街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫) | |
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著者がブログに掲載していた教育論を基に編集したという「街場の大学論 ウチダ式教育再生」(内田樹:角川文庫)。
大学教授でもある著者は、日本の教育に危機感を抱いているようだ。最近は、子供たちが「学ぶ」ことが出来なくなっているらしい。どの大学でも、びっくりするような低学力の学生が入学してくる。小さい頃から塾でお勉強をしてきている割には、それが「学習意欲」や「知的好奇心」にはつながらず、世界一勉強しない子供たちを作り出してきた。
著者は、学生が、「フェミニズム」や「上野千鶴子」を知らないと言ってびっくりしている。でも、これは別に知らなくてもいいことだ。学問の世界は広く、人によって、カバーする領域が違うのは、当然のことだろう。私としては、そのような社会生活をおくるうえでたいして役に立たないことをを知るよりは、せめて基礎的な科学知識でもつけたほうが、よほど有益だと思う。もっとも、何も専門的な知識がないというのが、最近の学生であると、著者は言いたいのかもしれないのだが。
結局、現在の日本は、勉強とは、人から「習う」ものだと勘違いして、自分の頭で考えない子供たちを大量に作り出しているだけではないかと思う。だから、お勉強をさせられていても学力に繋がらないのだろう。こういった子たちが大量に大学に入り、そして社会人になっていく訳だから、大学も企業もたまったものではない。著者によれば、「現在の日本の大学の二年生の平均的な学力は、おそらく五十年前の中学三年生の平均学力といい勝負」とのことだが、本当だとすれば、憂慮すべき事態だ。
しかし、教える側にも問題がないわけではない。「人文系の場合は、論文を十年に一本しか書かない教師が『私の論文は一本でふつうの学者の論文の十倍の価値がある』というような妄言を言い募っても、誰も咎めない」ということだから、あまり学生のことだけを言うのはフェアではないだろう。ただ、昔は、いちいち教えてもらわなくても、学生が自分で興味のあることは、ちゃんと勉強していたので、教師側のことはあまり問題にならなかった。むしろ、授業に対していい加減な方が、名物教師として人気があったようなところもある。今は、大学の授業もずいぶん改善されたと聞くが、私のように昔の大学を知っている者からは、高校の延長にしか見えない。
大学も40%が定員割れ(2006年当時)で、関西の私大も凋落が激しいという。企業本社が集まる東京周辺に、ビジネスマンが集まるのは分かるが、どうして大学生まで東京に集まるのか、私には理由が分からない。学問をするより、遊ぶ場所が多いからということだろうか。いっそ、東京への大学設置を禁止したらどうか。学問には落ち着いた環境が必要だ。大学は国公立にしても私学にしても、巨額な公費がつぎ込まれている訳だから、遊びたい人間は大学に行く資格はない。著者は、「学生数は減らしてもよいが、大学の数はあまり減らさない方がいい」と述べているが、私は賛成できない。現在は、大学の数も多すぎる。資源のない日本は、人づくりしかないのだから、もっと重点的に税金を使うべきだろう。ただし、地域による格差がないように配慮は必要だ。通信制の拡充という手もある。しかし、東京周辺の大学などは、半分にしても良いと思う。読んでいて、そんな思いを強くした。
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