新◻️259『岡山の今昔』美作市(旧大原町を含む)

2021-12-23 18:48:46 | Weblog
259『岡山の今昔』美作市(旧大原町を含む)

 美作市は、県内で一番の北東部にある、南北に長い領域だ。吉井川の支流吉野川、梶並川流域から、中国山地南斜面に広がる。こうなったのは、2005年勝田町、大原町(因幡街道大原宿のある)、東粟倉村、美作町、作東町、それに英田町の5町1村が合併して、市制を敷いたことがある。これにより、人口は 2万7977人(2015)に膨らんだ。行政でいうと、北で鳥取県、東で兵庫県に接する。行政区の別でもう少しいうならば、隣はざっと西から時計回りに久米郡三咲町、勝田郡勝央町、同奈義町、東に回って播磨、赤穂など色々、さらに南にかけては備前市、赤磐市という具合だ。
 自然環境は、ぐんとよい。この辺り、北へ向かうと、兵庫県境に届く、県内最高峰の後山などが聳える。このあたりの北部は氷ノ山後山那岐山国定公園、南部は吉井川中流県立自然公園として、なかなかの景勝地だという。
 交通網としては、古代においては、その中の勝田地域といえば、日本の古代から名前が知れている。中世になると、北半分に梶並荘(かじなみしょう)、南半分には小吉野荘があり、当時の荘園支配の一環に組み入れられていたと伝わる。
 この辺り古代といえば美作国英多郡大原郷(おおはらのごう)があり、中世になっては大原保(おおはらのほ)という荘園がおかれていたという。また江戸時代に下ると、この地域の中心集落である古町は、因幡(いなば)往来を行き交う参勤交代などの宿場町として、かなりの賑わいを見せていたという。またこの一帯は、古代美作国英多郡大原郷(おおはらのごう)、中世は大原保(おおはらのほ)であった。

 近年には、縦貫道以外にも色々便利になってきているようだ。さしあたり、鉄道がJR姫新線と智頭急行(大阪駅~大原駅)。道路では、国道 179号線、29号線が通じ、大阪からは中国縦貫自動車道が便利だ。課題としては、やはり、北部と南部の繋ぎが一番なのであろうか。そこで期待されているのが「美作岡山道路」であって、こう紹介されているところだ。 「県北部を通る中国自動車道と南部の山陽自動車道を結ぶ道路(総延長約36キロ)として計画され、1993年に事業が始まった。すでに11.5キロが通行でき、吉井(赤磐市)〜佐伯(和気町)と熊山(赤磐市)〜瀬戸(岡山市)は、来年度にも供用が始まる予定。美咲町の飯岡地区がある英田(美作市)〜吉井の約11キロのみが未着工のままとなっている。」(朝日新聞、2017年12月23日付け)

 市の中心としての林野(はやしの)には、姫新線の林野駅が定着して久しい。吉野川と梶並川の合流点付近に位置し、河港として発展してきた。江見は、吉野川流域の物資集散地として発展してきた。そして、古町は、近世に因幡街道、土居は出雲街道の宿場町であった。また、吉野川沿いには、湯原温泉、奥津温泉と並んで美作三湯の一つに数えられる、湯郷(ゆのごう)温泉がある。

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 産業としては、やはり昔からの農業から始めるべきだろうか。農村部では米やアワ (粟) 、美濃早生大根、シイタケ、葉タバコ、ブドウやメロン、イチゴなど多彩だ。山間部では、豊富な自然を活かしての木材に、花木、葉タバコ、クリが特産であるという。畜産も盛んで、丘陵地では、古くからウシの飼育が盛んだという。梶並川上流には久賀ダムがあり,農業用水源となっている。

