新218『岡山の今昔』岡山市(東区)

2021-12-31 19:28:47 | Weblog
218『岡山の今昔』岡山市(東区)

 この地域のおよその歴史的な歩みをいうと、鎌倉時代末期に建立された西大寺観音院の門前町として発展していく。それに、市場町、吉井川河口も含むことから、港町も兼ねて繁栄していた。これらをして文化財というべきは、湊町、門前町として栄えた歴史的な街並みだろう。また、裸祭りで有名な西大寺観音院、藤井の宿なども歴史的な文化遺産として有名だ。さらに戦国時代のこの辺りには、乙子城、沼城といった宇喜多氏ゆかりの遺跡、国指定史跡の大廻小廻山城があり、それらの跡は往生時の陣容を今に伝えている。柔らかい話処でいうなら、焼き物分野において備前焼との関係が指摘される万富東大寺瓦窯跡が残っている。
 江戸時代に入ると、海岸部の干拓が進められることで、新田もできていく。それからも街づくりが進んでの現代、1953年(昭和28年)には、西大寺町と幸島村、太伯村など 9村が合併、西大寺市となる。
 その後は、「岡山県南百万都市構想」が台頭、これを経るうちに活路を岡山市との合併に求めることになっていく。それというのも、この建設計画というのは、岡山県南で33の市町村が合併しようというもので、岡山、倉敷という規模の大きい都市を中心に合併を進め、政令指定都市を目指した。けれども、現実には、各自治体の間を含め、色々な思惑か錯綜していたものと見られる。結局、ぶら下がられる側になる岡山、倉敷にメリットが薄い計画だった事もあり、計画は頓挫してしまう。
 やがて、岡山市は、独自に政令指定都市への道を模索していく、その一環として、西大寺市にも合併の話が具体化していったようだ。そして迎えた1969年(昭和44年)2月18日に岡山市への西大寺市の編入合併が成立、16年間の市政にピリオドを打った。2009年4月1日には、岡山市が政令指定都市へ移行し行政区が置かれ、当地は東区の管轄となり、旧地域センター(支所)が東区役所本庁となる。

 交通では、山陽本線の敷設に反対して鉄道通過地にならなかった経緯があった。そのため、新規交通網への参加が一時停滞したともいうものの、1962年には、国鉄赤穂線が開通して活気を取り戻す。

 産業面では、国道250号の沿道から眺めるとしよう。この辺りは、岡山市有数の先端工業が集まっている。これへのアクセスとしては、山陽自動車道 山陽IC(インターチェンジ)を下り県道を国道250号線へ向かい南へ。東平島交差点で、北西方向へ下ってきた国道250号線と出会う。鉄道でいうならば、岡山駅へ近づいていく山陽新幹線に、その北から南下してきた山陽本線が出会い、JR上道駅からほど近くの道路沿いに着目しよう。すると、在来型軽工業や船舶プロペラのナカシマプロペラ、電気機械器具製造の工場が次々と並んで立地しているのが見てとれる。
 次いで工業団地ということでは、吉井川の下流に沿って金岡町の南側に位置する九蟠(くばん)において、1976年(昭和51年)に瀬戸内工業団地協同組合が創立されたのを嚆矢(こうし)とすべきだろうか、当時から農業機械、自動車、建築、産業機械、食品など多岐にわたる業種が集まり、日本の産業構造の変化、経済発展など大きな変遷を経験し、紆余曲折を経て現在に至っている。
 そのほか、瀬戸地区のビール工場などが集積している。さらに •北部の丘陵地帯では、白桃と同じく岡山を代表する果樹栽培にブドウがあり、黒系、青系、紫系の3系統に分類できよう。その中でも現代の「一押し」とされているのは、種が無く大粒で味と酸味のバランスがよいピオーネ(黒系)、同じく種無しで甘くて皮ごと食べられるのが人気のシャインマスカット(青系)、芳醇な香りとブドウ本来の甘味を味わえるマスカット・オブ・アレキサンドリア(青系)といったところか。それから、南部の農地に眼を向けると、岡山市でも有数の穀倉地帯を広がっている。

○かねてから同区の工場街で操業している船舶用プロペラ大手のナカシマプロペラ(岡山市東区上道北方)が、ドイツの大手船舶用機器メーカーを買収したことが4月12日に分かったという。買収額は不詳ながら、同社にとって過去最大クラスの投資という。 相手方は、大型船のかじやプロペラの前に取り付ける省エネ装置で世界トップ級のシェアを持つ「ベッカーマリンシステムズ」。
 狙いとしては、技術面での向上であるとされ、具体的には、「主力のプロペラを含め、船舶の推進力や燃費を左右する船尾周辺設備の一貫製造で相乗効果を発揮し、業容拡大を目指す」(2021.4.12付け山陽新聞電子版)と紹介される。
 同社関係者による話としては、ベッカー社の株式の51%を3月31日、子会社のナカシマヨーロッパ(オランダ)が取得したもの。役員を選任する経営委員会を新たに設け、定員5人のうち3人を中島崇喜社長らナカシマプロペラ幹部が占める形だという。

