923『自然人間の歴史・世界篇』米・中政府はどちらが「独裁的」か(問題点の若干の整理を巡って、1回目)
さて、この項では、その話のとっかかりに、今回の新型コロナ問題にちなんての新刊本の一節から紹介しよう。
それというのは、この本には数人の、各界の名だたる識者が登場されていて、その中での文化人類学者のダイアモンド氏による、項目名「二十一世紀は中国の時代か?」中での次の下りに目が止まった、その部分には、こうある。
「21世紀は中国の時代だという声も聞きますが、ありえません。中国は壊滅的なディスアドバンテージを抱えています。中国は四千年に及ぶ歴史の中で、一度も民主主義国家になったことがないのです。(中略)
中国は民主主義国家であったことがない。それが致命的な弱点なのです。中国が民主主義を取り入れない限り、二十一世紀が中国の世紀になることはないでしょう。」(ジャレド・ダイアモンド他著、大野和基編「コロナ後の世界」文春新書、2020)
改めて文脈を確認して、「ため息」を漏らしてしまったのは、他でもない。ここでの論旨が短兵急というか、それにアメリカの民主主義に照らして合致しているかどうかを評価の目安にしているところが、気にかかる。とりわけ、唐突に、「中国は民主主義国家であったことがない」とまで言い切っているのは、少し言い過ぎなのではないだろうか。
さりとて、中国において全面的普通選挙が実施されていないことはその通りで。明快で説得力のある他の部分も大いに感じているので、はたしてどのように消化したらよいのだろうか。しかしながら、世界のために、米中での和解を待ち望んでやまない立場からは、これでは相手方の同意なり、一定の理解の表明を得るには、かなり足りないように感じられる。
🔺🔺🔺
それでは、どうしたらよいのだろうか。やはり、一つひとつを比べていくうちに、なにかが見えてくるようにも考えるのだが。まずは、論争の中心となっている「民主主義」という用語の歴史を少し振り返ってみたい。その馴れ初めは、遠く古代ギリシャにさかのぼろう。かの時代においては、支配的に振る舞う市民(18歳以上の男子)の間にも、「貴族」と「平民」の差別と選別の社会的な構造があった、しかも、抜きがたく、時として尖鋭な形で。なお、ここで誤解なきように、被統治の側にいる奴隷などの立場におかれていた人々(細かくいうと、奴隷、メトイコス(在留外人)、女性)については、これからの話での参政権の埒外に追いやられていた。
これをみると、おおまかには、かたや前者は、社会の目標とするところを「善」におく、その上で、その理想の実現のためには能力に秀でた者が前面に立って社会を指導して然るべきだという。ちなみに、かの有名なソクラテスの愛弟子、プラトンは、「為政者が哲学者になるか、哲学者が為政者になるべき」と主張し、彼らの代弁者であり続けた。
一方、一般市民の方向は、かなり違っていた。それというのも、大方たるや、その逆であったという。ざっくばらんにいうと、そこでは権力による支配をできるだけ少なくし、社会の重要な決定は統治側の市民総体として担うべきだと主張し、これだと広く権力を市民一般に委ねるようにすべし、となろう。
ところが、これで両方での調整が図られ、妥協点を見いだすべく、双方協力しての努力が進むと思いきや、そうはならなかったのが、この話での「味噌」といえるのではないだろうか。
すなわち、後者に対しては、前者による攻撃がなされる展開になっていく。そこで貴族らは、いわく、「君たちの主張は、結局のところ、権力による支配を弱めたり、廃止することにはならず、善悪の判断において劣る市民大衆に権力をあたえることになろうと。
そして、かかる「善悪の判断において劣る市民大衆に権力をあたえるもの」(ギリシャ語にて「デモス・クラシー」)との、後者に対して手厳しい反批判を加えたことになっている。しかしてこれが、そもそもの「民主主義」とは何かの定義にも、ある程度は関わろう。
それから2000年近くを経ての16~17世紀の欧州では、カトリック(カソリック)とプロテスタントとの間に、神とどのように結びつくかを巡り宗教戦争が戦われた。
その中では、前者の勢力が、後者の信仰を持つ人々を、策を弄して大量虐殺さえ行うこともあったのが、やがて双方の間で歩み寄りがあり、互いの信教の自由を認め、保障しようとの動きが始まる。異なった宗教をもつグループが同じ地域に散在あるいは同居するためには、互いに寛容の精神をもって接しなければならない、と考えるに至る。
