■平成22年6月7日■
万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
いわく 「大阪弁万葉集」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
★都への 楽しみ旅が 暗転し 熊凝哀れ 道辺に倒る
うち日さす 宮へ上ると たらちしや 母が手離れ
常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き
何時しかも 京師を見むと 思ひつつ 語らひ居れど
《都へ行くと 故郷あとに 知らぬ他国の 奥山越えて
早く都を 見たいなと 噂しながら 来たけども》
己が身し 労しければ 玉桙の 道の隈廻に
草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して
思ひつつ 嘆き伏せらく
《思いも掛けず 病気なり 道のほとりに 草や柴
敷いて作った 仮床に 身を横たえて 思うには》
国に在らば 父とり見まし 家に在らば 母とり見まし
世間は かくのみならし 犬じもの 道に臥してや 命過ぎなむ
《故郷におったら お父っあん 家におったら おっ母さん
枕そば来て 看取るのに 儘にならんと 道の傍 犬が死ぬよに くたばるよ》
―山上憶良―〔巻五・八八六〕
たらちしの 母が目見ずて 欝しく 何方向きてか 吾が別るらむ
《母ちゃんに 会わんと逝くか 鬱々と 何処をどうして 行ったら好んや》
常知らぬ 道の長手を くれくれと 如何にか行かむ 糧は無しに
《行ったこと ない道続く あの世旅 弁当持たんと どないに行くか》
家に在りて 母がとり見ば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも
《家居って お母が看取り するんなら 例え死んでも 悔めへんのに》
出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 吾を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな お父とお母》
一世には 二遍見えぬ 父母を 置きてや長く 吾が別れなむ
《この世では もう会われへん 父と母 残して逝くのか ひとりあの世へ》
―山上憶良―〔巻五・八八七~八九一〕
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万葉集に詠われた歌を 作者別に採り上げ 人となりを「大阪弁」で訳します
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★都への 楽しみ旅が 暗転し 熊凝哀れ 道辺に倒る
うち日さす 宮へ上ると たらちしや 母が手離れ
常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き
何時しかも 京師を見むと 思ひつつ 語らひ居れど
《都へ行くと 故郷あとに 知らぬ他国の 奥山越えて
早く都を 見たいなと 噂しながら 来たけども》
己が身し 労しければ 玉桙の 道の隈廻に
草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して
思ひつつ 嘆き伏せらく
《思いも掛けず 病気なり 道のほとりに 草や柴
敷いて作った 仮床に 身を横たえて 思うには》
国に在らば 父とり見まし 家に在らば 母とり見まし
世間は かくのみならし 犬じもの 道に臥してや 命過ぎなむ
《故郷におったら お父っあん 家におったら おっ母さん
枕そば来て 看取るのに 儘にならんと 道の傍 犬が死ぬよに くたばるよ》
―山上憶良―〔巻五・八八六〕
たらちしの 母が目見ずて 欝しく 何方向きてか 吾が別るらむ
《母ちゃんに 会わんと逝くか 鬱々と 何処をどうして 行ったら好んや》
常知らぬ 道の長手を くれくれと 如何にか行かむ 糧は無しに
《行ったこと ない道続く あの世旅 弁当持たんと どないに行くか》
家に在りて 母がとり見ば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも
《家居って お母が看取り するんなら 例え死んでも 悔めへんのに》
出でて行きし 日を数へつつ 今日今日と 吾を待たすらむ 父母らはも
《出てからも 今か今かと 指折って 待ってるやろな お父とお母》
一世には 二遍見えぬ 父母を 置きてや長く 吾が別れなむ
《この世では もう会われへん 父と母 残して逝くのか ひとりあの世へ》
―山上憶良―〔巻五・八八七~八九一〕
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