父・登(のぼる)の平和への思いを胸に(2021.12.16)
私の父は、第二次世界大戦中の中国において、旧日本陸軍の一員として中国人兵士と戦争をしていた。その間の話を、もうかなり前のある日のこと、私の問いかけに対して応えてくれたことがあった。傍らでは、祖母が座って聴いていた。あれから数十年、いまから考えると、本人はそんな話はしたくなかった筈だ。
それは、告白といおうか、懺悔といおうか、かといって沈痛な調子ではなく、たんたんと、口数は多くなかったのだが。それでも、今日改めて持ち出すのは、その村に中国軍がいないことで安心したのか、部隊が一息ついた後のことであったろうか、日本人兵士たちの中には「女を探しにいく」ということで出かけた者が少なからずいたというから、大層驚いた。その時の父は、「お父ちゃんは行かなかった」と。念のため断っておきたいのは、父は決して嘘が言えるような器用な人ではなかった。
そんな70年以上前の話をいまなぜ繰り返し紹介するのかというと、私たち日本人の少なくない人たちの頭の中に、かつてのアジア侵略の歴史を、憲法第9条の平和条項とともに消し去ろうとする動きが激しくなりつつあるのを感じるからである。(2021.12.16)
私の父は、第二次世界大戦中の中国において、旧日本陸軍の一員として中国人兵士と戦争をしていた。その間の話を、もうかなり前のある日のこと、私の問いかけに対して応えてくれたことがあった。傍らでは、祖母が座って聴いていた。あれから数十年、いまから考えると、本人はそんな話はしたくなかった筈だ。
それは、告白といおうか、懺悔といおうか、かといって沈痛な調子ではなく、たんたんと、口数は多くなかったのだが。それでも、今日改めて持ち出すのは、その村に中国軍がいないことで安心したのか、部隊が一息ついた後のことであったろうか、日本人兵士たちの中には「女を探しにいく」ということで出かけた者が少なからずいたというから、大層驚いた。その時の父は、「お父ちゃんは行かなかった」と。念のため断っておきたいのは、父は決して嘘が言えるような器用な人ではなかった。
そんな70年以上前の話をいまなぜ繰り返し紹介するのかというと、私たち日本人の少なくない人たちの頭の中に、かつてのアジア侵略の歴史を、憲法第9条の平和条項とともに消し去ろうとする動きが激しくなりつつあるのを感じるからである。(2021.12.16)