が、そうはいっても、両派の間には宗教生活上の問題が日常化していたのであって、それらの問題を解決するために集会し、意見を述べあって妥協点を探りあう、それでも折り合いがつかない場合は多数決原理が採用されていく、これはすなわち、「多数に理性が宿る」という価値観を形成していくのであった。
その後、市民革命など、各地での「権利のための闘争」を重ねるうちには近代民主主義が確立への道を歩んでいく。それらでの最大の拠り所となるのが、次に紹介するような取り決めとしての宣言であった。
「すべての主権の淵源は、本質的に国民に存する。いかなる団体も、いかなる個人も、国民に由来しない権力を行使できない。」(「人および市民の権力宣言(人権宣言)」1789.8.26、芝生瑞和(しぽうみつかず)編「図説、フランス革命」河出書房新社、1989での邦訳より引用)
🔺🔺🔺
それでは、このような民主主義のメニューを大方実現するためには、社会、そして国家とその政府は、どのように心がけ、どのようにしてきたのだろうか。これを語るのは、思いのほか難しい。さりとて、先人たちが遺してくれたあまたの言葉の中には含蓄のある道しるべが多数あり、ここではリンカーンのゲティスバーグでの演説にある「人民の、人民による、人民のための政府(政治)」を手がかりに、某か紐解いてみたい。ちなみに、この地は、南北戦争の転回点となった激戦地である。
こちらで用いられている文言に、どういう風な解釈が考えられるかというと、まずは、人民に属する範囲を公益として措定し、なおかつそれらを公(おおやけ)に明らかにして然るべきだろう。
ちなみに、公益の反対は私益であって、後者の領域での収益、処分などは別扱いとなろう。具体的に、何が公益に属するのかは、時代・環境などによって歴史的に変遷してきた。例えば、「小さな政府」とか「市場原理主義」という立場からは、できるだけ公益の範囲を狭く解釈しようとしてきた。とはいうものの、現在ではどの国、地域でもかなりの分野が政府・政治の関わるものとして社会的に認められるに至っているのではないだろうか。
もちろん、一概に公益に属する人民の広い意味での生活部分が多ければ良いというものではなく、例えば安全保障や治安(戦前の内務省の如く)に政治が肩入れするのは、少ないに越したことはあるまい。そういえば、テレビなどに出てくる顔の中にはいつでも「国家の危機」なりを強調して止まない人が見受けられるのは、いかがなものだろうか、主権者である国民は、いつでもどこでも、しっかりとその辺の裏側も含め全体事情を見極める能力を身に付けるべきだろう。
そこで、このような区分けを携えて米、中を眺めると、どうだろう、アメリカが資本主義の牙城を任じる余りか、繰り返し公益を軽んじる傾向があるのに対して、それを守ろうとする向きの強く見受けられるのが、「社会主義市場経済」の体制を取っているからというよりも、発展途上国としての中国にほかならない。なにより中国は、いまだに貧困の撲滅を最優先の政策課題としているのが読み取れよう(2020年1月までの「人民日報」では、その関連ニュースが幾重にも出てくる)。
リンカーンが掲げる二つ目のキーワードにおいては、どうだろうか。思うに、民主主義を実現する主体は人民であらねばならない、このことが一時たりともないがしろにされるようであってはならない。とはいえ、人民の総体が逐一というかどうかは別にしても、その時々の公益に関する案件に人々が一年を通して直接的に関わりうることがあれば、多様な理由から、選挙などで代表を選んで、選ばれた議員や行政首長などは、主権の範囲内でそれらについての政策を公明正大に実行していくこともあろう。
ここに「選挙民主主義」については、一説には、「普通選挙権に基づき、定期的で競争的な、かつ複数政党による選挙を通じて、立法府と行政首長が選出される、文民による憲政のシステム」(ラリー・ダイアモンド)とされるものの、真に「人民による選挙」(被選挙権を含む)となるためには、さらに法の下での平等、それに選挙の公平性と公開性が各々のレベルにおいて確保されていることも、要件に加えるべきだろう。
