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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

反省ートランプ様を見くびっていた

2025-07-27 06:59:26 | コラム
日本は関税15%を80兆円で買った:

YahooのニュースではTBSの「News Dig」で、ブルーバーグがアメリカのラトニック商務長官のインタビューを取り上げたのを読んで、何とも言いようがない衝撃を受けた。私はこれまでに繰り返しトランプ大統領は無知であり、事実も歴史も曲解し誤解していると非難し続けてきたし、側近の進講にも耳を傾けないという伝聞も披露してきた。

ところが、今回の合意に達した関税交渉では、単に抜き打ちで赤沢大臣と会談したのではなく、ラトニック商務長官が振り返って見せたように日本側を屈服させる、言うなれば緻密な作戦を用意して臨んだのだ。その用意周到振りからは、高山正之氏が週刊新潮で指摘されている「白人の悪知恵というか狡猾さ」が十分に発揮されていたのだった。

私はラトニック商務長官がユダヤ系であり証券会社のCEOと言う経歴がある程度はWikipediaで承知していた。だが、あの次元までの知恵者でトランプ大統領を動かしていたとは考えた事もなかった。この度の合意の付帯条件どころか主体は、我が国に80兆円と言う25年度の一般会計予算115兆円の70%にも達する規模である。その「80兆円で買った(買わせた?)」辺りを、そのインタビューのニュースから引用してみよう。念の為に書き添えておくと、我が国の税収は75兆2320億円である。

>引用開始
ラトニック長官:
この基金は非常に画期的なものです。簡単に言えば、アメリカがプロジェクトを選び、日本がその実行に必要な資金を提供するという形になります。例えば、アメリカで抗生物質を製造したいとしましょう。 現在、アメリカ国内では抗生物質をほとんど製造していません。もし大統領が「アメリカで抗生物質を作ろう」と決定すれば、日本がそのプロジェクトに資金を提供します。

インタビュアー:
なるほど。資金提供を受けたプロジェクトの利益配分はどうなるのでしょうか? ラトニック長官: 運営は企業に任せ、得られた利益はアメリカの納税者に9割、日本には1割が配分されます。これは実質的に、日本がこの公約によって関税率を引き下げたことを意味します。「トランプ大統領やアメリカが望む、国家の安全保障上重要なものをアメリカ国内に建設するなら、それを支援し、あなたの味方になります」という日本の意思表示なのです。 インタビュアー: 石破総理はこれを「融資保証」と表現していますが、それ以上のものということでしょうか? 

ラトニック長官:
もちろん、それ以上です。これはエクイティ(株式)や融資保証など、多様な形態を含みます。日本は、アメリカが選定したプロジェクトを実現させなければなりません。 例えば、アメリカが1000億ドル規模の半導体工場をアメリカ国内に建設したいとすれば、日本はそのプロジェクト全体に、エクイティやローンなど、いかなる形であれ1000億ドルを提供する必要があります。 

インタビュアー:
それは日本企業が資金を出すということですか? 

ラトニック長官:
いいえ、違います。誰でもいいのです。日本はあくまで「資金提供者」であり、「運営者」ではありません。ですから、日本の特定の企業が工場を建てるという話ではないのです。 皆さんが混乱しているのは、トヨタのような日本企業が来て工場を建てるような話ではない、という点ですね。これは文字通り、アメリカがジェネリック医薬品、半導体、重要鉱物などをアメリカ国内で作りたいと決めた場合に、日本が資金面で支援するというモデルです。 

インタビュアー:
こういったモデルは、これまでにも存在したのでしょうか? ラトニック長官:もちろんです。だから私が政権に加わったのです。このアイデアを私が1月に思いつきました。日本はドナルド・トランプが望むように「完全に」市場を開放するつもりはないので、別の方法をとる必要がありました。 そこで私は4000億ドルの基金を提案し、日本が大統領とアメリカに対し、国家の安全保障に貢献する物を作る上での資金を提供・支援するというモデルを作り上げました。(以下略)
<引用終わる

ラトニック商務長官の言葉の隅々から、誇らしげに語っているのだと、私は読み取った。ここまでで、今回のトランプ大統領の「イヤなら25%に戻すぞ」という脅迫めいた宣言、ベセント財務長官の「条件が実行されているかを四半期毎に点検して、不実であれば25%に」という声明には、ビジネスなどと言う綺麗事の枠を遙かに超えて、threat(脅かし)とも見える凄まじさだ。

