数年前に米イリノイ州の大学都市シャンペーンに来たチューチャン・シャオさん(22)は、自分が中国から遠く離れた場所に居ることをときどき忘れそうになると話します。
例えば最近のある月曜日。中国人の友人3人とシェアしているアパートで目を覚まし、歩いてイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に行き、工学の教室で中国人学生と並んで座り、その後、中国人の友人1人とジムに行ってから、図書館で夜遅くまで勉強したという具合です。
1日で口にした英語は二言だったとシャオさんはふり返っており、ファストフードのチポトレでブリトーを注文した時の、「ダブルチキン、ブラックビーンズ、レタスとホットソース」が一番長かったのです。
より高い教育を求めて米国に入ってくる大量の中国人学生の波は一見、両者のプラスになっているように映っていますが、留学生、特に中国人留学生は米国の資格を得ようと必死です。一方、米国の大学は、地元の学生の2、3倍にもなる彼らの授業料が欲しいくらいです。
現場は、数を増やしながら急速に流れ込む留学生への対応に腐心していることが、数十人の学生、教授、カウンセラーとのインタビューで確認されました。
シャオさんのような学生は、米国の学生との間に隔たりがあると感じています。自ら選んでそうしているケースもあります。環境に溶け込んで授業についていくことに苦労している者も多くます。大学の教務担当者や教官は、米国の大学教育を受ける準備が整っていない留学生がかなりの割合でいると断言し、そのために講義の内容を修正しなくてはならないとこぼしています。
シャオさんは最近コンピューター工学の授業で、広い講義室の後ろのほうに静かに座り、半分はスマートフォンで中国語のソーシャルメディアを見て、半分は講義を聴いて過ごしていて、これまで授業で質問をした記憶はありません。文化や言葉のギャップを埋めるためにエネルギーを使いたくないと話すシャオさん。「大学の雰囲気がとてもいい。それが私にとって最も重要なことなのだ」といいます。
1年時にはフラタニティ(男子学生の社交団体)にも入ったのですが、飲み会その他で勉強の時間が減ることがすぐにわかりました。「自分は電気工学の専攻だ。かなり忙しい」と語っています。
デーブ・ニコル教授は、英語が母国語でない学生が混乱しないよう、講義では口語的な表現を使うのを避けています。いざ留学生から発言があると、聞き返すことが多い。「質問がいつも明瞭とは限らない」からです。
アーバナ・シャンペーン校の教務担当者たちは3年前から、早期のオリエンテーションのため夏に中国に出張するようになりました。昨年には、カルチャーギャップを少なくするため、入学時のオリエンテーションで留学生を分けるのをやめました。
国際教育協会によると、中国人学生は昨年、米国の大学で学ぶ留学生97万5000人の3分の1弱を占め、留学生の増加数でも3分の1を占めました。
大学側は一般に留学生の流入について、全ての学生がグローバル化経済の深化に備える機会だとほめそやしています。
これについて、カリフォルニア大学アーバイン校のキャサリン・リュー教授(映画・メディア学)は「本来の趣旨は文化的交流を促すことだった」と述べ、「私たちは、学生たちの経験の質を十分に考えずに受け入れている」と話しています。
ニューヨーク大学のレベッカ・カール教授(中国史)はもっと手厳しい。中国人学生が講義の「お荷物」になり、彼らのために講義を変えなくてはならないこともあると話します。多くの中国人学生は「分析的思考や論述に必要な基本的要件を満たすのがとても困難だ」といいます。
オレゴン州立大学は10年前、州からの資金的支援減少に直面していたこともあり、留学生の受け入れを増やす必要があると判断しました。フルタイムの学部学生1人当たりの州交付金は過去5年で45%減少しています。同大で学ぶ留学生の数は、2008年の988人から昨年秋には3300人超に増えました。この収入で終身教授を300人増やし、入学者を約1万9000人から2万9000人に増やすことができました。
シニアプロフェッサーのロジャー・グラハム・ジュニア氏は、会計学修士のコースでは現在、米国人学生より中国人学生が多いと話します。そのため、「当初の指導目標を貫くべきか、(中国人学生のニーズに合わせて)変更すべきか」迷っているといいます。サバー・ランダワ学長によると、オレゴン州立大学は多様性を高めるため、中国人学生の受け入れを「減速」し、アフリカ、欧州、中南米などの新たな地域を開拓することに決めました。(ソースWSJ)