 それでは、新たな産業としては何があるのだろうか。さしあたり、工業団地とメガソーラーがあるとされ、後者については、こんな報道がある。
 「岡山県美作市は大規模太陽光発電所(メガソーラー)の発電用パネルの面積に応じて独自に法定外目的税を賦課できるよう検討を始める方針を示した。萩原誠司市長が28日の定例市議会で表明した。設備の自然災害時の復旧や環境負荷抑制に向けた経費への充当を見込むほか、減価償却が終了した後の固定資産税の収入減を見据えて財源を確保する狙いもある。
 法定外目的税は自治体が条例で金額や使途を定めることができ、現在は国の関係機関と協議に入っている。今後は有識者会議や事業者からのヒアリングなどを経て課税対象や賦課方法など詳細設計について議論し、1年程度かけて条例整備を進めていくとしている。市によると、条例が制定されれば全国初の試みになるという。
 美作市内では現在、合計で最大出力5万キロワット分のメガソーラーが稼働しており、市には2017年度に1億7000万円の固定資産税が入った。19年秋以降には米系のパシフィコ・エナジー(東京・港)が、国内最大規模となる最大出力25万7000キロワットの「作東メガソーラー発電所」を稼働させる予定だ。」(2018年11月29日付け日本経済新聞デジタル)

 この関連での最近のニュースでいうと、工業団地や太陽光発電に、まつわるものがよく話題とされている。2021年12月21日、美作市議会が太陽光発電パネルの設置面積に応じて発電事業者に課税する「事業用発電パネル税」条例案を賛成多数で可決したという。地方税法に基づく法定外目的税ということで、発電施設周辺の環境保全や防災費用に充てるとしている。総務相の同意を得て2023年度の施行を目指しており、実現すれば全国初ケースとなろう。
 この条例案だが、ある規模以上の施設を対象に策定された。出力10キロワット以上の野立て型発電施設を対象としている。ただし、住宅などの屋根に設置するタイプには課税しない。また、野立て型でも50キロワット未満で、土砂災害などの危険区域外なら免除される。
 同市内には国内最大規模のメガソーラーもあり太陽光発電パネルの総面積は2021年1月現在、約238万平方メートルと県内最大。
このうち課税対象施設から、発電パネル1平方メートルあたり50円を課税するとして、年間約1億1000万円の税収を見込んでいるという。税収の使い道については、発電施設は山の斜面などに設置されていることが多く、昨今は土砂崩れなども頻発しており、環境保全や災害対策などに充てるというのだが。
  
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 大原については、別に少しばかり説明しておこう。こちらの現在は、市の北東部にある、21世紀に入っての合併で今は美作市の一部だが、その前は、英田郡(あいだぐん)にあった旧町名、大原町といった。
 吉井川の支流の吉野川を上流まで遡ろう。そこにある盆地のあたり。周りを、なだらかな山々が囲む。区割りでいうと、同市の北東部を占める地域で、兵庫県と接す。旧大原町は、1922年(大正11年)に町制が施行された。古町、下町、江ノ原、辻堂それに上庄から成っていた。この一帯は、かつて美作国英多郡大原郷(おおはらのごう)、中世に入っては大原保(おおはらのほ)とあり、これが旧町名となった。そこで、古町の南端、後山川との合流点付近から南にあるのが、江戸期の吉野郡下町であり、そこには1493年(明応2年)に新免貞重の築いた竹山城があった。慶長5年までの106年間、ここを本拠に新免氏の支配が続いた。当時の上庄町の一部を分けて竹山城の下町とし、家臣のほか、商人や工人などを住まわせたという。その新免氏も、1600年の関ヶ原合戦に宇喜多秀家に属して出陣し、敗北して没落する、そんな中でも、家老の本位田家の一族などは下町に土着してその後を生きていく。
 1954年(昭和29年)には、讃甘(さのも)、大野、大吉の3村との合併をはたす。それからも、山あいでの人々の厳しい暮らしがあったのだろう。そして迎えた2005年(平成17年)には、勝田郡の勝田町、英田郡の美作町、作東町(さくとうちょう)、英田町の3町および東粟倉(ひがしあわくら)村と合併して市制を施行、広域での美作市となった。旧大原町の中心集落の古町は、江戸時代まで因幡往来が通っていて、鳥取から姫路の間の宿場町として繁栄していた。現在も、本陣や脇本陣のある古い町並みが残っているという。
 交通でいうと、智頭(ちず)急行が便利だ。国道373号がここを経由して兵庫県と鳥取県を結んでいて、429号が交差している。こちらの産業としては、かねてからの自然との関わりを挙げるべきだろう。豊かな山林を資源としての木材に、花木、葉タバコ、クリが特産であるが、養鶏も盛んだという。