○文化面では、2021年12月13日の西大寺観音院(東区西大寺中)を舞台とする裸祭り「西大寺会陽」奉賛会は、2022年2月19日の会陽について、2年連続で宝木(しんぎ)争奪戦を見送り、無観客で開催すると発表した。国重要無形民俗文化財の催しながらも、新型コロナウイルス感染予防のためやむを得ないと判断したもの。
 福男は選ばず、祝い主に直接宝木を授けるという話で、宝木は例年通り午後10時に投下。本堂大床には祝い主の関係者だけが上がり、宝木を受け取る形だ。なお、宝木を作る道具を手入れする「会陽事始め」といった関連行事は行うという。
 この「会陽」だが、1510年辺りか、年長者らに(宝木に当たる)牛玉紙(ごおうし)を授けたのが始まりと伝わる。ちなみに、コロナ禍で迎えた2021年は争奪戦を初めて中止し、歴代福男の中から札引きの儀式によって福男を決めたようだ。



○東区の「保健福祉・子育て」については、岡山市が2016年に作成した、次の報告があり、これに沿った現状認識を重ねることが期待されよう。 
 「・高齢化率が30%を超える地域が存在する。・病院・診療所数は本市の約10%、病床数は7.9%と、4区の中で最も少ない。・合計特殊出生率は1.377(2013)と4区の中で最も低い。・健康市民おかやま21東区地域推進会議が健康づくり活動を進めている。歯と口腔(こうくう)の健康づくりを重点的に取り組んできたが、さらに運動を通じた健康づくりに取り組むなど活動の幅を広げている。」(岡山市「区の概況、現状と課題」2016年6月の中の「区別計画策定に向けた検討シート(東区)」)

○「岡山県の「街の幸福度&住み続けたい街ランキング」結果は?」(見出し報道)
 大東建託は岡山県に住む成人を対象に、居住満足度調査を実施した。その結果、岡山市東区は、「住み続けたい街ランキング」の1位の総社市、2位の「浅口市」に次いで3位だったという(2021年11月27日配信の「ヤフーニュース」電子版)。 交通の利便性や区民への行政サービスのよしあしが相対評価で最上位クラスのプラスに触れているのは、包容力とでもいおうか、伝統の賜物によるものであろうか、それとも斬新な内容が含まれているためなのだろうか。



(続く)
 
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新217『岡山の今昔』岡山市(中区)

2021-12-31 10:47:23 | Weblog
217『岡山の今昔』岡山市(中区)

 中区といえば、2009年4月1日に設置された。特徴的なのは、岡山市の内で一番小さい区ながら、それとの比較相対で多くの人口を擁している訳だ。

 具体的には、市全域の数値が719,474人なのに対し、その数は146,232人。一方、市全体に対する中区の面積割合は20.32%であって、市全域の数値789.95平方キロメートルなのに対し、こちらは51.24平方キロメートルであるに過ぎない。

 その区域については、おおむね旭川以東から百間川以西とでも表現したらよいだろうか。すなわち、北には龍ノ口山、中央には操山(みさおやま、後楽園の少し東側)の丘陵地、西には旭川、東にはその洪水時の放水路としての百間川と、それからかなり下って瀬戸内海へ出会うまでの南部には、児島湾を干拓した農地などが、かなりの広範囲で広がる。

 歴史的には、この辺りには、古代より人々が居住していたようだ。百間川遺跡や操山古墳群からは、当時からかなりの先進地域であったようである。


 もう少しいうと、百間川は、江戸時代、旭川の洪水時の分流しての負担軽減を意識して開削された人工の放水路だ。現在の北区三野から中区中島にかけての付近で旭川と分流し、操山(みさおやま)の北を東流する。中区米田付近で、東にそびえる芥子山を避けるように大きく南に流れを変え、干拓地の方へと下っていく。
 そのとっかかりからの道程の途中には、旧石器時代、縄文時代から弥生時代までの遺跡、さらには操山古墳群などが見つかっており、中でも弥生時代を通じてのこの辺り、現在でいう百間川の河川敷には、原尾島遺跡、沢田遺跡、百間川兼基・今谷遺跡、米田遺跡からなる、複数の水田跡が見つかっていることから、当時にはすでにかなりの密度で人々が生活していてことが窺えよう。


 やがて奈良時代まで下ると、賞田地区に備前国の国府が置かれていたのではないかと。江戸時代まで下ると、門田地区・東山地区は城下町の一角となり変わる。

 江戸時代、京都・大坂から西国街道(山陽道)でやって来た人々は、藤井(東区)へと入っていた。その時点では岡山城が見えていたのだろう、藤井の宿を越えた辺りから本街道は西南へ下っていく。やがて、森下町(中区)にいたり、そこは城下町の東の入り口となっていた。それからも南下して小橋町のところで京橋を西へ渡り始めると、城下町の中心への道になっていくのだが、現在の東区内の町割りということでは、その方向には向かわず、ひたすらに南下していく流れとなっている。