これらを含めて米中のおよその状況を見ると、中国では選挙法に基づき複数政党(ただし、実態は共産党が中心)の下での各級選挙が大方平穏に実施されるも、地区(市や自治州)から上では間接選挙となっており、公開性も満たされているとは言い難い(さしあたり、本間正道他「現代中国法入門」を推奨したい)。
例えば、香港も今は中国国内であることに変わりはなく、参考までに顧みれば、1997年の中国返還後の香港は、「一国二制度」の下で50年間は「高度な自治」を保障された。行政長官の選出について、香港基本法は、「広範な代表性を持つ委員会が民主的手続きで指名した後、普通選挙で選ぶ」ことを最終目標としている。それでも、前回の選挙は「選挙委員会」の1200人が投票できたにとどまった。
2014年8月、基本法の解釈権を持つ中国の全国人民代表大会常務委員会は、香港政府の報告に基づき、2017年選挙で18歳以上の市民が1人1票で投票する仕組みを決定した。同時に、中国側の決定では、香港の親中派が多数を占めるとみられる指名委員会が候補者を2〜3人に絞るため、同民主派は「民主派を排除するものだ」と反発し、決定の撤回などを求めて抗議を行った経緯がある。
一方、アメリカも、わけても大統領選挙で選挙人を選ぶ間接選挙にて、しかも州毎の最終集計に当たっては有利な側に全数を与える仕組みなので、死票が沢山出るのを免れない。
がしかし、これらの扱いは両国とも建国以来の伝統であることに留意されたい。また、アメリカではロビー活動や選挙上での人種差別化戦略が半ばまかり通っている感があり、中国についても、候補者が立候補の前に正当とは言い難い、ある種の調整(詳しくは別項)に直面する場合も見受けられる。
そればかりか、アメリカについては、これらに関連して、前述のダイアモンド氏による、こんな憂慮も表明されているところだ。
「日本やイギリス、ドイツでは選挙の前になると、この日に選挙がありますよ、という通知表が郵便で届きますが、アメリカは違います。投票するにはまず自分で有権者登録をしなければなりません。登録には免許証やパスポートなどのIDが必要で、どちらも持っていない多くのアフリカ系アメリカ人は登録できません。つまり彼らは投票できないのです。
アメリカは建前上、表面上は民主主義ですが、実際に投票できるアメリカ人はどんどん減少しています。」(前掲、「コロナ後の世界」)
そして三つ目は、それらの行為が広く人民のため(利益)となるように実行、実践されているかどうかが、これまた透明性なり公開の原則に則って、ここの人民にまで届くように明らかにされなければならないことをいう。
この道理を言い換えるなら、正当な理由なく、ある特定のグループに有利なように、彼らに対して正レント(特権)を生じさせるがごときは、民主主義ではない。逆に言えば、民主主義というのは、特定のグループに特権的な利益をもたらすことで、彼らの範囲での一握りでの「幸せ」を実現しようとする行動には、くみしない。
いみじくも、経済学者のクルーグマン氏からは、こんな「ため息」とも受け止められかねない声が寄せられている。
「毎日、衰退を示す新たな指標がもたらされているようです。やればできるはずの国家がパンデミックに対処できない国になり、自由世界のリーダーが国際機関の破壊者となり、近代デモクラシー生誕の地が独裁主義を志向する者に支配されています。なぜ、すべてがこんなにも早く、間違った方向へ行くのでしようか。」(前掲、「コロナ後の世界」)
かたや中国については、建国以来の「人民民主主義独裁」が国是(こくぜ)である以上、「独裁」一般をもってきて、「どうだ、こうだ」と非難なりを加えるのは、正しい批評とは言えまい。かの国で人民のための政府(政治)が現実のものとなるか、どうか、これからが正念場となるに違いあるまい。その辺りの探求に当たっては、中国人民の暮らしと意識の変化、現代におけるその方向性を、中華民族の再興の精神・願望までも踏まえつつ、謎解きをしていくべきだろう。あわせて、国際社会においては、彼らがこの間苦難の道を歩んできたことへの一定の配慮があって然るべきであり、それでこそ全体としての話が一層うまく行くの話ではあるまいか。
(続く)
