マニー・フィオリさんの仕事は、スマートフォンが死亡事故を起こさないようにすることです。同氏はサンフランシスコにある私のオフィスに近いガレージの出入口に立ち、画面に集中するあまり交通の往来に気づかない歩行者と自動車がぶつかるのを防いでいるのです。フィオリさんは「人々は最近、(スマホに)没頭しすぎている」と話します。同氏はビルの警備員で、叫んで指示を出すばかりか、両手を広げて自動車と歩行者を止めることだってあるそうです。
朝のラッシュを車道から見守ることで、スマホ中毒の恐怖を測定できます。先週には見上げることすらしない歩行者が1時間に70人もいました。スマホでテレビ番組を見ている人もいたし、しかめっ面でメールを打っている人も多かったのです。車にぶつかるのを止めてくれたフィオリさんに礼を述べたのは、その中の5人だったそうです。
私も潔白ではない。私のスマホにはネコと争ったかのような傷がついています。実はテキストを打ちながら壁にぶつかったのだ。こうした「歩きスマホ」現象が発生した当初、それは一種のジョークでした。動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」には、メールを打ちながらフラフラ歩いている人が噴水に落ちるといった動画が満載です。ドイツではこうした人々のことを「smombie」、つまりスマホとゾンビをかけ合わせた言葉で呼んでいるのです。
しかし、自分自身から自分を助けるために、ガレージに警備員を雇わなければならない状況にまでなれば、歩きスマホはもはやジョークとは言えなくなります。これはひとつの公共安全問題で、中毒症状です。スマホは私たちの注意を引くすべを習得してしまいました。少なくとも、これはスマホの構造上の欠陥です。この問題への対処でどのような責任がIT(情報技術)企業に要求されるかが問われる時代になっているのです。
米消費者製品安全委員会のデータを探ったところ、歩きスマホをしていた人が救急救命室に運ばれた回数は2010年から14年までに124%増加し、06年からは10倍に増えたことが判明しました。一部の研究者によると、携帯電子機器が原因で負傷した歩行者の割合は1年間で全体の10%に上り、同じ理由で6人が死亡したといいます。運転中にスマホを操作すればさらに深刻な危害につながりますが、歩きスマホによる事故も一般的になってきています。
スマホの登場で、私たちは複数の仕事を同時にこなせると思うようになりました。ただ、今やスマホが私たちの働きに害を与えていることが証明されています。スマホを使うことで私たちの歩き方に変化が出てきます。スピードが落ちるか、道からそれてしまうのです。
今週、私は同僚に米国の映画「スター・ウォーズ」に登場する、毛むくじゃらのチューバッカの格好をしてもらい、朝のラッシュの時間帯にサンフランシスコをうろついてもらうよう頼みまし。そして、私はスマホをのぞき込んでいる歩行者に話しかけ、伝説的なチューバッカが歩いているのに気づいたか尋ねてみたところ、多くが気づいていなかったのです。
米ウェスタンワシントン大学のアイラ・ハイマン・ジュニア教授(心理学)によると、これは「非注意性盲目」と呼ばれていて、同氏は2008年に私と似たような実験を行い、歩行者に一輪車に乗った道化師に気づいたかを尋ねてみました。するとスマホをしていない人の半分がそれに気づいたと述べましたが、歩きスマホをしている人ではたった4分の1だったそうです。
ハイマン氏は、「人々は気づいたとの印象を持っているが、どれほど見逃しているかについては分かっていない」と指摘しています。強い意志を持つ人でさえ、騒々しいガジェットに影響されやすいのです。ガジェットは新しいことを見つけたり、社会に加わったりしたがる脳の欲求に応えるよう、完全に作り込まれているからです。受信メールをどれほど長く無視できるか試してみるといいでしょう。カンザス大学のポール・アチリー教授(心理学)は、「これはFOMO、つまり取り残される不安のことだ」とし、スマホが「あなたの注意をハイジャックしようとしているのだ」と述べています。
