かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

箱館の歴史 高田屋嘉兵衛の時代

2010-08-06 | 箱館の歴史
高田屋嘉兵衛の略年表と蝦夷地のでき事

1769(明和 6) 1  淡路国都志本村(現、五色町)で生まれる。
1783(天明 3)15 〇大黒屋光太夫ら、アリューシャンのアムチトカ島に漂着。
         〇東日本 大飢饉発生(天明の大飢饉)-天明5
1786(天明 6)18 〇幕府の蝦夷地調査隊(青山俊造)に最上徳内が加わる。
1789(寛政 1)21 〇クナシリ・メナシの戦い。飛騨屋の横暴に蝦夷東部アイヌの蜂起
1790(寛政 2)22 兵庫・堺屋喜兵衛のもとで樽廻船の水主(かこ)となる。
1792(寛政 4)24 兵庫西出町で、ふさと所帯を持つ。
         〇ロシアの使節アダム・ラックスマン(大黒屋光太夫ら同行)、
         日本に通商を求める。(根室)
1793(寛政 5)25 〇ラックスマン、箱館に入港。松前で幕府・石川忠房らと会見。
         長崎入港の信牌を与える。
1795(寛政 7)27 和泉屋喜兵衛の沖船頭となる。
1796(寛政 8)28 辰悦丸・船持船頭として松前・箱館に来港。
         箱館・白鳥屋勝右衛門の世話になる。
1798(寛政10)30 箱館大町に支店を開く。弟金兵衛(24)、総支配人となる。
         松前藩の用達となる。
         〇幕府、蝦夷警備のため津軽藩士を箱館に駐在させる。
         〇幕府の蝦夷地調査隊、近藤重蔵・最上徳内ら択捉島調査。
         択捉島タンネモイに「大日本恵登呂府」の標柱を建てる。
1799(寛政11)31 〇東蝦夷地、仮上知(幕府直轄)となる。
         幕吏高橋三平・三橋藤右衛門と知り合う。
         近藤重蔵から、エトロフ航路開発を依頼さる。
         蝦夷地取締御用掛・松平忠明からエトロフ開発を命じられる。
1800(寛政12)32 「定御雇船頭」となる。エトロフ島で漁場十七ヵ所を開く。
         〇伊能忠敬、箱館に着く。蝦夷地測量。
1801(享和 1)33 名字帯刀を許される。姓を高田、屋号を高田屋とする。
         幕府、嘉兵衛の代人金兵衛(27)に箱館の湿地五万坪の埋立を
         許可する。
1804(文化 1)36 箱館の地先(船場町)に船作事場(造船所)を開く。
         〇ロシアの使節ニコライ・レザノフ(津太夫ら同行)、長崎へ来航
         信牌持参。通商を求めるが、翌年、幕府より拒絶される。
1805(文化 2)37 江戸と大坂に高田屋の支店を置く。
1806(文化 3)38 兵庫における蝦夷地御用取締取扱人(物産売捌方)となる。
         箱館大火。住民救済にあたる。
         〇ロシアのフォヴォストフらがサハリン・クシュンコタン攻撃。
1807(文化 4)39 〇幕府、全蝦夷地を上知(直轄)する。松前藩、奥州梁川に転封。
         〇ロシアのフォヴォストフらがエトロフ島で襲撃。
         〇箱館奉行が松前奉行と改められる。
         〇幕府、ロシア船討払令を出す。
1808(文化 5)40 〇フェートン号事件(長崎)
         〇幕府、蝦夷地警備を南部藩・津軽藩に命ず。
         〇間宮林蔵・松田伝十郎らの樺太調査。
1810(文化 7)42 エトロフ島漁場所請負人となる。(幕府直轄制の廃止)
1811(文化 8)43 〇ゴロヴニン一行、クナシリ島で捕まる。(ゴロヴニン事件)
1812(文化 9)44 嘉兵衛、クナシリ沖でロシア軍艦ディアナ号に捕まる。
       嘉兵衛と共の者5人、カムチャツカのペトロパブロフスクに連行される
       ディアナ号副艦長リコルドとの関係深まる。
1813(文化10)45 ゴロヴニン事件解決のため、ロシア・幕府双方の交渉を取り持つ
         ゴロヴニンの開放。事件、解決する。(注1)
1814(文化11)46 鎖国下、外国渡航は国禁だが、異例の沙汰で旧職に復す。
1816(文化13)48 〇ゴロヴニン『日本幽囚記録』、ロシアで刊行。
1818(文政 1)50 嘉兵衛、健康がすぐれず、郷里淡路に帰り養生する。
1819(文政 2)51 弟・金兵衛(45)、箱館の窮民救済。亀石の引き上げ。
1821(文政 4)53 〇東西蝦夷地。松前藩復領となる。(注2)
1822(文政 5)54 金兵衛(高田屋二代)(48)、松前藩用達。苗字帯刀を許される。
         箱館の店を高田屋本店とする。(支店は兵庫・大坂・江戸)
1824(文政 7)56 嘉兵衛、都志にて隠居。
1827(文政10)59 嘉兵衛、都志本村にて病没。
1828(文政11) 〇シーボルト事件(長崎)
1831(天保 2)  高田屋の持ち船、蝦夷サマニでロシアとの抜け荷(密貿易)疑惑事件
1833(天保 4)  抜け荷でなく、旗合わせの密約を咎められる。
         金兵衛(59)追放闕所(江戸・大坂・箱館からの追放、稼業差し止め)
         財産(動産の全部)没収となる。(注3)