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さて、この項では、その話のとっかかりに、今回の新型コロナ問題にちなんての新刊本の一節から紹介しよう。
それというのは、この本には数人の、各界の名だたる識者が登場されていて、その中での文化人類学者のダイアモンド氏による、項目名「二十一世紀は中国の時代か?」中での次の下りに目が止まった、その部分には、こうある。
「21世紀は中国の時代だという声も聞きますが、ありえません。中国は壊滅的なディスアドバンテージを抱えています。中国は四千年に及ぶ歴史の中で、一度も民主主義国家になったことがないのです。(中略)
中国は民主主義国家であったことがない。それが致命的な弱点なのです。中国が民主主義を取り入れない限り、二十一世紀が中国の世紀になることはないでしょう。」(ジャレド・ダイアモンド他著、大野和基編「コロナ後の世界」文春新書、2020)
改めて文脈を確認して、「ため息」を漏らしてしまったのは、他でもない。ここでの論旨が短兵急というか、それにアメリカの民主主義に照らして合致しているかどうかを評価の目安にしているところが、気にかかる。とりわけ、唐突に、「中国は民主主義国家であったことがない」とまで言い切っているのは、少し言い過ぎなのではないだろうか。
さりとて、中国において全面的普通選挙が実施されていないことはその通りで。明快で説得力のある他の部分も大いに感じているので、はたしてどのように消化したらよいのだろうか。しかしながら、世界のために、米中での和解を待ち望んでやまない立場からは、これでは相手方の同意なり、一定の理解の表明を得るには、かなり足りないように感じられる。
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それでは、どうしたらよいのだろうか。やはり、一つひとつを比べていくうちに、なにかが見えてくるようにも考えるのだが。まずは、論争の中心となっている「民主主義」という用語の歴史を少し振り返ってみたい。その馴れ初めは、遠く古代ギリシャにさかのぼろう。かの時代においては、支配的に振る舞う市民(18歳以上の男子)の間にも、「貴族」と「平民」の差別と選別の社会的な構造があった、しかも、抜きがたく、時として尖鋭な形で。なお、ここで誤解なきように、被統治の側にいる奴隷などの立場におかれていた人々(細かくいうと、奴隷、メトイコス(在留外人)、女性)については、これからの話での参政権の埒外に追いやられていた。
これをみると、おおまかには、かたや前者は、社会の目標とするところを「善」におく、その上で、その理想の実現のためには能力に秀でた者が前面に立って社会を指導して然るべきだという。ちなみに、かの有名なソクラテスの愛弟子、プラトンは、「為政者が哲学者になるか、哲学者が為政者になるべき」と主張し、彼らの代弁者であり続けた。
一方、一般市民の方向は、かなり違っていた。それというのも、大方たるや、その逆であったという。ざっくばらんにいうと、そこでは権力による支配をできるだけ少なくし、社会の重要な決定は統治側の市民総体として担うべきだと主張し、これだと広く権力を市民一般に委ねるようにすべし、となろう。
ところが、これで両方での調整が図られ、妥協点を見いだすべく、双方協力しての努力が進むと思いきや、そうはならなかったのが、この話での「味噌」といえるのではないだろうか。
すなわち、後者に対しては、前者による攻撃がなされる展開になっていく。そこで貴族らは、いわく、「君たちの主張は、結局のところ、権力による支配を弱めたり、廃止することにはならず、善悪の判断において劣る市民大衆に権力をあたえることになろうと。
そして、かかる「善悪の判断において劣る市民大衆に権力をあたえるもの」(ギリシャ語にて「デモス・クラシー」)との、後者に対して手厳しい反批判を加えたことになっている。しかしてこれが、そもそもの「民主主義」とは何かの定義にも、ある程度は関わろう。
それから2000年近くを経ての16~17世紀の欧州では、カトリック(カソリック)とプロテスタントとの間に、神とどのように結びつくかを巡り宗教戦争が戦われた。
その中では、前者の勢力が、後者の信仰を持つ人々を、策を弄して大量虐殺さえ行うこともあったのが、やがて双方の間で歩み寄りがあり、互いの信教の自由を認め、保障しようとの動きが始まる。異なった宗教をもつグループが同じ地域に散在あるいは同居するためには、互いに寛容の精神をもって接しなければならない、と考えるに至る。