テクノロジーはこれを解決できるか。個人の自制心が大きな役割を果たしますが、私は多くの人が歩道でスマホをしまって歩くとは思っていません。ただ、私たちは道路を横断するときにスマホを見るのをやめさせることが、左右を見るのと同じくらい重要だと、子どもたちに教える必要があります。
それには都市計画の見直しが役立つかもしれません。一部の町や大学キャンパスには危険な階段の吹き抜けや交差点に「見上げろ」の標識が掲げてあります。香港の地下鉄では、乗客向けに「スマホだけに目を集中させるな」とのアナウンスが流れます。ニューヨーク市では自動車の制限速度が引き下げられ、サンフランシスコでは交通量の多い道路を歩行者専用にする動きが進められていますが、これらは歩きスマホに対応した措置でもあります。
昨年の秋、スウェーデンの首都ストックホルムでは自動車の運転手に歩きスマホへの注意を促す道路標識が掲げられました。こうした危険性の高まりに端末メーカー自身が対処する義務はどれくらいあるのか。自動車産業が良い比較になります。シートベルトを着用することで多くの人命が救われますが、エアバッグの搭載が義務付けられてからさらに多くの命が救われました。現在、大手自動車メーカーの大半は自動制御システムまで搭載するようになっています。
米アップルの「アップルウオッチ」、韓国サムスン電子の「ギャラクシー・ギア」などスマートウオッチは、素早くチェックできる小さな画面を使うことで、データ中毒者が常に下を向いて画面にくぎ付けになる必要性を回避させています。
私が試している小さなワイアレス端末「ディット」は、スマホが重要な通知を受け取ると振動することで、取り残される不安を解消させるのを目指しています。また、新興企業のリングリーは、指輪型スマート端末の色合いを微妙に変化させることで重要な通知を知らせます。
問題の核心はスマホ本体です。米ラトガース大学のエンジニア、シュブハム・ジャイン氏は、スマホを利用するユーザーが交差点に差し掛かると端末が終了するアプリを同僚と開発しているそうです。このアプリでは、ユーザーが交差点に入ると瞬間的にスマホにロックがかかり、目を上げろという警告が光ります。
私はスマホに内蔵された全地球測位システム(GPS)を活用し、どこが交差点かを判断するタイプのアプリを使ってみました。別のタイプでは靴に安価なセンサーを埋め込み、ユーザーが歩道を踏み外してしまうと2歩以内に端末を終了させるというものです。(ソースWSJ)
朝のラッシュを車道から見守ることで、スマホ中毒の恐怖を測定できます。先週には見上げることすらしない歩行者が1時間に70人もいました。スマホでテレビ番組を見ている人もいたし、しかめっ面でメールを打っている人も多かったのです。車にぶつかるのを止めてくれたフィオリさんに礼を述べたのは、その中の5人だったそうです。
私も潔白ではない。私のスマホにはネコと争ったかのような傷がついています。実はテキストを打ちながら壁にぶつかったのだ。こうした「歩きスマホ」現象が発生した当初、それは一種のジョークでした。動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」には、メールを打ちながらフラフラ歩いている人が噴水に落ちるといった動画が満載です。ドイツではこうした人々のことを「smombie」、つまりスマホとゾンビをかけ合わせた言葉で呼んでいるのです。
しかし、自分自身から自分を助けるために、ガレージに警備員を雇わなければならない状況にまでなれば、歩きスマホはもはやジョークとは言えなくなります。これはひとつの公共安全問題で、中毒症状です。スマホは私たちの注意を引くすべを習得してしまいました。少なくとも、これはスマホの構造上の欠陥です。この問題への対処でどのような責任がIT(情報技術)企業に要求されるかが問われる時代になっているのです。
米消費者製品安全委員会のデータを探ったところ、歩きスマホをしていた人が救急救命室に運ばれた回数は2010年から14年までに124%増加し、06年からは10倍に増えたことが判明しました。一部の研究者によると、携帯電子機器が原因で負傷した歩行者の割合は1年間で全体の10%に上り、同じ理由で6人が死亡したといいます。運転中にスマホを操作すればさらに深刻な危害につながりますが、歩きスマホによる事故も一般的になってきています。
