新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

パワハラって何だ

2018-04-09 17:32:10 | コラム
核心を突いていないマスコミ報道:

サッカー協会のハリルホジッチ監督の解任も大きな問題だしニュースだろうが、レスリング界の栄和人氏が巻き起こした「パワハラ」なる問題も、私は負けず劣らずの大きな事件だと思っている。その大きさの大部分はマスコミの「パワハラ」のみにとらわれた見当違いの報道姿勢にあると言いたいのだ。

この件では、ある社会人リーグのコーチと監督の経験者の意見を聞く機会があり「監督などという立場を経験したから、栄なる人物があのような態度に出るというか、あのようなパワハラなどと決めつけられるような発言をしてしまった気持ちは良く解る」と聞かされた。お断りしておくが、この発言は栄和人を容認していないし、擁護するものではないのだ。

経験して見なければ解らないことだが、どのような競技種目でも大学の一部リーグに所属するか社会人リーグの一部のテイームで監督をやってみれば、その権限は「アアメリカの企業社会の事業本部長が持つ権限である営業・経理・人事・総務・生産等に言うなれば強権までが加わった」と言っても良いほど広範囲に及ぶのだ。しかも、運動部乃至は体育会という組織は会社などとは比較にならない年功序列が重んじられる世界なのである。私はマスコミの連中はそういう体育会の在り方乃至は歴史と伝統を知らぬはずはないと思っている。知っていて「パワハラ」だけを採り上げたのでは片手落ちも甚だしいと断じる。

思うに、栄和人氏は監督であるだけではなくレスリング協会の強化本部長という途轍もない権限と地位を与えられた結果で、天上天下唯我独尊というような気分になってしまい、自らの地位と権限を良く理解できていないままに言わずもがなのようなことを言っただけではなく、行動にまで出てしまったのだろうと思って見ている。言うなれば「錯覚」乃至は「激しい思い込み」に走った浅慮な人物ではないかと思いたいのだ。

彼がやったことを奇妙なカタカナ語に集約して報じたのでは問題の焦点がボケたのも仕方がないと思っている。私は「あの問題はパワハラなどではなく、監督やコーチの権限の問題であり、上意下達の体育会制度から生じた浅慮な男が起こした事件だと思うべきだ」と考えている。だが、マスコミは自分たちが創り上げた(のかも知れない)「パワハラ」というカタカナ語に酔いしれて、問題の核心を誤ってしまったと見る方が正確だと思っている。

私はマスコミは何故「栄和人なる人物がどれほど一般社会の常識を備えておられたか」を問題にしないのかと奇異に感じている。彼に自らを律する常識があれば、「俺に前で良くレスリンが出来るな」というような言動はしなかったのではないかと考えている。これはパワハラなどではなく思い上がりか非常識であるだけのことだ。記者の連中にも体育会経験者だっているだろうから、そこで体育会という狭い世界の中で何が起きていたかくらいは採り上げることは出来たと思うのだ。

私は(また同じ事を繰り返すかと言われそうだが)日大フェニックスが故篠竹幹夫監督の下にライスボウル3連覇を成し遂げるまでの5~6年ほどをつぶさに見る機会があった。そこでの篠竹監督の言動にも接してきた。篠竹監督のその厳しい指導ぶりは広く知られていたと思うが、如何なる場合でもパワハラになるような非常識乃至は浅慮な発言などは聞いた記憶がない。厳格な指導者としてグラウンドの一角からジッと練習を見守っておられるだけの威厳に満ちた監督だった。

栄和人前強化本部長が志學館大学の監督として立派な業績を残されたが、そこには篠竹監督のような長期に及ぶ部指導者の経験もなく、指導者は如何にあるべきかという視点が欠落していたのではないかと思っている。そう言えば良いものを「パワハラ」などという形に凝縮してしまった為に世間の注目を必要以上に浴びる結果となっただけではなく、協会という狭い世界に閉じこもっている選手上がりの組織の非常識がもたらした問題にも切り込めなかったマスコミを批判して終わりたい。



Better than never!

