新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

減ったのは何処の国の人か

2013-10-06 10:48:20 | コラム
2013年9月の新宿区の人口:

新宿区役所の“広報新宿”10月5日号は、8月と同じで外国人が230人も減少し33,089人になったと報じていた。このマイナスの数字には何となくKoreatownの沈滞傾向と関係があるような気がする。尤も、今年の5月には1,184人の増加で33,705人だったという記録があったが。

13年9月の区の人口が32万2,802人と、前月比で100人の減少となっていた。8月が7人の増加、7月が238人の減少だったから大きな変化ではない。実は、5月には全体で2,041人も増えていたのだった。

8月と比較すれば、日本人は男女合計で130人の微増で、内訳は男が67人の増加で女は63人の増加だった。外国人は男が140人、女が90人の減少となっていた。

先月から引き続いて感覚的には韓国人も兎も角中国の何処かとイスラム教国からの流入者が相変わらず増え続けていると感じる。何も大久保通りに行かないでも韓国語か中国語以外の言葉で語り合っているアジア系の若い男女が多い。それらはタイとヴェトナム人だという説も聞く。

新大久保駅前の文化通りのハラル・フードを売る店の前には外交官ナンバーの車も異邦人の不法駐車が多い。パキスタン、バングラデシュ、ネパールと覚しき服装の者たちも依然として数多く見受けられる。

9月の新宿区の人口中に日本人が占める率は7月が89.68%に対して89.65%というごくわずかな減少だった。外国人は23人の減少で全体の10.25%で8月の10.318%で、7月の10.32%と6月の10.39%と対比すれば「微減」と言えるだろう。因みに、5月は10.43%、4月は10.13%、3月は10.17%、2月は10.23%、1月は(33,574人で)10.45%だった。


参考資料:“広報新宿” 13年10月5日号

気象病に苛まれた夏

2013-10-06 10:16:59 | コラム
気象病とは:

8月29日の退院以降、今年の夏の酷暑に散々苦しめられた。中でも35度をも超える暑さと、空調した室内の(約26度で湿度は50%程度)との条件の違いが、病み上がりの身体には誠に辛いものだった。どのように辛かったのかと言えば「身体がその急激な変化に対応できず、室内では何時まで経っても身体がほてっており、身の置き所がない苦しさが続くことだった」のである。かと言って急激に温度を下げれば寒さが厳しくて耐えられないという事態を招く。

この暑さも9月が過ぎれば終わるだろうと希望的に考えていたが、何と10月になっても一向に秋には成ってくれず苦戦が続いた。すると、2日だったかにTBSが昼間のニュースショーとでもいうような番組で専門の医師をゲストに招いて「気象病」の解説をしていた。当方無学にして「気象病」というものがあったとは知らず、思わず広辞苑をみてしまった。すると、チャンとあるのだった。

専門の医師の説明は基本的には広辞苑と同じ内容だった。即ち、簡単に言えば「急激な温度(と湿度)の上下の変動は頭痛、ぜんそく、脳梗塞、心筋梗塞、神経痛、自律神経失調症等と関わりが深いというか、招きやすいというものである」となるそうだ。納得であった。私のように精神的に弱い者が大病の後であの気温の厳しい上限の変動にあえば、直ちに対応できなかったために、謂わば自律神経失調症のような状態に至っていたらしいのだ。

これまででも、毎年冬が来れば「この冬を無事に乗り切れるだろうか」、夏になれば「この夏を何とか乗り切らねば」と思わないことはなかった。今年も「この酷暑も残るは半月か」と思った途端に二度目の心筋梗塞に襲われた。その大難関を無事乗り切らせて頂いて退院すれば、今度は気象病が牙をむいてきたのだと痛感した。

そこに去る4日と5日の20度にも達しない寒さが襲ってきた。何事にも影響されやすい当方はこの2日間の寒さに、気象病の恐怖を感じていた。4日には午前中に外出せざるを得ない用事があって厚手の長袖のポロシャツ(という表現は正確か否か知らないが)に冬にも通用するジャンパーを着て恐る恐る出てみた。するとどうだろう、帰途に先日隣の公園で語り合ったオレゴン州ユージーンから来たというアメリカ人に再会した。彼は何と半袖は当たり前だが、Tシャツだけの軽装だった。

この程度の薄着はあの地方ではごく当たり前だと先刻承知しているが、自分との落差に驚きながら暫し語り合って再会を約して別れた。因みに、1993年11月にワシントン州南部(と言っても寒い地域)の工場の連中を宮城県石巻に案内した時にも、彼らは夜食を食べに半袖シャツ1枚で出てきて「心地良い涼しさだ」と言ってのけた。彼らには気象病の悩みなどないのだろうと、今にして思う。

一方、弱虫の当方は十分に20度以下の条件に備えた格好で5日も午前中に短時間外出したが、室内に戻った後も26度60%に馴れるまでに自律神経の調整のために毛布を被ってしまった。そして熱いお茶を飲んで漸く人心地が付いた次第。今では「気象病」なんて知らなければ良かったと悔やんでいる。