はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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本稿は、以下からの続きである。
07-03-27 浮力の説明の謎
07-04-03 浮力の説明の謎 (2)
07-04-11 浮力の説明の謎 (3)
07-04-23 浮力の説明の謎 (4)
07-05-05 浮力の説明の謎 (5)
07-05-17 浮力の説明の謎 (6)
07-05-17 浮力の説明の謎 (7)
07-06-05 浮力の説明の謎 (7-b)
07-07-08 浮力の説明の謎 (8)
07-08-27 浮力の説明の謎 (9)
07-09-19 浮力の説明の謎 (10)
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ただし、私の提案の主旨はアルキメデスの原理の導出法にあるわけではない。お気づきのように、前稿で用いた、物体を柱状領域に分ける考え方は、旧来の表面圧力の和の計算にも同じように適用することができる(ただし側面に働く力の効果の疑念に目をつむれば)。このような簡単な場合の計算式だけを見る限りは、ここで主張している浮力の扱い方に特に新しい内容は含まれていないようにも見えるだろう。だが、私が問題提起し提案したいことの本論は、浮力の現象を考え、教えるときに、物理的に起こっていることの本質をどのように捉え・イメージすべきかという根本問題なのである。

従来の説明法は、浮力を受ける物体の表面に限局した視点をとる。それでいながら、最終的に出てくるのは、物体全体に働く浮力の効果だ。物体の変形が生じないという条件の下で正しい結果を与えるとは言え、そこでの論理は、数学演繹的な段階を経由してつながる極めて分かりにくいものになっている。そのことをよく認識せずに、物体表面を押し込む力の効果が実際に存在するかのようなイメージをもってしまうと、一般・現実の物体に働く浮力の効果に関する経験的理解との間に矛盾・混乱が生じる。

一方、私が主張した考え方においては、大域的に、物質が空間をどのように占めているかを考え、その占め方に変化が起こるときの位置エネルギーの変化を考える。(抽象性は伴うが)実体的な量である「エネルギー」を考え方の基本に置くことで、様々な現実の物体に現れる浮力効果を、一貫して理解することができる。

浮力という現象の本質を把握・納得するためには、物体と周囲の流体の両者が、位置エネルギーを下げるべく、より低い位置を占めようとして、互いに競い合っている、、このような状況を直感的にありありと思い描くことが是非とも必要なのだ。この本質的イメージを伝えずして、何が浮力の効果の教育的扱いなのかと私は問いたい。

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ここまでたどり着いた今、あらためて、水の入った容器の底に置いたゼリーに働く浮力の効果を引き合いに出して、物理的に起こることのイメージを整理してみよう。

まず、ゼリーに起こりうる変形状況を単純化する。底は容器に密着して離れないが、全体積を保ちながら、太さ(断面積)が縮んでその分高さが高くなるという変形の自由度を考えることができるだろう(現実はもう少し複雑だが、起こることを理解するための出発点の近似になるだろう)。細くなれば、ゼリー系の重心がもち上がり、対応して水系の重心は下がる。

この状況の下に重力が加わると、水系とゼリー系のどちらもが、それぞれの重心を下げようとする。つまり、これら両者の重心低下の運動自由度は、あたかも天秤の両皿の動きのように結びついて競合している。その際、水系とゼリー系それぞれの密度に比例して、重心が低下したときのエネルギー低下が顕著になるので、水とゼリーの密度の差が、両者の動きに対する競合のバランスを決めるファクターとなる。

ここまで考えると、「密度が大きい側が、相手を押しのけて下方に位置しようとする.」という一般的な見方・理解に達することができて、「より軽い方が浮かぶ」という素朴な経験則の本質が明らかになる。が、しかし、”どちらが勝つか”で終わらせてしまうと、浮力の概念に到達しないことに注意しよう。浮力とは、単にどちらが浮上するかの勝敗の問題ではなく、競合する相手が周囲に存在するときに、(どちら優勢であっても)常に現れる効果なのである。競合する相手系の存在によって、勝ち負けによらず支えあいの効果が生じる ―このことは、人間社会になぞらえてみても、とても教訓的であると思う。

具体的な表現に戻そう。周囲の水がなければ、ゼリー自身が受ける重力の効果は、全て、ゼリーの変形に反映する。各部の重力を相殺するところまでゼリーの変形が進む以外にない。ところが、周囲に水がある場合は、水の側もゼリーを排して重心を下げようとするために、対するゼリーの重心が下がる形態変化が抑えられ、結果的にゼリーの外形が支えられるような効果が現れる。重力の効果とバランスする変化の要因が、ゼリー内部だけから、水系を含む全体に分散するという言い方もできる。

今や私たちは見通しのよい爽快な高台に立って、「浮力」現象の本質を眼下に眺めることができる。もはや、桶の底の豆腐を見ても、水中に糸のように立つ海草を考えても、泳ぐクラゲを想像しても、悩み迷う必要はない。そして、この段階であらためて痛感するのは、圧力(あるいは力)は、定式化のためのパラメータとして計算の役には立つのだが、直感的に力学現象を理解しようとする際には使い難い(むしろ誤解を誘発する)量であるいう、否定し難い事実である。

物理教育を論じる分野では、しばしば、抽象性の高い「力学」をどの段階でどの程度教えるかということが問題になる。しかし、力学が、学習者にとって、抽象的で分かり難いと感じられることの根源、およびその本質的な解決を探る議論は必ずしも十分なされているとは言えないと思う。「圧力」や「力」についての従来の導入的説明法に、根本的な見直しの要はないのか、、この懐疑と反省こそが、力学の教育的扱い方を検討し改善していくために求められるのではないか、、今回シリーズ的に浮力にまつわる疑問を追いかけていく中、このような思いを強烈に再認識する次第となった。
<続く>

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