例えば最近のある月曜日。中国人の友人3人とシェアしているアパートで目を覚まし、歩いてイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に行き、工学の教室で中国人学生と並んで座り、その後、中国人の友人1人とジムに行ってから、図書館で夜遅くまで勉強したという具合です。
1日で口にした英語は二言だったとシャオさんはふり返っており、ファストフードのチポトレでブリトーを注文した時の、「ダブルチキン、ブラックビーンズ、レタスとホットソース」が一番長かったのです。
より高い教育を求めて米国に入ってくる大量の中国人学生の波は一見、両者のプラスになっているように映っていますが、留学生、特に中国人留学生は米国の資格を得ようと必死です。一方、米国の大学は、地元の学生の2、3倍にもなる彼らの授業料が欲しいくらいです。
現場は、数を増やしながら急速に流れ込む留学生への対応に腐心していることが、数十人の学生、教授、カウンセラーとのインタビューで確認されました。
シャオさんのような学生は、米国の学生との間に隔たりがあると感じています。自ら選んでそうしているケースもあります。環境に溶け込んで授業についていくことに苦労している者も多くます。大学の教務担当者や教官は、米国の大学教育を受ける準備が整っていない留学生がかなりの割合でいると断言し、そのために講義の内容を修正しなくてはならないとこぼしています。
シャオさんは最近コンピューター工学の授業で、広い講義室の後ろのほうに静かに座り、半分はスマートフォンで中国語のソーシャルメディアを見て、半分は講義を聴いて過ごしていて、これまで授業で質問をした記憶はありません。文化や言葉のギャップを埋めるためにエネルギーを使いたくないと話すシャオさん。「大学の雰囲気がとてもいい。それが私にとって最も重要なことなのだ」といいます。
1年時にはフラタニティ(男子学生の社交団体)にも入ったのですが、飲み会その他で勉強の時間が減ることがすぐにわかりました。「自分は電気工学の専攻だ。かなり忙しい」と語っています。
デーブ・ニコル教授は、英語が母国語でない学生が混乱しないよう、講義では口語的な表現を使うのを避けています。いざ留学生から発言があると、聞き返すことが多い。「質問がいつも明瞭とは限らない」からです。
アーバナ・シャンペーン校の教務担当者たちは3年前から、早期のオリエンテーションのため夏に中国に出張するようになりました。昨年には、カルチャーギャップを少なくするため、入学時のオリエンテーションで留学生を分けるのをやめました。
国際教育協会によると、中国人学生は昨年、米国の大学で学ぶ留学生97万5000人の3分の1弱を占め、留学生の増加数でも3分の1を占めました。
大学側は一般に留学生の流入について、全ての学生がグローバル化経済の深化に備える機会だとほめそやしています。
これについて、カリフォルニア大学アーバイン校のキャサリン・リュー教授(映画・メディア学)は「本来の趣旨は文化的交流を促すことだった」と述べ、「私たちは、学生たちの経験の質を十分に考えずに受け入れている」と話しています。
ニューヨーク大学のレベッカ・カール教授(中国史)はもっと手厳しい。中国人学生が講義の「お荷物」になり、彼らのために講義を変えなくてはならないこともあると話します。多くの中国人学生は「分析的思考や論述に必要な基本的要件を満たすのがとても困難だ」といいます。
オレゴン州立大学は10年前、州からの資金的支援減少に直面していたこともあり、留学生の受け入れを増やす必要があると判断しました。フルタイムの学部学生1人当たりの州交付金は過去5年で45%減少しています。同大で学ぶ留学生の数は、2008年の988人から昨年秋には3300人超に増えました。この収入で終身教授を300人増やし、入学者を約1万9000人から2万9000人に増やすことができました。
シニアプロフェッサーのロジャー・グラハム・ジュニア氏は、会計学修士のコースでは現在、米国人学生より中国人学生が多いと話します。そのため、「当初の指導目標を貫くべきか、(中国人学生のニーズに合わせて)変更すべきか」迷っているといいます。サバー・ランダワ学長によると、オレゴン州立大学は多様性を高めるため、中国人学生の受け入れを「減速」し、アフリカ、欧州、中南米などの新たな地域を開拓することに決めました。(ソースWSJ)