韓国のサムスン電子の躍進には目を見張るものがありますが、1997年の「IMF危機」のときには、ウォン相場は半年で半分に暴落、外貨が枯渇して国際通貨基金(IMF)の管理下に入った事がありました。つまり国が破綻したのです。その翌年の98年には経済成長率はマイナス5,7%に落ち込んだのです。韓国の中央銀行である韓国銀行の副総裁は、「金融・資本市場の規模が小さく、外部環境によって急変する」と指摘しています。ウォンが再び制御不能になりかねない国際収支の脆さを残していると言います。
韓国政府はIMF危機の際に財閥を解体・再編成し、電機でサムスンやLG電子、自動車で現代自動車など主力産業で大手企業を作って、今の競争力ある企業にまで育て上げたのです。つまり国内での寡占による高収益によって、海外での競争力を支える構造になったのです。こうした再編成で、韓国勢は躍進したのですが、一方でこうした急成長による社会の歪みも広げてしまったのです。そんな一つに「38歳定年」と言うのがあるそうです。これは大企業内の競争の激しさを象徴する言葉であり造語だそうです。競争の特徴は「信賞」という報酬体制だそうです。サムスンでは部長の年俸は日本の同業他社より低いそうですが、しかし執行役員になると急に年俸が一気に倍増するそうです。その上高級社用車やゴルフ会員権を使えるようになるそうです。
「必罰」も徹底しており、例えば今期赤字続きの液晶パネル部門の役員10人に自宅待機が命じられたそうです。社内では「年末人事で役員を解任され、1~2年後には事実上会社を追われるだろう」とささやかれているそうです。大企業では38歳が出世できるか否かの分かれ道になっていると言います。こうした上司の成功と挫折の姿を目の前で見ている若手社員は「どの日本企業よりも猛烈に働く」社風を育んでいる一因になっているのです。
このため職探しでは日本より大企業志向が強かったのですが、しかし最近では、過熱する競争を敬遠する人たちも出てきているそうです。今の韓国企業は一時の日本企業の猛烈社員かのような感じですが、実際はそれ以上に猛烈な働きぶりで、そのため社内競争に敗れた社員の中にはストレスでノイローゼーになったり、そこまで行かなくても心身消耗を来たしている社員も多いと言います。しかし日本でも今はリストラが繰り返し行われたため、人員が極端に少なくなったことで、一人当たりの仕事量がかえって増え、同じように精神疾患を患っている社員が増えているところは、韓国と同じような傾向にあります。
そのため韓国でも、職探しは「神の職場」と呼ばれる地方自治体や公社を目指す人が増えているそうで、終身雇用で、給料も高く、残業や昇進競争が穏やかな公務員を目指す人が増えて来ている点も日本と似ています。例えば清掃担当者を募集したところ応募が殺到。それもそのはず勤務時間しだいでは年収が6000万ウォン(約480万円)を超え、区長を凌ぐ待遇なため、全国の区庁で人気を呼んでいるそうです。これなどは一時の日本の地方公務員で給食のおばさんやバスの運転手が年収で1000万円近くももらい、退職金なども5000万近くもらっていたと言う話が大きな反響を呼びましたが、そんな状況とよく似ています。
出世や就職での際限ない競争が過度のストレスを生んでいるのです。自殺志願者の電話相談というところも日本と同じで、韓国の昨年の自殺率は人口10万人人当たり31,2人で、ここ10年間で約2,3倍に膨らんでいるそうで、日本の19,7人を大幅に超えているのです。IMF危機は大企業が躍進し韓国の成長を引っ張る切っ掛けになったのですが、危機の温床となった経済構造や社会の不満はいまだくずぶり続けていると言います。
こうした中、おりしもブータンからワンチョク国王夫妻が来日しました。ブータンは人口70万人という小さな国ですが、この国には他の国にはない大きな特徴があり世界でも有名です。それは国民総幸福(GNH)を軸に国造りを進めていることです。それは「経済発展は大切だが、幸福になるために経済を発展させるのであり、経済発展が必ずしも幸福をもたらすのではないことを知るべきだ」と言うことです。小さな国の高い志を掲げている稀有な国であり、耳を傾けるに十分値する言葉だと思います。韓国や日本のように経済発展こそが国を幸福にする条件とばかりに経済発展に邁進している国がある一方で、ブータンのように経済発展だけが必ずしも幸福をもたらすものではないと言う国とではどちらが、精神的な先進国でしょう。
それが証拠にお金持ちの人が必ずしも全て幸福に暮らしているかと言えばそれは否であり、お金持ちであっても精神的な不幸な人もいると言うのはわかりますよね。ブータン国王はそれを言っているのだと思います。精神的な幸福感が伴わなければいくら経済的に裕福であっても必ずしも幸福とは言えないと言う事です。人間の社会は一人で生きているわけではなく、多くの人が支えあって生きているのであって、支え、支え合って生きている心を忘れた社会では絆は生まれないし、精神的な貧困が増えていき、最後は不満が爆発して社会構造の変革を求める運動へと発展していくのだと思います。