私は「トランプ大統領のこの度外れた高飛車すぎる姿勢は、一体全体何処から何故生じたのか」と呆然とさせられた。彼にあれほど日本国を抑え付けねばならないような政治的且つ経済的な根拠があるのだろうか、忠実な同盟国・日本国が何かアメリカ合衆国の国益を損ねたか、大統領に私怨を抱かれるような不埒な所業であったのかと、考え込まされた。もしかすると「貿易赤字は許されざる悪行だ」とも思い込んでおられるのか。

理解不能なことはこれだけではない。23日の合意到達時点ではこのような「真相?」は一切発表されず、石破首相の党首会談での発言でも上記のような微妙すぎる点には一切触れられなかったし、合意した責任を全うするためにも辞める訳にはいかないと堂々と言い切っただけのこと。

私が「これは石破首相独特の鉄面皮だからこそ言えたのだ」と思ったあの言動の裏にあるものは「これほどの超大規模の国難を招いた以上、後継の総理大臣にその処理を負わせる訳には行くまい。だからこそ居座って自分が責任者として約束事を実行していくのだ」と言う固い?決意なのかも知れない。

私は情けないことに、22年も忠節を尽くしてきたアメリカ合衆国を見損なっていたと認識したし、トランプ大統領を過小評価してしまっていた至らなさを反省している。更に、高山正之氏ではないが、白人たちの本性はある程度以上経験からも読めていたが、トランプ大統領とラトニック商務長官の強力なティームの実力などは読める切掛けすら掴めていなかったのは、深く反省せざるを得ないと自覚している。

石破さんと赤沢さんはこの局面をどのようにして打開する腹積もりで合意したのだろう。ホワイトハウスから首相に逐一了解を取って進講でもされたのだろうか、全面的にその場で「合意して宜しい」と判断しでいたのだろうか。


7月26日 その2 国際的交渉に臨む際の心得

2025-07-26 11:31:46 | コラム
トランプ大統領と赤沢亮正大臣との会談から見えてきた問題点:

実を言えば、トランプ大統領を批判すること些か疲れたので、この辺りで「一休み」しようかと考えてはいた。だが、言わずにはおれない、言わば抜き打ちのように大統領自ら出席されたこの会談には、問題があったと見える点に触れておこうと思うのだ。この件に見える問題点は「国家間の交渉である以上、証拠になる責任者の署名入りの文書が作成されていなかった事」である。

もう、トランプ大統領の「横車」どころか「縦横無尽に車を押す」かのような「気に入らなければ25%に戻すぞ」と発言するような手法には、如何に何でも付き合いきれないと思わせられたのだ。それだから、本日はトランプ様批判の「一休み」を決め込もうとした。だが、それでも、今回判明した合意文書無しという事態については、思うところを存分に言っておくべきだと考え直した次第。

あの会談、まるで抜き打ちのようにトランプ氏が突然出席し、「合意に達した」と発表されたものの、署名すべき文書すら用意されていなかったと、今頃になった明らかにされた。このトランプ様側の杜撰さには、正直呆れた。赤沢大臣の側も、喩えアポイント無しの訪問であっても、突然の展開に備えて法務の専門家を帯同するべきだったのと言えなくもない。少なくとも、アメリカ側は合意に至った際の署名に備えた文案を用意しておくのが常識であろう。

我々民間の企業が会社対会社の交渉に臨む際でも、合意の成立を見込んで、法務部に依頼して事前に合意文書を用意していた。それが、責任ある交渉の基本であり、ビジネスの常道である。合意に達した場合には、その文書を提示して相互に内容を検討して署名したものだった。この点一つを取っても、トランプ氏が「正統なビジネスマン」でないことが見て取れるではないか。

そして同時に、日本側の対応では何らかの具体的に文書の用意も要求せず、交渉の拘束力も曖昧なまま終わったかのようだった。もしも赤沢大臣が要求されてもアメリカ側が応じなかったのならば話は別だが、赤沢大臣が文書を求められなかったのならば、国際交渉への不慣れさが見えてくるようにも思えて残念である。

勿論、抜き打ちであった以上、弁護士を帯同していなかったこと自体は責められない。しかし、そうした事態にも備えうる「予測と準備」が求められるのが、国家の代表としての務めだろう。