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 やや珍しい話としては、これも「歴史上の変化」に違わないという当該地域の出来事を伝えたい、今のグローバルな世界で考えるにそれは突飛なことではないのが、以下に紹介する「ベトナムとの交流」ではないだろうか。美作市関連のサイトでは、まずもって「少子高齢化等の影響により人口の減少が著しい中、外国人の人口は年々増加傾向にあり、その中でもベトナム人の人口が増加している状況」(2021.12.23にアクセス)だというから、驚きだ。
 かの国などから、技術研修を含め働きにこられている人の数がかなり多いのは、受け入れ側の態勢が整っていることも寄与しているのではないかと、感じ入る。
 しかも、「この状況に鑑み、美作市では、在市ベトナム人が安心して暮らせるまちづくりの構築や文化・教育・観光等において交流を図ることにより、更なるベトナム人の定住化や観光客の増加を目的に、ベトナム交流事業を推進しています」とあり、並々ならぬ友好の意思がこちらに伝わってくる。
 それでは、ベトナムとはどんな国なのだろうか、「あのホーチミンの国なのか」「ベトナムについて楽しく学んでみませんか
とあるが、自分はどんなアプローチがあるだろうか」等々。その受け皿としては、「美作日越友好協会では美作市のベトナム人職員を講師としてベトナム語講座を実施します。ベトナム語での自己紹介やあいさつ、日常の会話等、様々なことについて楽しく」(募集は随時ではなくて、締め切りの表示も散見されるようだが)ともされており、訪問者への配慮があって嬉しい。
 
(続く)