が、そうはいっても、両派の間には宗教生活上の問題が日常化していたのであって、それらの問題を解決するために集会し、意見を述べあって妥協点を探りあう、それでも折り合いがつかない場合は多数決原理が採用されていく、これはすなわち、「多数に理性が宿る」という価値観を形成していくのであった。
その後、市民革命など、各地での「権利のための闘争」を重ねるうちには近代民主主義が確立への道を歩んでいく。それらでの最大の拠り所となるのが、次に紹介するような取り決めとしての宣言であった。
「すべての主権の淵源は、本質的に国民に存する。いかなる団体も、いかなる個人も、国民に由来しない権力を行使できない。」(「人および市民の権力宣言(人権宣言)」1789.8.26、芝生瑞和(しぽうみつかず)編「図説、フランス革命」河出書房新社、1989での邦訳より引用)
🔺🔺🔺
それでは、このような民主主義のメニューを大方実現するためには、社会、そして国家とその政府は、どのように心がけ、どのようにしてきたのだろうか。これを語るのは、思いのほか難しい。さりとて、先人たちが遺してくれたあまたの言葉の中には含蓄のある道しるべが多数あり、ここではリンカーンのゲティスバーグでの演説にある「人民の、人民による、人民のための政府(政治)」を手がかりに、某か紐解いてみたい。ちなみに、この地は、南北戦争の転回点となった激戦地である。
こちらで用いられている文言に、どういう風な解釈が考えられるかというと、まずは、人民に属する範囲を公益として措定し、なおかつそれらを公(おおやけ)に明らかにして然るべきだろう。
ちなみに、公益の反対は私益であって、後者の領域での収益、処分などは別扱いとなろう。具体的に、何が公益に属するのかは、時代・環境などによって歴史的に変遷してきた。例えば、「小さな政府」とか「市場原理主義」という立場からは、できるだけ公益の範囲を狭く解釈しようとしてきた。とはいうものの、現在ではどの国、地域でもかなりの分野が政府・政治の関わるものとして社会的に認められるに至っているのではないだろうか。
もちろん、一概に公益に属する人民の広い意味での生活部分が多ければ良いというものではなく、例えば安全保障や治安(戦前の内務省の如く)に政治が肩入れするのは、少ないに越したことはあるまい。そういえば、テレビなどに出てくる顔の中にはいつでも「国家の危機」なりを強調して止まない人が見受けられるのは、いかがなものだろうか、主権者である国民は、いつでもどこでも、しっかりとその辺の裏側も含め全体事情を見極める能力を身に付けるべきだろう。
そこで、このような区分けを携えて米、中を眺めると、どうだろう、アメリカが資本主義の牙城を任じる余りか、繰り返し公益を軽んじる傾向があるのに対して、それを守ろうとする向きの強く見受けられるのが、「社会主義市場経済」の体制を取っているからというよりも、発展途上国としての中国にほかならない。なにより中国は、いまだに貧困の撲滅を最優先の政策課題としているのが読み取れよう(2020年1月までの「人民日報」では、その関連ニュースが幾重にも出てくる)。
リンカーンが掲げる二つ目のキーワードにおいては、どうだろうか。思うに、民主主義を実現する主体は人民であらねばならない、このことが一時たりともないがしろにされるようであってはならない。とはいえ、人民の総体が逐一というかどうかは別にしても、その時々の公益に関する案件に人々が一年を通して直接的に関わりうることがあれば、多様な理由から、選挙などで代表を選んで、選ばれた議員や行政首長などは、主権の範囲内でそれらについての政策を公明正大に実行していくこともあろう。
ここに「選挙民主主義」については、一説には、「普通選挙権に基づき、定期的で競争的な、かつ複数政党による選挙を通じて、立法府と行政首長が選出される、文民による憲政のシステム」(ラリー・ダイアモンド)とされるものの、真に「人民による選挙」(被選挙権を含む)となるためには、さらに法の下での平等、それに選挙の公平性と公開性が各々のレベルにおいて確保されていることも、要件に加えるべきだろう。
