新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月16日 その2 ロッカールームの論客は怒っていた

2016-05-16 12:59:58 | コラム
東京都民は怒っている:

舛添都知事はおそらく世論の状況などを見守っているのではないでしょうか。今朝ほど久しぶりにジムの「ロッカールームの論客」に捕まって舛添論議となりました。彼は「都民としては折角払っている都民税があのような奴にみみっちい使われ方をされるのはとても納得できない。ある世論調査では98%もあの記者会見に納得しないとの結果が出た。最早辞任するしか道はない」と極めて厳しい当然のような論旨でした。

しかし、彼は「猪瀬が400万票だったが舛添はその半分の210万票に過ぎなかった。しかも、猪瀬の時は東国原に160万票も入った。東京都民の民度はこの程度だが、そこにある事実は都に居住する者の圧倒的多数は東京に出て一旗揚げようと思った地方出身者である。故に東京に対する愛着がないのが民度の低さとなって現れているのだ」と論じました。

彼はさらに「舛添を辞めさせたとして、在野に彼以上は言うに及ばず猪瀬をも上回る立派な候補者がいるのか、現在国会議員である者の中に便りに出来る者がどれほどいるのか」とも。私としても同感であった点が多い議論でした。流石の私もしゃべる暇がありませんでした。


舛添都知事の品性の問題

2016-05-16 08:40:22 | コラム
せこい舛添都知事の一件は「政治」とは関係あるまい:

私は以前にマスコミがかかる案件が生じた時に使う決まり文句の「政治と金の問題」は誤認識であり、政治とはほとんど関係がない「金」だけのことであると論じてきた。今回発生した舛添都知事の政治資金の使い方の問題も「政治と金」との関連であるが如き扱われ方だが、私にはとてもそうとは思えないのだ。それよりも「彼の品性」に関する問題であり、不見識さを表しているだけだと見ている。公私の別を弁えていないとの批判があるが、都知事ともなれば何をしても通るのだという錯覚にしか見えない点が多いと思う。

公の金というか会社の金を如何に規定の範囲内で良識に従って使うかは、それほど容易なことではない。ましてや政治家や会社内でもある程度以上の地位にある者ほど良識と自制心と適正な判断力を持って使わねばならないことを自覚すべきだと思う。そういう偉そうなことを言う背景には、私が20数年間「出張中の費用は会社の用事で動いている以上全て会社の負担であるとする」という「実費精算」の世界で過ごしたからだ。

その精算の為には全ての出費の領収証を細大漏らさず貰っておくことは必要だが、それ以上に重大なことは「自分が使える予算が幾らであり、当日乃至は当月までの間にどれほど使い、どのくらい残っているかを正確に記憶しておくべきである点だった。さらに肝腎なことは「その出費を会社に負担にすべきか否かの判断を良心に恥じないように仕分ける」だった。それは金額の多寡ではなく正当性の判断の領域にあると思う。

私はあの舛添都知事の記者会見での説明というかこじつけの弁明を聞いていて感じたことは「この人物は正当性の判断がつかないほど自分が偉いのだから何をしても良いのだという錯覚に陥っているのか、余りにもせこいというかみみっちい人物であるかの何れであり、とても『政治と金』という括りの中に入ってくる事案ではないし、彼の政治家としての良心と良識の欠如の問題である」だった。

経理を担当した者の誤りだというのも詭弁であり、領収証を貰った時点で彼自身が私的な出費か公費であるかの別をその領収証に記載して渡せば済むことであるし、自分の出費を細大漏らさず記載できるメモ帳でも以て歩けば何時でも仕分けが出来るはずだ。「自分は多忙でありそこまで出来ない」とでも言う気ならば、彼は頭からその任にあらずと言って良いと思うのだ。

但し、現実に戻って考えると、もしも彼を辞任に追い込んだとすると再び都知事選挙をすることになって、時間と費用がかかる事態となる。しかも、仮定ではあってもその時期次第では、参議院議員の選挙と重なるか近い時期の選挙になってしまうので、彼を辞任させるのが予期せざる東京での政治の混乱を招くのではないかとの懸念も生じるのだ。何れにせよ、舛添都知事はとんだお騒がせ者だった。