【掲載日:平成22年12月7日】
大宮の 内にも外にも 光るまで
降れる白雪 見れど飽かぬかも
家持は 安堵の新年を迎えた
喜ばしい 招請であった
天平十八年〈746〉正月
平城宮 大雪
これぞ吉兆と 橘諸兄筆頭に 重臣諸王
元正上皇御座所へ 雪掻き参上
直ちに 諸卿大夫を招請
新年の宮中大宴会となった
席には 確執二派の頭首
中立諸公も 挙って居並んでいた
上皇寿歌要請での 歌披露が 宴を盛り上げる
降る雪の 白髪までに 大君に 仕へまつれば 貴くもあるか
《降る雪の 白い頭に なるまでも お仕え出来て 勿体ないです》
―橘諸兄―〈巻十七・三九二二〉
天の下 すでに覆ひて 降る雪の 光りを見れば 貴くもあるか
《この地上 全部覆って 降る雪の 輝き見たら 有り難いです》
―紀清人―〈巻十七・三九二三〉
山の狭 其処とも見えず 一昨日も 昨日も今日も 雪の降れれば
《山谷が 何処か分からん 一昨日も 昨日も今日も 雪降ったんで》
―紀男梶―〈巻十七・三九二四〉
新しき 年のはじめに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは
《新しい 年の初めに 雪降って 豊年なるん 間違いなしや》
―葛井諸会―〈巻十七・三九二五〉
大宮の 内にも外にも 光るまで 降れる白雪 見れど飽かぬかも
《大宮の 内外共に 輝いて 降る白雪は 見飽きしません》
―大伴家持―〈巻十七・三九二六〉
諸兄の欣快を見 家持も 心を軽くしていた
しかし 上皇要請の歌披露には及んだものの
家持の「諭し」堅持の用心
なおも緩まぬ日々が続く
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【聖武天皇彷徨五年の経緯】
藤原四卿 亡き後は 橘諸兄 牛耳取る
反発広嗣 乱起こす 意気込みあれど 腰砕け
帝はうろたえ 関東へ 彷徨果ての 行き着きは
諸兄所縁の 甕の原 これが改め 恭仁京
縁平城宮 捨てられて 藤原再興 影が差す
知恵者仲麻呂 行基もち 天皇に 取り入りて
紫香楽宮を 造営し 大仏造立 詔
恭仁・紫香楽の 宮造り 費用莫大 民疲弊
恭仁の造営 中止なり 紫香楽都 実現か
そうはさせじと 諸兄卿 反撃期して 策を練る
元正上皇 策受けて 帝・安積を 共に連れ
難波宮への 行幸は 安積天皇 画策か
事の成就を 前にして 皇子亡くなり 策挫折
仲麻呂帝を 紫香楽へ 都ここぞの 示威示す
難波残りし 諸兄らは 皇都難波の 勅下す
紫香楽宮で 大仏の 芯柱が出来て 建立儀
元正招かれ 紫香楽へ これで決着 思えしが
紫香楽宮で 火事頻り 日照り地震の 頻発に
災害元凶は 悪政と 人心揺れて 世は乱る
都何処の 諮問には 平城帰るべし 一色で
ついに帝は 平城帰還 彷徨五年 ここに止む
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