新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

十人寄れば気は十色

2014-12-11 15:19:25 | コラム
落語の枕に「十人寄れば気は十色」などと申します」がある:

私は今月の5日に国立国際医療研究センター(NCGM)・消化器内科に緊急入院して大腸の内視鏡検査と治療を受け、10日に無事退院したばかりだ。因みに、東京山手メデイカル・センターで同様の治療を受けられるのは「大腸・肛門科」となっている。私は実質的には後者の患者となる、念のため。

この6日間に色々と考える時間があり、掲題の落語家が頭で屡々振る台詞のように「人の意見は様々だ」とつくづく思わせられた事柄があったので、この場を借りて振り返ってみる。

シャワートイレには問題が?:
先日も採り上げたことだが、当家では2006年2月からこの文明の利器を導入した。その恩恵に浴した為にアメリカ等のこの面の後進国(?)に行くと悩まされたものだった。私はこの利器を100%活用して清潔に保つことが所謂「七難隠す」効果があると信じ切っていた。そうお考えの方は多いと思うのだが。ところが、退院の前日にそれを利用したところ、安定していたはずにも拘わらず、微かにと言うかほのかにTPに赤色が見えたのだった。慌てた。

そこで入院中の主治医に恐る恐る訴えた。医師は「全く問題ない」と断じた上で「当分の間はシャワートイレを使用しないこと」と宣告された。理由は明瞭で「膨張気味の患部の微細な血管に強い水圧をかけることは良くない」のであるから「TPも拭くのではなく当てるように使用すること」と指導された。何人かの開業の医師からはシャワートイレの有効活用を示唆されていたので、担当分野が変われば意見が変わるものだと痛感させられた次第だった。

セカンドオピニオン:
私はこの度の私の入院の原因となった疾患では延べ3軒の病院と開業医に診て頂いている。大病院では検査もほぼあらゆる一般的に知られている器機を使ってして頂いた。病名の診断は同じだったが、原因が確定出来なかったのは二つの大病院でも同じだった。治療法は手術が最善という意見は同じだったが、2度の心筋梗塞を経ているので「血液サラサラ」の薬を止める危険性を配慮して踏み切られなかった。

即ち、私はここまでで実質的に掲題の件を実行していたのだった。ご意見を伺って廻っていたことになるとでも言うか。

人は誰でも違う意見を持っているもの:
これは理論上はそうだろうが、アメリカ人の世界にいた者として我が国を眺めると「論争と対立」を回避され、「お互いに先方の顔を立てるというか潰さないように配慮される独特の優しさがある」と解る。アメリカ人の世界にはあり得ない美徳だ。しかし、我が国でも徹底した議論も論争もされる方はおられる。その際に最も難しいことがある。それは「感情的になる」か「感情論になるかならないか」なのだ。

我が国では「全員一丸となって」であるとか「全会一致」であるとか「皆で協力して事に当たる」であり、「全体」が「個」よりも優先される文化がある。アメリカのように各人が違った意見を持ち、それぞれの手法や手段で仕事を進めるような文かはない。言うなれば「ティーム・ワーク」が重要である。各人は他人と異なる意見が合っても全体との調和に努力する美風がある。

換言すれば、「絶対的に感情を排除して激論を戦わすのは我が国の文化に馴染まない」と見えるのだ。多くのアメリカ人は社外とも怒鳴り合いかと危惧させるような激論の後でも「良い議論だった」と握手して「さて、夕食でもどうか」と誘い合う技術の持ち合わせがある。思うに学校教育で”debate”を教えられた賜物なのだろうか。しかも、質問好きの者が多く軽いお礼の意味でやたらに質問をする癖さえあるので、馴れないとやっていられないことすらある。

結局は文化比較論だった:
このお礼の意味ので質問の解説は、ナンシー坂元さんの名著”Polite Fictions”に詳しく述べられているので、御用とお急ぎでない方はアマゾンででもお探しになってご一読を。英文も極めて解りやすいし、日米間の文化の違いを巧妙に説いておられる。拙著「アメリカ人は英語がうまい」にも、このお礼の意味ので質問について触れてある、念のため。質問がお礼の表現だとは意外であろう。