猛烈に働く事は「遊びのない車」のようなもので、かえって余裕がない(ハンドルの遊びがない)分、不安定な社会になってしまい、結局は崩壊へと向っていくのではないでしょうか?猛烈なだけでは持続可能な社会は続かないのです。
韓国政府はIMF危機の際に財閥を解体・再編成し、電機でサムスンやLG電子、自動車で現代自動車など主力産業で大手企業を作って、今の競争力ある企業にまで育て上げたのです。つまり国内での寡占による高収益によって、海外での競争力を支える構造になったのです。こうした再編成で、韓国勢は躍進したのですが、一方でこうした急成長による社会の歪みも広げてしまったのです。そんな一つに「38歳定年」と言うのがあるそうです。これは大企業内の競争の激しさを象徴する言葉であり造語だそうです。競争の特徴は「信賞」という報酬体制だそうです。サムスンでは部長の年俸は日本の同業他社より低いそうですが、しかし執行役員になると急に年俸が一気に倍増するそうです。その上高級社用車やゴルフ会員権を使えるようになるそうです。
「必罰」も徹底しており、例えば今期赤字続きの液晶パネル部門の役員10人に自宅待機が命じられたそうです。社内では「年末人事で役員を解任され、1~2年後には事実上会社を追われるだろう」とささやかれているそうです。大企業では38歳が出世できるか否かの分かれ道になっていると言います。こうした上司の成功と挫折の姿を目の前で見ている若手社員は「どの日本企業よりも猛烈に働く」社風を育んでいる一因になっているのです。
このため職探しでは日本より大企業志向が強かったのですが、しかし最近では、過熱する競争を敬遠する人たちも出てきているそうです。今の韓国企業は一時の日本企業の猛烈社員かのような感じですが、実際はそれ以上に猛烈な働きぶりで、そのため社内競争に敗れた社員の中にはストレスでノイローゼーになったり、そこまで行かなくても心身消耗を来たしている社員も多いと言います。しかし日本でも今はリストラが繰り返し行われたため、人員が極端に少なくなったことで、一人当たりの仕事量がかえって増え、同じように精神疾患を患っている社員が増えているところは、韓国と同じような傾向にあります。
そのため韓国でも、職探しは「神の職場」と呼ばれる地方自治体や公社を目指す人が増えているそうで、終身雇用で、給料も高く、残業や昇進競争が穏やかな公務員を目指す人が増えて来ている点も日本と似ています。例えば清掃担当者を募集したところ応募が殺到。それもそのはず勤務時間しだいでは年収が6000万ウォン(約480万円)を超え、区長を凌ぐ待遇なため、全国の区庁で人気を呼んでいるそうです。これなどは一時の日本の地方公務員で給食のおばさんやバスの運転手が年収で1000万円近くももらい、退職金なども5000万近くもらっていたと言う話が大きな反響を呼びましたが、そんな状況とよく似ています。
出世や就職での際限ない競争が過度のストレスを生んでいるのです。自殺志願者の電話相談というところも日本と同じで、韓国の昨年の自殺率は人口10万人人当たり31,2人で、ここ10年間で約2,3倍に膨らんでいるそうで、日本の19,7人を大幅に超えているのです。IMF危機は大企業が躍進し韓国の成長を引っ張る切っ掛けになったのですが、危機の温床となった経済構造や社会の不満はいまだくずぶり続けていると言います。
こうした中、おりしもブータンからワンチョク国王夫妻が来日しました。ブータンは人口70万人という小さな国ですが、この国には他の国にはない大きな特徴があり世界でも有名です。それは国民総幸福(GNH)を軸に国造りを進めていることです。それは「経済発展は大切だが、幸福になるために経済を発展させるのであり、経済発展が必ずしも幸福をもたらすのではないことを知るべきだ」と言うことです。小さな国の高い志を掲げている稀有な国であり、耳を傾けるに十分値する言葉だと思います。韓国や日本のように経済発展こそが国を幸福にする条件とばかりに経済発展に邁進している国がある一方で、ブータンのように経済発展だけが必ずしも幸福をもたらすものではないと言う国とではどちらが、精神的な先進国でしょう。
それが証拠にお金持ちの人が必ずしも全て幸福に暮らしているかと言えばそれは否であり、お金持ちであっても精神的な不幸な人もいると言うのはわかりますよね。ブータン国王はそれを言っているのだと思います。精神的な幸福感が伴わなければいくら経済的に裕福であっても必ずしも幸福とは言えないと言う事です。人間の社会は一人で生きているわけではなく、多くの人が支えあって生きているのであって、支え、支え合って生きている心を忘れた社会では絆は生まれないし、精神的な貧困が増えていき、最後は不満が爆発して社会構造の変革を求める運動へと発展していくのだと思います。
猛烈に働く事は「遊びのない車」のようなもので、かえって余裕がない(ハンドルの遊びがない)分、不安定な社会になってしまい、結局は崩壊へと向っていくのではないでしょうか?猛烈なだけでは持続可能な社会は続かないのです。