新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

顔相学

2016-05-01 10:18:41 | コラム
顔は本人の責任:

嘗て故大谷英彦氏が確か「顔相学」と言っておられた記憶がある。その意味は「顔つきがその人物の内容乃至は人柄を表す」と解釈していた。確かに、そういう傾向はあると思う。例えば、第一次安倍内閣が出来た当時の安倍総理を評して、私は「未だ課長が一気に社長になったような感がある」と言ったが、小泉内閣の副官房長官の顔つきのままだったと感じていた。その結果があの突然の辞職だった。

ごく最近の例にあの燃費偽装という事件を起こした三菱自動車の相川社長を採り上げたい。家内共々「あれが大三菱の会社の社長さんの顔つきか?」と驚かされたほどのその役職と地位に余りにも相応しくなかったのである。社長就任後未だ2年とか聞こえたが、如何にも社長らしい顔つきになりきっていない。即ち、父親が誰であれ、その任にあらずと思わせられたと言いたいのだ。

私がこれまでに見てきたし、また出会ってきた日米の大会社の役付き役員からCEOまでには、就任されてから徐々にその地位らしいと言うか、それらしい貫禄を見せてくるのだった。表現を変えれば「その地位と責任の重さが与える負担が顔つきに直接に表れてくるのが普通」だった。小泉元総理が良かったかどうかは別にして、彼は就任後何年も経たずにあの白髪頭となり顔つきも厳しくなってきた。長男の幸太郎は「自殺するのでは」と恐れたほどだったそうだ。

私は何も顔つきが変わらなければ駄目だと言いたいのではないが、その地位と責任に相応しい仕事をしているか否かが顔つきの変化に現れてくるのが厳しいところだと思っている。あるいは最初からその能力がなかったにも拘わらず選ばれてしまったのかも知れないと思わせる例もある。

中でも私が最悪の例だと思って嘆いているのが、あのオバマ大統領である。彼は在任7年を経て未だにあの選挙キャンペーンの頃の何処にでもそこにでもいるようなあの人種の兄ちゃんの顔つきのままである。僅かに白髪が少し増えたかに見えるが、その程度の実績でしかなく、アメリカをあそこまで劣化させた。しかも、その後任争いを演じている2人(と言っても良いかな?)のうちのトランプ氏については「アメリカ人の良識を信じたい」などと間抜けなことを言っている識者の顔も見たい。3億数千万人に膨れ上がったアメリカの人口の過半巣を占めかねないのが嘗ての”minority”だという恐ろしい現実をお忘れかと問いかけたい。

何も小泉純一郎に倣えとは言わないが、その与えられた地位と収入に相応しい実績を残せれば、顔つきもそれらしくなってくるものだ。そういう視点で現在の我が国の多くの経営者の顔を眺めると、何処かの元社長さんが「経営者の劣化だ」と慨歎されたのも尤もだと思わせてくれる連中が増えた。経営者だけを非難するのは片手落ちで、我らが選良に「これならば安心して国政を任せたい」という顔つきの者がどれほどいるかも考えて欲しい。しかし、そういう駄物を選んだ連中の顔つきも見たいものだ。とは言うが、私は絶対に鏡を見ようとはしないで済む自信がある。