今回の一件には、アメリカ流の契約社会と、日本的な「腹と腹で話し合う」とか「空気を読む」文化の根本的な差異が垣間見える。その文化の断層を埋める努力を怠れば、何時かはトランプ氏に「横車」どころか、「縦にも上下にも」好き放題に押されることになりかねない事態に襲われるのではと懸念する。果たして石破首相は、そう言う事態が生じる事を理解していたのだろうか。そこがこの件についての最大の重要な点になるのではないか。


3ヶ月間に6回の英会話講座を終えて

2025-07-26 07:48:58 | コラム
「Englishと英語とは」を振り返る機会でもあった:

「英会話講座」とは言ったが、振り返れば「講演」か「講義」になってしまったのは反省材料かも知れない。ではあっても、英語という余所の国の言語の勉強に昭和20年(1945年)から取り組むようになってから、92歳の今日となっては80年も経ってしまっていたのだ。

お陰様で1990年に紙業タイムス社の本田編集長(当時)の編集者のカンで始まった連載の題名「英語とEnglish」を35年も過ぎてしまった21世紀の今日になって、お復習いする貴重であり同時に絶好の機会となったのだった。本稿の企画はその辺りの思いを思い付くままに纏めてみようと言うことにある。

Englishと英語とは違うのだ:
Englishとは英連邦王国(United Kingdom、略してUK)とアメリカ合衆国で通用する言語である。と言うのは、UKではEnglishの他にウェールズ語、スコットランド語、ゲール語も公用語となっているし、アメリカ合衆国では「Englishは州によっては公用語に指定されているが、国家としては公用語ではない」のである。

英語とは私の定義では「学校教育で教科の一つとされていて、児童・生徒・学生たちを1から5までの段階で評価し査定するために科学的に仕立てられた学問である」なのである。即ち、多くの方が屡々嘆かれるような「話すことが出来なかった」というのは、言うなれば「目的外使用」なのである。「話せるように教えているのではない」のだ。

Englishとは異なる、実用性が配慮されていない「科学としての英語」を学ばれたのだから「会話が出来なかった」と嘆かれるのは無用であると言える。教えた方の責任に帰すべき事ではないか。しかしながら、私は我が国の教え方では非常に高い水準にある、私には及びもつかない「読解力」がつくことは間違いない事実であると理解している。

Englishは異文化の国の言語である:
海外で通じなかったと嘆かれることの原因に「英語を教えられたから」があると、上述のように指摘した。だが、通じないという事態の背景には、言語の他に「風俗・習慣・慣行・思考体系」に違いがある点にまで触れていないという事があると断定する。私はこの「文化比較論」を1990年から取り上げて発表してきたので、記憶して頂いた方もおられると思う。

手短に例を挙げていけば、「逆さの文化」と呼ぶ氏名の表記が反対である事や、右側通行である事、私立大学が国公立大学よりも格が高い事、製造業の会社は4年制の大学出身者を(定期にどころか)採用しない事、定年制はない事、マネージャーは肩書きであって地位を示すものではない事、チップ制である事、理容室と美容室は兼用である事等々であろう。

我が国の優れた点は英語の介在なくして全ての領域の学問を学べる事:
この点は世界に向かって誇るべき良い事である。言い換えれば、例えば世界で最新鋭の領域にある科学を勉強するために英語を学ぶ必要はないという事。これを別な視点から論じれば「英語教育を幼稚園や小学校からに教える必要があるのか」という事ではないのか。勿論、社会人としての常識としてか、教養として習得することまで否定するとは言わない。教えるのならば、実用性への配慮は必要ではないか。

英語を教える場合に細分化するのは非効率的であろう:
この意味は「単語の知識」、「文法」、「英文解釈」、「英作文」、「会話」のように夫々をまるで独立した科学であるかのように教えるのは非効率的であるという事。私が長年主張してきた学習法は「中学低学年の教科を何度も(10回でも20回でも)音読し、暗記し、暗唱できるようにしよう」なのである。

音読を重ねている間に全体の意味を読めるようになり、何処を繋げて読み、何処で切る(間を置く=pause)かが自然に解ってくるのだ。文法が先にあって、後から言葉を当て嵌めてEnglishに仕立て上げたのではないだろう。故にと言うべきか、Englishには「例外」と「不規則」ばかりだ。規則動詞の方が不規則動詞よりも少ないとは不思議ではないか。

暗唱できるようになると良いという意味は「英語を包括的というか総合的に覚えた事に通じるから」なのである。暗唱できるということは、文法をも解ってきたと言うことなのだ。例えば「彼は英語を上手く話せる」を英語で言う場合にheは三人称であり、現在で単数だから、speakと言う動詞を使う際に「三単現のs」を付けなければならないなどと考える間もなく、He speaksが自然に出てくるようになるのだ。

