紹介『岡山の歴史と岡山人』序言
💛額に汗して働き、ふるさと・地域を愛し、かつ切磋琢磨の人であった、父・丸尾登と母・丸尾定子、父方の祖父・丸尾安吉と祖母・丸尾とみよ、母方の祖父・為季文蔵と祖母・為季せきに、この文を捧げる💛
私は、岡山県の山間部の農家に生まれた。子供のころの一番の疑問は、家(うち)はどうしてこんなに朝から夜まで働かなければならないのだろうか、というものだった。そうなるとねがうのは、家族が安心して暮らせるように世の中もかわってくれたらいい、というものだった。
💛額に汗して働き、ふるさと・地域を愛し、かつ切磋琢磨の人であった、父・丸尾登と母・丸尾定子、父方の祖父・丸尾安吉と祖母・丸尾とみよ、母方の祖父・為季文蔵と祖母・為季せきに、この文を捧げる💛
私は、岡山県の山間部の農家に生まれた。子供のころの一番の疑問は、家(うち)はどうしてこんなに朝から夜まで働かなければならないのだろうか、というものだった。そうなるとねがうのは、家族が安心して暮らせるように世の中もかわってくれたらいい、というものだった。
小学校、中学校までは、自分からはほとんど態度を決めるようなことはできなかった。そんな中でも、社会科の勉強と歌を歌うのが大好きで、これで何かできたらいいな、というのが秘めたる思いではなかったか。中学生の時の独り道になると、よく歌謡曲の「人形の家」やアメリカ民謡の「スワニー・リヴァー」、同ジャズの「デキシーランド」などを繰り返し口ずさんでいたのを思い出す。
転機は、工業高専の4年生の時学生運動があり、それに参加するうちに何かしら世の中のことを、それまでよりもやや広く眺めるようになった。学業の方は、工科系はなんとかついていっていた程度で、大方振るわなかった。
転機は、工業高専の4年生の時学生運動があり、それに参加するうちに何かしら世の中のことを、それまでよりもやや広く眺めるようになった。学業の方は、工科系はなんとかついていっていた程度で、大方振るわなかった。
20歳からは、県外に生活の糧を求めた。次男坊であったから、あれは中学生の時であったろうか、祖父の安吉(やすきち)から、「おまえはここを出てやって行け」との言葉に、「そんなものかなあ」と身の引き締まる思いに駆られた。以来、たぶん失敗の方が多くて、それでもめげずに、これまでなんとか暮らしてきた。
顧みると、故郷の野や山そして川(吉井川の支流の加茂川)に向かって、我が胸を張れるようなものなどあるのだろうか。それというのも、私にとってこれまでの人生行路たるや、判断を迫られるような時にも、何かしら臆するところもあり、不本意なままで過ごすことが多かった。
それと、日々の暮らしをなんとかやっていくには、自分や家族の力のみならず、社会との関わりからも相当の影響を受けてきたのではないだろうか、いまようやく時を得て、万感迫るものがある。
私に、きみのふるさとの岡山はどんなところかと問いかけてくれたら、とても良いところですよ、というほかはない。では、どのように良いのかと問い直されるなら、この地は、そもそもは吉備の国、やがて美作・備前・備中の三つに分かれ、さらに岡山県となったのです。それらの土地名は、今も岡山人の心の拠り所となっているのです、とでも答えたい。
そんなふるさとの悠久の歩みを回想しながら、今までお世話になった皆さんのお顔を想い起こしつつ、これまで私を支えて戴いたこの郷土のすべてに感謝を捧げる一環として試みたのが、この地を通る道を案内役に見立てたこの物語である。
岡山県内には、まだ自身が歩くか、車に乗って通ったことのない道が万を数えるほどにあれども、これから機会に恵まれれば、愛用のリュックサックを背負って、それらをあわせてのできるだけ多くの道を巡り歩きながら、あれこれの名所旧跡などにも挨拶してゆきたいものだ。
追記
なお、執筆にあたっては、全600項目からの各々が程よい長さで、ご要望のあった、電車なりでいうと二駅過ぎる位の間になるべく読めるよう心掛けました。しかし、あれもこれもと欲張っているうちにその枠をはみ出すことが多く、ご期待に沿えていないのかも知れません。
主なご要望の二つ目は、「内容、記述とも難しい」とのご指摘です。こちらでは、逐次注を施すなど、正確さを失わない、可能と思われる範囲内でわかりやすさを引き出すための工夫をしてきたところです。
そういう次第にて、ある程度のご愛顧をいただくまでの間には、いまだ程遠いのかも知れないものの、ここにひとまず取りまとめを行ってから、追々考えていく所存でおります。
顧みると、故郷の野や山そして川(吉井川の支流の加茂川)に向かって、我が胸を張れるようなものなどあるのだろうか。それというのも、私にとってこれまでの人生行路たるや、判断を迫られるような時にも、何かしら臆するところもあり、不本意なままで過ごすことが多かった。
それと、日々の暮らしをなんとかやっていくには、自分や家族の力のみならず、社会との関わりからも相当の影響を受けてきたのではないだろうか、いまようやく時を得て、万感迫るものがある。
私に、きみのふるさとの岡山はどんなところかと問いかけてくれたら、とても良いところですよ、というほかはない。では、どのように良いのかと問い直されるなら、この地は、そもそもは吉備の国、やがて美作・備前・備中の三つに分かれ、さらに岡山県となったのです。それらの土地名は、今も岡山人の心の拠り所となっているのです、とでも答えたい。
そんなふるさとの悠久の歩みを回想しながら、今までお世話になった皆さんのお顔を想い起こしつつ、これまで私を支えて戴いたこの郷土のすべてに感謝を捧げる一環として試みたのが、この地を通る道を案内役に見立てたこの物語である。
岡山県内には、まだ自身が歩くか、車に乗って通ったことのない道が万を数えるほどにあれども、これから機会に恵まれれば、愛用のリュックサックを背負って、それらをあわせてのできるだけ多くの道を巡り歩きながら、あれこれの名所旧跡などにも挨拶してゆきたいものだ。
追記
なお、執筆にあたっては、全600項目からの各々が程よい長さで、ご要望のあった、電車なりでいうと二駅過ぎる位の間になるべく読めるよう心掛けました。しかし、あれもこれもと欲張っているうちにその枠をはみ出すことが多く、ご期待に沿えていないのかも知れません。
主なご要望の二つ目は、「内容、記述とも難しい」とのご指摘です。こちらでは、逐次注を施すなど、正確さを失わない、可能と思われる範囲内でわかりやすさを引き出すための工夫をしてきたところです。
そういう次第にて、ある程度のご愛顧をいただくまでの間には、いまだ程遠いのかも知れないものの、ここにひとまず取りまとめを行ってから、追々考えていく所存でおります。
✳️現在取りまとめ作業中のブログの案内(https://taiji7988mt.blog.jp)
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