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 交通は、岡山バイパス(国道2号線)、それに南北に走る県道45号線が動脈となり、その沿線には工場が林立している。

 明治時代には、山陽鉄道や西大寺鉄道が整備される。大正時代になると、路面電車が東山地区まで延長される。

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 人文・歴史面では、区内は、旧制第六高等学校、岡山県岡山高等女学校と創立となって、文教地区としての発展していく。
 変わったところでは、この内には、国清寺という臨済宗の禅寺がある。1609(慶長14年)に、岡山藩の事実上の領主だった池田利隆が池田家の菩提寺(ぼだいじ)として建立した法源寺が始まりだとされる。以来、時の権力との結びつきを重ねてきたよう。それでも、庶民にはこの辺りでは、あの「ゴォーン」と鳴り響く「除夜の鐘」でもって近隣の人々にゆく年くる年を知らせてくれているという。
 そこでこの寺に設置されている鐘の話なのだが、1665(寛文5年)に京都の著名な鋳物師だった藤原国次(ふじわらくにつぐ)が製作し、その銘が鐘の裏に記されている。鐘は長さ120センチメートル、口径68センチメートルで程よい、朝鮮系の要素を取り入れているというから、なんでも名品に違いあるまい。
 それが、太平洋戦争開戦前の1941年(昭和16年)8月には、災難にあいかけたという。なぜなら、政府は金属類回収令を公布、寺院に鐘の供出を求めた。軍需品製造のための鉄不足を補うためであった。これに対して、当時の住職がかたくなに拒み、かわりにというか、境内にあった青銅製の観音像は持って行かれたのだと伝わる。


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 商店街ということでは、かねてから、この地域は商業でにぎわってきた。それに住宅地は、中区の北側を東西に横断するJR山陽本線の西川原駅を中心に広がる。中でも、古くから城下町として開けていた門田・東山地区や国道250号が通る高島・東岡山地区には、1960年代の高度成長期から住宅建設が進んできた。


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 町の話題あれこれということでは、新聞、テレビなどのメディアにおいて取材があるので、幾つか紹介しよう。

○旭川によって形成された龍ノ口山から操山にかけての扇状地は、岡山市街地北東部に連なる山々を背景に形成されたもので、祇園用水、倉安川などからの大小の農業用水路が張り巡らされているという。
 その水辺には、アユモドキ(天然記念物)やホタルなど貴重な動植物が生息しており、特にアユモドキは、岡山県内の河川と、琵琶湖・淀川水系にだけ棲んでいる珍しい淡水魚で、国の天然記念物に指定されている。
 ところが、同類のドジョウに似て、増水時に水没するような草の生い茂った浅瀬に棲み、5~9月に産卵するとのことながら、河川や田んぼの改修などによって、棲むところや産卵する場所が少なくなりつつあるという。

○中区といえば、4区のうちでは最も人口が緻密であるという。地図を広げてみよう。南側斜面は市街化が進み、住宅地であるが、北側は里山のたたずまいを残した集落が点在し、果樹園や畑、竹林が広がっている。
 そんな操山公園里山センターは、平成9(1997)年11月25日に開館し、以後多くの人々に親しまれている。位置は、操山〔みさおやま〕地区は、岡山市中心部の東に位置し、標高130から170mの山々が東西方向に連なる丘陵地である。
 こちらを楽しむのは、トレッキングだという。いわゆる一つの低山登山という感じでした。操山山頂まで行くことかできよう。それでも、この山はほぼほぼ階段状の坂道、しかも分かれ道が多く、目的地を明確に描いていないと全く別の場所に行ってしまう。気軽に森林浴を楽しむにはよいのてはないか。
 それと、展望もよいという。操山からは岡山平野や市街、また、児島湾、吉備高原の山々も見える。なお、山麓一帯には、古墳や曹源寺、安住院、瓶井の塔などの寺社が点在し、歴史と文化を知る上でもみどころも多いようだ。

 今につながる中区の「保健福祉・子育て」については、岡山市が2016年に作成した、次の報告があり、これに沿った現状認識を重ねることが期待されよう。 
 「・高齢化率は市平均より低いが、「ひとり暮らし高齢者」「高齢者のみの世帯」の割合は4区の中で最も高い。・高齢化率が高い地域の中には、コミュニティのつながりを深め、高齢者を地域で支えるため、活発に取り組んでいる地域がある。・子どもの割合は南区と並び最も高く、合計特殊出生率は○○(2013)と4区の中で最も高い。・各中学校や小学校区単位で健康市民おかやま21の推進体制があり、特に学校と連携して食育などの普及啓発活動を推進している。」(岡山市「区の概況、現状と課題」2016年6月の中の「区別計画策定に向けた検討シート(中区)」)


(続く)


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