会話の勉強法:
これも同じような原理原則で「あの時はこうなっていた」とか「こういう場合にはこう言うと良い」という類いの例文を暗記できているので、それが普通に口から出てくるようなるのである。私が最初にGHQの秘書だったHelenに教えられたのもこの方式。「覚えている言い方を引き出して使いなさい、先に日本語を思い浮かべてから訳そうとしないこと」だったのだ。

最終回に語ったことは「このような私の勉強法を聞き入れないか、懐疑的で批判する方は多い。だが、常に強調してきたことは『英語の学習に成功し海外でも通用している数少ない者の手法を、上手く行っておらず、英語での意思表示が思ったように出来なかった数千万の方々が否定されている状態』はおかしいのではありませんか」だった。これと同じ勉強の仕方で、国際市場で通用する立派な英語力を備えた方には何人も出会ってきた。

結び:
未だ未だ言いたい、と言うか取り上げておきたい要素も多々あるが、そこはまたの機会に譲ろう。という次第で、トランプ大統領批判論は一休みにした。

7月25日 その3 相互関税合意の付帯条件を分析すれば

2025-07-25 15:47:05 | コラム
生成AIに分析して貰うと:

ボーイング100機購入の実態:
 この「100機購入」については、実際には既存の発注残やオプション契約を“新規購入”として政治的に演出した可能性が高いと分析されています。ANAとJALはすでに合計65機を発注済みであり、スカイマークも20機導入予定。つまり、実質的な新規購入ではなく、既存契約の“再掲”に過ぎない可能性が濃厚です。

「ウインウイン」なき合意の構造:
 日本側の関税率は25%から15%に引き下げられたものの、米国側の利益は「90%を保持する」と明言されており、日本の産業界にとっての実利は極めて限定的です。農産物や航空機、防衛装備品の大量購入が盛り込まれた一方で、日本側の輸出拡大や市場アクセスの改善は見当たりません。

ベセント財務長官の立ち位置:
 ベセント氏は「日本を理解する良い人」との期待もありましたが、実際にはトランプ大統領の交渉戦略を忠実に実行する立場にあり、交渉の場でも「日本は手強いが、トランプ氏はそれ以上に手強い」と語っています。彼自身、日本に52回訪問した経験を持ち、日本政府の組織力を評価しているものの、交渉の本質は「米国の利益最大化」にあります。(注:「52回の訪日は確証がない」とは言っているが)

以上、ご参考までに。

7月25日 その2 訂正版「ワシントンポスト紙ウエブ版から」

2025-07-25 15:35:39 | コラム
オレゴン州ポートランドの知人が知らせてくれたので紹介しよう:

Washington Post, 2025年7月23日付 の記事「何故日本車の米国向け輸入が有利になり得るのか」の概要を紹介してくれた。

アメリカ政府と日本が締結した新たな貿易協定により、日本製自動車の輸入関税が25%から15%に引き下げられました。この結果、日本の自動車メーカーにとっては一時的に有利な状況が生まれる可能性があります。

主なポイント:
  • トランプ大統領は、日本が米国車や農産品の市場開放と、5.50 兆ドル/円規模の米国向け投資パッケージを提供したことを背景に、この新関税率を提示しました。
  • 米国の主要自動車メーカー(GM、Ford、Stellantis)は、北米生産車や部品には25%の関税が維持される中で、日本製にはわずか15%の関税しかかからないのは不公平だと強く反発しています。
  • アナリストによると、日本車の関税コストは消費者が支払う価格に平均で約3,010ドル上乗せされる見通しで、メキシコ製(北米供給)の車よりもコスト競争力が得られる可能性があります。
  • 本協定は、今後の米国‑EU、米国‑韓国交渉でも同じ15%関税枠が模倣される可能性があり、日本が先行的な立場に立っていると評価されています。
要約:
  • 日本製車両への輸入関税が25%から15%に引き下げられたことにより、日本メーカーに一時的な競争優位が出現。
  • 米国製・北米製品には依然として高関税(25%)が残っており、米国メーカーが大きく批判。
  • 分析では、日本車の方が消費者価格の引き上げが緩やかである可能性が示唆されている。
  • 日本はこの取引構造により、今後の貿易交渉で主導的な地位を築く可能性がある。