スマホの登場で、私たちは複数の仕事を同時にこなせると思うようになりました。ただ、今やスマホが私たちの働きに害を与えていることが証明されています。スマホを使うことで私たちの歩き方に変化が出てきます。スピードが落ちるか、道からそれてしまうのです。
今週、私は同僚に米国の映画「スター・ウォーズ」に登場する、毛むくじゃらのチューバッカの格好をしてもらい、朝のラッシュの時間帯にサンフランシスコをうろついてもらうよう頼みまし。そして、私はスマホをのぞき込んでいる歩行者に話しかけ、伝説的なチューバッカが歩いているのに気づいたか尋ねてみたところ、多くが気づいていなかったのです。
米ウェスタンワシントン大学のアイラ・ハイマン・ジュニア教授(心理学)によると、これは「非注意性盲目」と呼ばれていて、同氏は2008年に私と似たような実験を行い、歩行者に一輪車に乗った道化師に気づいたかを尋ねてみました。するとスマホをしていない人の半分がそれに気づいたと述べましたが、歩きスマホをしている人ではたった4分の1だったそうです。
ハイマン氏は、「人々は気づいたとの印象を持っているが、どれほど見逃しているかについては分かっていない」と指摘しています。強い意志を持つ人でさえ、騒々しいガジェットに影響されやすいのです。ガジェットは新しいことを見つけたり、社会に加わったりしたがる脳の欲求に応えるよう、完全に作り込まれているからです。受信メールをどれほど長く無視できるか試してみるといいでしょう。カンザス大学のポール・アチリー教授(心理学)は、「これはFOMO、つまり取り残される不安のことだ」とし、スマホが「あなたの注意をハイジャックしようとしているのだ」と述べています。
テクノロジーはこれを解決できるか。個人の自制心が大きな役割を果たしますが、私は多くの人が歩道でスマホをしまって歩くとは思っていません。ただ、私たちは道路を横断するときにスマホを見るのをやめさせることが、左右を見るのと同じくらい重要だと、子どもたちに教える必要があります。
それには都市計画の見直しが役立つかもしれません。一部の町や大学キャンパスには危険な階段の吹き抜けや交差点に「見上げろ」の標識が掲げてあります。香港の地下鉄では、乗客向けに「スマホだけに目を集中させるな」とのアナウンスが流れます。ニューヨーク市では自動車の制限速度が引き下げられ、サンフランシスコでは交通量の多い道路を歩行者専用にする動きが進められていますが、これらは歩きスマホに対応した措置でもあります。
昨年の秋、スウェーデンの首都ストックホルムでは自動車の運転手に歩きスマホへの注意を促す道路標識が掲げられました。こうした危険性の高まりに端末メーカー自身が対処する義務はどれくらいあるのか。自動車産業が良い比較になります。シートベルトを着用することで多くの人命が救われますが、エアバッグの搭載が義務付けられてからさらに多くの命が救われました。現在、大手自動車メーカーの大半は自動制御システムまで搭載するようになっています。
米アップルの「アップルウオッチ」、韓国サムスン電子の「ギャラクシー・ギア」などスマートウオッチは、素早くチェックできる小さな画面を使うことで、データ中毒者が常に下を向いて画面にくぎ付けになる必要性を回避させています。
私が試している小さなワイアレス端末「ディット」は、スマホが重要な通知を受け取ると振動することで、取り残される不安を解消させるのを目指しています。また、新興企業のリングリーは、指輪型スマート端末の色合いを微妙に変化させることで重要な通知を知らせます。
問題の核心はスマホ本体です。米ラトガース大学のエンジニア、シュブハム・ジャイン氏は、スマホを利用するユーザーが交差点に差し掛かると端末が終了するアプリを同僚と開発しているそうです。このアプリでは、ユーザーが交差点に入ると瞬間的にスマホにロックがかかり、目を上げろという警告が光ります。
私はスマホに内蔵された全地球測位システム(GPS)を活用し、どこが交差点かを判断するタイプのアプリを使ってみました。別のタイプでは靴に安価なセンサーを埋め込み、ユーザーが歩道を踏み外してしまうと2歩以内に端末を終了させるというものです。(ソースWSJ)