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新◻️163『岡山の今昔』新見から高梁へ

2021-12-23 09:12:35 | Weblog
163『岡山の史と岡山人』新見から高梁へ

 それから、新見からの南方向への線路が伯備線(はくびせん)であって、こちらは高梁川沿いを辿って、やや東に偏(かたよ)りを見せつつ南下する。こちらの鉄路は、ほぼ現在の国道180号線沿いを辿る。新見を出た列車は、まずは石蟹(いしが)の駅に滑り込む。
 ついでにこの駅で下車してみよう。国道180号線を約2キロメートル北に行き、正田の交差点を左折してから高梁川を渡る。今度は、本郷川に沿って上流に約1キロメートルで金谷へ。さらに、本郷かわと河本ダムのある西川との合流点付近の川原に行くと、その辺りには約2億年前の石灰岩とそれに隣接しての花こう岩の地層が見られるとともに、方解石やガーネットといった種々の鉱石が拝見できるとのこと(柴山元彦「ひとりで探せる川原や海辺のきれいな石の図鑑」創元社、2017)。
  さて、鉄路に戻ろう。石蟹からは、井倉(いくら)へと南下していく。井倉駅から出て直ぐの左に見えるのが井倉洞(岡山県高梁川上流県立自然公園にも指定されている天然記念物にして、新見市井倉にある)である。そこから「下流へ約8キロメートルの間をいい、高梁川がカルスト台地たる阿哲台の石灰石を深くV字状に刻み、蛇行して流れ峡谷をつくっている」(立石憲利「高梁川上流の渓谷」:「日本の湖沼と渓谷」2中国・四国、ぎょうせい、1987に所収)と紹介されている。
 日本三大鍾乳洞の一つとされ、石灰岩が堆積した地層が隆起したものであるとも、阿哲台地の石灰岩地帯に長年雨水等が浸食してできたとも説明される。高梁川の流れに寄り添ってあることから、井倉駅から方谷駅にかけては、井倉峡だと言われる。そんな井倉洞だが、全長が1200メートルもあるという上に、高低の落差も相当に上るらしい。鍾乳洞の入口のあるところは、高さ240メートルの石灰岩の絶壁が聳える麓にあると言われる。さても、伯備線の列車に乗っている自分の目を見開いていると、高梁川沿いにそそり立つ絶壁の壁面には、たしかに割れ目のような入口が見て取れる。
 物の本や多くのガイドによると、入り口を入って暫く行ったところには「月ロケット」と呼ばれる竪坑が上に伸びており、さらに上ると「水晶殿」「鬼の手袋」まで行って水平方向に転回し、さらに奥へ奥へと続いていく。それらの行程の道すがら、に入って行くにつれ、鍾乳石が天井からぶら下がっての「つらら石」や、下からタケノコのように生えてきたかの「石筍」(せきじゅん)などの形となって、しつらえられた照明に浮かび上がってくるのだという。聞けば、その姿は「まるで美しい石のカーテン」だの「まさに幻想の世界」だとか、さまざまに称賛される。私もいつか時間を得て、ひんやりした空気を感じながらも、ここを訪ね歩いてみたいものだ。
 有名な鍾乳洞といえば、もちろん、この井倉洞ばかりではあるまい。こういう場合、日本人は「3大」云々と喧伝しがちなのだが、競争じみて来ると、反面見えなくなってくるものが多くあるのではないか。ここではやはりどれも素晴らしい内容と景観ということなのであり、それぞれの特徴を中心に愛(め)でればよいのではないか。山口県にある秋芳洞(あきよしどう)の延長は約10キロメートルと言われており、同じ中国地方にあって、地層などでどう関係しているのか興味深い。岩手県にある龍泉洞(りゅうせんどう)については、この洞内に住むコウモリと共に国の天然記念物に指定されているのが珍しい。こちらの総延長は知られている所で3.6キロメートルだとか。高知県にある龍河洞(りゅうがどう)の泉洞だが、こちらの見所は、奥の方から湧き出る清水が数カ所にわかって深い地底湖を形成していることにあるという。人間などまだ一人としていない頃に、かつて海中にあった生物の残骸、化石として堆積されていたものが地層とともに隆起して来た。生物のそれこそ気の遠くなるような年月に亘ってつくられていったことに、敬意を表したいものだ。
 さて、井倉洞を過ぎてからは、そのまま白絹を掛けたような趣のある絹掛(きぬがけ)の滝、鬼女洞などが織りなす井倉峡の渓谷美を間近に堪能しながら方谷(ほうこく)、次いで備中川面、木野山へと下っていく。この「方谷」という駅名は、藩政改革に功のあった山田方谷を記念して名付けられた。木野山までやってくると、訪れる者の目の前にはもう現在の高梁市の北に聳える臥牛山(がぎゅうざん)の勇姿が目前に迫りつつある。
 この中流域からの高梁川は、古来からしばしば歌に詩に詠まれてきた。明治以降の例でいうと、岡山の女流詩人の永瀬清子の作品「美しい三人の姉妹」に、こうある。
 「高い切り崖(ぎし)にはさまれた高梁川は/気性のいさぎよい末の娘。/奇(めず)らしい石灰岩のたたずまいに/白いしぶきが虹となる。/山々はカナリヤの柔毛のように/若葉が燃えだし/焔(ほのお)のように紅葉がいろどる/そそり立つ岩壁の足もとに/碧(あお)い珠玉(たま)をところどころに抱いて/歴史をちりばめ、地誌を飾り/いつもお前の魅力は尽きない。」(『少年少女風土記、ふるさとを訪ねて[Ⅱ]岡山』(1959年2月、泰光堂)。

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