新♦️472『自然と人間の歴史・世界篇』ドイツの天文学的インフレーション(1918~1924)

2021-12-10 10:13:18 | Weblog
472『自然と人間の歴史・世界篇』ドイツの天文学的インフレーション(1918~1924)

 1918年のドイツの第一次世界大戦敗戦時の財政状況は、1913年との比較で4倍近い国債の増発となっており、しかも物価は約2倍に上がっていたという。もう少し辿ると、戦争開始の1913年の歳出25億マルクに対し、1918年のそれは440億マルクというのだから、その膨張ぶりがお分かりいただけるだろう。
 案の定、こうした国債の大量発行は戦時の財政政策全般と相まって通貨の増加となり、人々はその重圧の中に生きていた。それが敗戦になると、今度は多額の賠償金を背負うことになったのだからたまらない。ために、さらに多額の歳出を賄うべく財政赤字を積みましていくという悪循環で陥る。
 1923年に入ると、フランス・ベルギー軍がルールの一部、ラインのウエストファーレン地方の占領を行うと、ドイツはこれを阻止するべく同地の炭坑夫によるストライキで抗議するも、彼らの生活費の補給や同地方が占領されたことによる税収の落ち込みもあり、前述の悪循環に拍車がかかっていく。つまるところ、それらのことで物価がさらに上がり、人々は自国の通貨に対する信頼を急激に失っていく。
 それからは「キャロッピング」といおうか、秋を迎えてからの物価は戦前の1兆数千倍、通貨量は約80億倍にもなっていく話(注)であって、さすがに政府も、こうした流れを断固として食い止めねばならないと決意したようである。1923年10月には、ドイツ・レンテン銀行が設立され、11月15日になると、新たにレンテン銀行券が発行され始める。
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(注)第一次世界大戦後のドイツにおいては、記録的なインフレーションがあった。その前中後にわたるマルクの対ドル為替レートをみると、概ね次の通りだ。
 1914年7月には、1ドル=4.2マルクであったものが、1918年の敗戦後の1919年5月には同レート(以下、同じ)が13.5。1919年12月には46.8。1920年1月には64.8。1920年6月には39.1。192年7月には39.5。1921年7月には76.7。1922年6月になると320.0。1922年7月には493.2。1923年1月には17,972。この年に、ルール占領。
 それからは、さらに飛躍的なマルクの減価が進んでいく。1923年7月には353,412。1923年8月には4,620,455。1923年9月には98,860,000。1923年10月には25,260,280,000。1923年11月には、4,200,000,000,000にも達する、この年レンテンマルク発行。(「ビジュアル世界史」東京法令出版、2000)など。
 もう一つの指標、物価の推移は、敗戦から3年後の1921年には戦前(1913年)の35倍(以下、同じ)。翌1922年には一挙に1475倍に。そのまた翌年の1923年の末には1,422,900,000,000に跳ね上がる。
 これの実感としては、やはり出回っていた商品との関係が分からなければならない。アメリカの経済学者ガルブレイスは、こんな例を紹介している。
 「昨日はたしか1万4000マルクだったハム・サンドウィッチが、今日は同じ喫茶店で2万4000マルクになっている。私は心臓が止まるほど驚いた。(中略)銀行の出札係が、千マルク紙幣で400万マルクを渡してくれた。ごていねいにも彼は、そのおカネを小きれいに包んでくれた。私はレストランにテーブルにそれをのせ、給仕が勘定書をもってきた時、大汗をかいて包をほどいた。この面倒さもやがて解消するだろう。来週の末には100万マルク紙幣が発行される予定だから。」(ガルブレイス著「マネー」)
 そして迎えた1923年の10月、ドイツの中央銀行ライヒス・バンクの政府貸付金は、497,000,000,000,000,000,000マルクに達したとか。いやはや、天文学的数字になっていたところへ、今度は政府が、レンテンマルクという新しい紙幣を発行し、これを旧紙幣の1兆マルクと交換すべきと発表する。その際は、土地が担保となるとのことで新紙幣の発行を実行するのであった。その昔のフランス革命時のフランス革命政府はアッリニア紙幣を、旧支配階級から没収していた土地を担保として発行したのであったが、こちらは土地担保なるものは単なる口実に過ぎなかったのだが。
 (なお、この間のドイツ経済に関する計数などを含め、日本側の文献としては、さしあたり、塚本健「ナチス経済」、今井勝郎「国際経済史新論」を推奨したい)

 これは、8月12日に瓦解したクノー内閣の下でクノー及びシャハトが着想していたものを、その後のシュトレーゼマン連立内閣の大蔵大臣ヒルファーディング(マルクス経済学者)が修正して提案、採用されたもので、その骨子は、次のような段取りであったという(以下は、今井、前掲書からの引用)。
 「(1)レンテン銀行の資本金は32億レンテンマルクでその調達は土地債務によった。つまり各産業が使用する土地の法定価格の4パーセントに当る債権を農業と商工業とで半分ずつ調達して資金とした(実際は特別税として、各産業が債務を年々支払うことによってレンテン銀行は資本を獲得した)。
(2)この土地債務をもとに銀行はレンテン債券を発行した。
(3)このレンテン債権をうらづけとしてレンテン銀行は銀行券ーレンテン銀行券を発行した。
(4)レンテン債権1マルクは兌換のばあいには金1マルクと兌換されるものとした。ただし金1マルクは純金2790分の1キログラムであった。
(5)政府が紙幣をライヒスバンクから調達するために発行した大蔵省債券のすべてを、3億レンテンマルクで償還すると同時に、今後、政府はライヒスバンクに大蔵省債券によって紙幣を調達できないものとした。
(6)レンテンマルクの発行限度は、2000億レンテンマルクであった。そのうち半分を政府に貸付け、その半分ライヒスバンクを通じて実業界に貸すものとした。
(7)レンテンマルクは法定通貨ではない。」(今井勝郎「国際経済史新論」晃洋書房、1999)
 これにあるように、土地に裏付けられた(つまり無価値ではないところの)レンテンマルクを導入することで政府は赤字を紙幣の増刷でうめることが制約され、予算の均衡に努める。そのために公務の従事者を大っぴらに大量解雇できることになった。それと、インフレで価値の減少した既存の国債をレンテンマルクで精算して国債の利子払いを縮小させるとともに、税率の引上げと新税の導入をして歳入の増加を図るという合わせ技なのであった。
 こうして予算を赤字を埋め合わせる、それだけのために、従来からの公式通貨たるマルクが発行されるということは、11月16日以降なくなったという。すなわちこれは、かくも激しいインフレの原因は、財政の赤字に基づく国家による際限のない不換紙幣の増発にあるということ、そのことを強く意識した政策であった。

  
(続く)

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