2018-04-09 14:43:08 | コラム
ハリルホジッチ監督解任?!:

9日は早朝から(と言っても午前4時だったと思うが)テレビのニュースでは「ハリルホジッチ監督を電撃解任」と報じていた。私は文句なく「良いことだ」と眠さに堪えて歓迎していた。と言うのも、私は今日までに何度も「監督を替えようよ」と提案してきたからだ。私は協会は誰の顔を立てる為か、または如何なる理屈であの駄目監督を辞めさせないのか不思議でならなかった。

そのニュースを見て協会の正式な記者会見を待ってからこの一文を書こうと思っていたが、午後2時が迫っても一向にニュースが流れないので「もう待っていられない」と踏み切ることにした。

私があの監督が駄目だと言うのには数多くの理由がある。先ずは「どう見ても選手の好き嫌いが余りに顕著であること」を挙げたい。監督ともなれば、また人として好き嫌いは誰にでもあることだ。だが、ハリルホジッチ氏の場合は選手選考に中々正当な根拠が見えず、戦略か戦術上と言うよりも単なる好き嫌いだけで、例えばドイツではあれほど立派に働く香川真司を外したり、ゴールを決めるポジション取りの感覚が優れた岡崎慎司を補欠扱いにするのは不当だと思っていたことがある。

本田圭佑は確かに衰えが見えるというか、選手として限界が見えて将来性に期待が持てなくはなった。だが、本田には監督が使いたがっている若手にはない豊富な国際試合での経験があるとともに、若手やテイーム全体に苦言を呈する能力を備えた数少ないプレーヤーであるにも拘わらず、冷たい扱いをしていたのは不当であると断じてきた。同時にこの3名はずっと日本代表を支えてきた功績がある主力選手だった。

私にも「新規に監督として任命された以上、前任者やこれまでになかった新機軸を打ち出して自分好みのテイームに仕立て上げていこうとする考えや意欲のほどは理解する」だけの度量の持ち合わせはある。だが、この監督の世代交代のやり方や代表メンバーの選択には多くの疑問点があり、と言うよりも実際に効果が上がっていなかったし、合宿に呼んだだけで試合に出さなかった者が不当に多かったのも不信感を抱かせてくれる理由になっていた。

それだけではない。就任以来4年近くも経った現時点でも未だにテイームの中心となるべき存在が確立できていないのは何故かと問いかけたい。確かに長谷部は怪我があろうと何だろうと主将の地位に止めて、テイームの精神的なリーダーとして存在感はある。だが、長谷部がテイームの戦術面での中心選手かと問われれば「違うだろう」となるのではないか。私はあの監督が率いてきた代表テイームには戦術を組み立て、全体を牽引する存在はいなかったと見ている。これは監督の責任に帰すべき問題ではないのか。

次は戦術面だ。ハリルホジッチ氏は明らかに縦一発的な、言うなれば古き良き時代に流行した「キックアンドラッシュ」の近代版とでも好意的に呼んでやろうかと気を遣いたくなるような、縦パス戦法に拘泥していたようだった。これは責任逃れ的な細かいパスまでを含めて「流れるようなパスワーク」を主体としてきた我が代表選手たちを戸惑わせるだけの結果に終わり得点能力の低いテイームを創り上げてしまう結果に終わっていたのではないのか。即ち、不適切な戦術に拘泥しただけだったのでないか

ここまでは批判ばかりだったが、それでも何とか予選を突破してW杯出場権は確保したのは監督の功績だっただろうし、不遇だった(?)選手たちの頑張りも称えて上げるべきだと思っている。しかしながら、先日のベルギーにおける2試合での不成績と選手起用のおかしさを見る時に、目前に迫ったロシアでの本戦に対する準備が余りにも不適切だと言わざるを得ないのだ。端的に言えば「中心となるリーダーが不在のテイームを作った責任は誰にあるのか」ということだ。

私は責任は監督だけではなく、彼を選んだ協会にも問題があると思う。日まで優柔不断に推移し解任も出来ずにずるずると引き延ばしてきた来た責任は重大ではないのか。宙ぶらりんにされた多くのこれまでに代表を背負ってきた選手たちに申し訳なかったとは感じないのかと言いたい。香川真司などは(やや不遜にも思えるが)監督に直接に「何故自分を外すのか」と問い掛けに行ったか、行こうとしたとの報道もある。それほど選手たちにも不信感があったということだろう。


繰り返していうが、今この時点でも解任しようと協会が踏み切ったのならば “Better late than never”であろう。だが、ここで選任されるだろう日本人の監督さんが背負うであろう責任は、ハリルホジッチ氏のそれよりも色々な意味で遙かに難しく且つ重大であろう。私は目の前に迫った代表選手選出には誰の目にも「公正且つ公平」と映るものになると期待するものだ。まさか、本日午後と言われる協会の記者会見の話題は他のことではあるまいな。