これらを含めて米中のおよその状況を見ると、中国では選挙法に基づき複数政党(ただし、実態は共産党が中心)の下での各級選挙が大方平穏に実施されるも、地区(市や自治州)から上では間接選挙となっており、公開性も満たされているとは言い難い(さしあたり、本間正道他「現代中国法入門」を推奨したい)。
例えば、香港も今は中国国内であることに変わりはなく、参考までに顧みれば、1997年の中国返還後の香港は、「一国二制度」の下で50年間は「高度な自治」を保障された。行政長官の選出について、香港基本法は、「広範な代表性を持つ委員会が民主的手続きで指名した後、普通選挙で選ぶ」ことを最終目標としている。それでも、前回の選挙は「選挙委員会」の1200人が投票できたにとどまった。
2014年8月、基本法の解釈権を持つ中国の全国人民代表大会常務委員会は、香港政府の報告に基づき、2017年選挙で18歳以上の市民が1人1票で投票する仕組みを決定した。同時に、中国側の決定では、香港の親中派が多数を占めるとみられる指名委員会が候補者を2〜3人に絞るため、同民主派は「民主派を排除するものだ」と反発し、決定の撤回などを求めて抗議を行った経緯がある。
一方、アメリカも、わけても大統領選挙で選挙人を選ぶ間接選挙にて、しかも州毎の最終集計に当たっては有利な側に全数を与える仕組みなので、死票が沢山出るのを免れない。
がしかし、これらの扱いは両国とも建国以来の伝統であることに留意されたい。また、アメリカではロビー活動や選挙上での人種差別化戦略が半ばまかり通っている感があり、中国についても、候補者が立候補の前に正当とは言い難い、ある種の調整(詳しくは別項)に直面する場合も見受けられる。
そればかりか、アメリカについては、これらに関連して、前述のダイアモンド氏による、こんな憂慮も表明されているところだ。
「日本やイギリス、ドイツでは選挙の前になると、この日に選挙がありますよ、という通知表が郵便で届きますが、アメリカは違います。投票するにはまず自分で有権者登録をしなければなりません。登録には免許証やパスポートなどのIDが必要で、どちらも持っていない多くのアフリカ系アメリカ人は登録できません。つまり彼らは投票できないのです。
アメリカは建前上、表面上は民主主義ですが、実際に投票できるアメリカ人はどんどん減少しています。」(前掲、「コロナ後の世界」)
そして三つ目は、それらの行為が広く人民のため(利益)となるように実行、実践されているかどうかが、これまた透明性なり公開の原則に則って、ここの人民にまで届くように明らかにされなければならないことをいう。
この道理を言い換えるなら、正当な理由なく、ある特定のグループに有利なように、彼らに対して正レント(特権)を生じさせるがごときは、民主主義ではない。逆に言えば、民主主義というのは、特定のグループに特権的な利益をもたらすことで、彼らの範囲での一握りでの「幸せ」を実現しようとする行動には、くみしない。
いみじくも、経済学者のクルーグマン氏からは、こんな「ため息」とも受け止められかねない声が寄せられている。
「毎日、衰退を示す新たな指標がもたらされているようです。やればできるはずの国家がパンデミックに対処できない国になり、自由世界のリーダーが国際機関の破壊者となり、近代デモクラシー生誕の地が独裁主義を志向する者に支配されています。なぜ、すべてがこんなにも早く、間違った方向へ行くのでしようか。」(前掲、「コロナ後の世界」)
かたや中国については、建国以来の「人民民主主義独裁」が国是(こくぜ)である以上、「独裁」一般をもってきて、「どうだ、こうだ」と非難なりを加えるのは、正しい批評とは言えまい。かの国で人民のための政府(政治)が現実のものとなるか、どうか、これからが正念場となるに違いあるまい。その辺りの探求に当たっては、中国人民の暮らしと意識の変化、現代におけるその方向性を、中華民族の再興の精神・願望までも踏まえつつ、謎解きをしていくべきだろう。あわせて、国際社会においては、彼らがこの間苦難の道を歩んできたことへの一定の配慮があって然るべきであり、それでこそ全体としての話が一層うまく行くの話ではあるまいか。
(続く)
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