平成30年5月7日(月)
お友達のお友達が無事に定年退職を迎え、その期に実家のある九州に帰省するという話が持ち上がり、折角、九州に帰るのだから来れば案内が出来るので如何とお誘いが掛かりました
この様な事は、めったにないことなので、あつかましく参加させていただけるように話がまとまりました
4名様御一行での参加です。
藤の牛島 5:21発→春日部5:24着・・・春日部5:30発→6:13押上着・・・押上6:25発→泉岳寺6:44着
泉岳寺6:45発→羽田7:05着
羽田飛行場
なんだか久しぶりの飛行機に心が躍りました。JAL661便 8:00発→大分9:35着 座席23C
でも、アナウンスによると天候の良し悪しで・・・又羽田に戻る可能性もあるという事でした。なるほどなんだか雲行が怪しげとなってきました。
結局運よく目的地、大分に無事着陸出来ましたが生憎の雨 お迎えに来ていただいた知人も同じアナウンスを聞いていてどうなる事かとヒヤヒヤしていた・・・という第一声
とにかく雨の降りしきる大分の町を走り、温泉があちこちに分布しているので温泉巡りを第一としました。中でも "泥の温泉”は極め付きで、温泉の湯の下の方にある泥をすくい上げ、綺麗になる事を前提に予想して塗りたくってみました。 初体験
お昼には「地獄蒸し工房 鉄輪」というお店に入りました。温泉で噴き出す高温の蒸気租利用した調理法で別府では江戸時代から用いられれているそうです。
野菜や魚 etc. を時間を計りながら100℃の蒸気で蒸し上げていくのです。出来上がると添えつけの厚いビニィールの手袋をして蒸し上がった品を取り上げるのです。
私も蒸気の中からの取り出しを経験をしてみようと思ったのですが、誰でもかれでもが使用している厚手の手袋を使う事に抵抗があって、結局は未体験に終わりました
又料理も一籠にアソートで入っているので、それを5人で食べるには一寸遠慮もあって気兼ねをしてしまいました。一人づつ同じものを食べるのには良いのですが・・・・・
鬼山地獄 白池地獄
地獄の色々
海地獄 鬼石坊主地獄
国指定名勝:竜巻地獄
別府市指定の天然記念物の「間欠泉」。間欠泉は一定の間隔で熱湯と噴気を噴出します。世界の間欠泉の中でも休止時間の短いことにおいて注目を浴びていると説明がありましたが、噴き出すまで15分もあるというので見られませんでした
雨降る中でも、韓国のツアー客が賑々しく闊歩していました。彼等達は何処へ行っても一寸マナー知らずのようです。ま、仕方ないですね 旅の恥はかき捨て という事もあるようですので・・・
傘をさしながら地獄をめぐりました。 思いだせないほどの過去に、地獄めぐりをした微かな記憶はあるのですが・・・?何だか風景が変わっている様に思いました。
第一日目はこれにて一見落着
今日のホテルは「杉乃井ホテル本館」 〒874-0822 大分県別府市大字南立石2272
TEL.0977-24-1141
夜はバイキングそして又温泉
別館へもリムジンバスのピストン運行。屋上に温泉があって水着を着装して夜景を見乍ら、イルミネーションのアトラクションを見乍ら楽しめる趣向。 目が覚めてしまいました。
8日 熊本県
阿蘇くじゅう国立公園 「 ゆふいん 狭霧台」 より 望む景色
晴れていればもっと絶景になるのになぁ~~~
由布院駅 出来立ての焼きプリン
ほっぺがとろけるように美味しかった
由布院の駅より由布院観光のメインストリート"湯の坪街道”をぶらぶらと、お店をひやかし乍ら闊歩そしてお目当ては金鱗湖の側にある、湯の岳庵のランチです。
金鱗湖
湖底の半分に温泉、もう半分には冷泉が湧くと言われる湖。魚の鱗が光に反射して水面が金色に輝いて見えたことから、この名が付く。冬でも水温が13℃から15℃と高く、冷え込んだ早朝に幻想的な朝霧が見られる事でも知られている。木々に囲まれ、夏は新緑、秋は紅葉と周囲の四季のひょうじょうが湖面に映える光景が美しい。とありました。
湯の岳庵のお店 リッチな ランチ
アーデンホテル阿蘇
〒869-1402 熊本県阿蘇郡阿蘇村下野147-10
Tel. 0967-35-1241
このホテルは昨日のホテルにくらべると・・・古臭い感じ。ま、料金も違うので仕方ありません。
でも我々の人数の割には夜具を敷くとチョッと狭いと感じました。四人位なら丁度いいかも。温泉もしなびたような風合で温泉らしいと言えばそう思えるし・・・ 温泉好きの人には良いのかも ま、いいか~~
9日 朝 のち
3日ぶりに晴れを見ることが出来ました。おかしいなぁ~~晴れ女の集まりだったような気がしていたのですが・・・だぁれだ雨女が?❓居た
ともあれ晴れて良かった! この日は九州に実家を持つ知人のふるさと「竹田」にある史跡、岡城跡にある・・・・・滝廉太郎・・・・・の銅像を見に行きました。
明治四年に14代・277年間続いた中川氏が廃藩置県によって東今日に移住し、城の建物は1874年明治7年大分県による入札・払い下げですべてが取り壊された。
滝廉太郎は、少年時代を竹田で過ごし、荒れ果てた岡城に登って遊んだ印象が深かったとされ、明治34年(1902)に中学校唱歌「荒城の月」を作曲、発表している。 とその歴史に書き込まれていました。
滝廉太郎 の 像
♪ 春高楼の花の宴
めぐる盃影として
千代の松が枝わけいでし
むかしの光今いづこ ♪
今の小学生はこの歌を知っているのでしょうか?
時代の流れと共に少しづつ世の中も変わって行き、私が3歳の時に戦争を体験した者には何にもなくなって一からの出発を経験したことはとても貴重に思います。そして今日この場所にたたずんでいる私は幸せを感じました。
竹田まちなか情報誌
岡城跡でちょいとセンチになってからランチタイム。竹田の街にあるレストランにて九州地方では鶏肉を唐揚げではなく、とり天として食されている様なので私はそれを注文しました。ま、そんなものでした。どちらかと言うと・・・唐揚げの方が良いような気がしました。慣れ?なのでしょうね
雨の中運転をして案内をして頂いた彼女には大変お世話様になりました。有意義な旅となりました。 雨も又良し
お母さんと共に春日部に戻ってきてくださいね。
JAL 672 大分 16:50 Seat 20B
この様な贅沢な旅行でとても良かったです。連れていって下さった皆様ありがとう