と主張してきたが、交渉事でもこの点を重視すべきなのである。往年のW社はそういう階層の者が管理職の地位にあったのであり、上場企業ではそういう点を誠に厳格に重要視しているのだ。実例を挙げれば。ある時、関係先から引き抜いた牛乳パックの印刷加工と乳業工場での充填機の操業でアメリカで五指に入る高卒の技師が、客先に依頼された技術指導の席で黒板に書いた英語の文法とスペルに微妙な誤りがあった。

その時にこの技師を連れてきた技術サービスマネージャー(勿論、大卒)が“Hey, Bill. It's pidgin. Correct it right away.”と満座の中で指示した。私はお客様には何を指示したのか解らなかったとは思ったが、Billは素直に直ちに訂正した。これがある一定の階層以上にあるアメリカの会社ではごく普通に行われている自国語に対する厳しさなのだ。私は日本式の英語教育やTOEICで高い点数を取ることでで対応出来る問題ではないと危惧するものだ。