         源左衛門(嘉市改め)(高田屋三代) 江戸末期
         船家業ができないため、倉庫業・貸家業・刻み昆布業を生業とする
1849(嘉永 2)   〇幕府、松前藩に新城築城を命じる。
1853(嘉永 6)   〇ロシア使節プチャーチン、長崎に来航。
1854(嘉永7 安政1)〇ペリー、日米和親条約調印。下田・箱館を開港。のち箱館来航
          〇幕府、箱館を松前藩から上知。箱館奉行を再置。
          〇プチャーチン、箱館来航。のち下田で、日露和親条約調印。
1858(安政 5)   〇日米修好通商条約の締結。
          〇日露修好通商条約の締結。(安政の5か国条約)
1859(安政 6)   箱館開港(安政6.6.2 西暦7月1日)

          篤太郎(高田屋四代) 明治前・中期 昆布業。
          高田屋の事跡保存につくす。

1911(明治44)   高田屋嘉兵衛、正五位を追贈さる。
1958(昭和33)   高田屋嘉兵衛銅像建立。(函館開港百年記念)
2009(平成21)   函館開港150周年。   

〇 高田屋金兵衛 1775(安永4)年-1846(弘化3)年
  嘉兵衛の四弟。高田屋の二代目。
〇 アダム・ラックスマン(ラクスマンとも) 1766年-1806年以降(?)
  ロシア最初の遣日使節
〇 ニコライ・レザノフ  1764年-1807年
  ロシアの第二次遣日使節
〇 ヴァーシリー・ゴロヴニン(ゴローニン、ゴローヴニン、ゴロウニンとも)
  1776年-1831年 ディアナ号艦長
  『日本幽囚記』(1816) 日本では文政8(1825)年に訳本が出た。
〇 ピョートル・リコルド  1776年-1855年
  ディアナ号副艦長

(注1) HP『函館市史(デジタル版)』の「ゴロウニン問題と高田屋嘉兵衛」に詳述。
(注2) 同上。「松前家復領と藩政」「復領後の箱館経済の動向」に詳述。
(注3) 同上。「高田屋の没落」に詳述。

参考 『高田屋嘉兵衛のすべて』 新人物往来社
    うち「高田屋嘉兵衛略年表」
    カタログ「箱館高田屋嘉兵衛資料館」内の略年譜 ほか
    『見る・読む・調べる 江戸時代年表』 小学館


  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。