lucinoのおしゃべり大好き

第2弾ブログを開設しました。サッカー、お笑い、F1、マラソン等を中心に第1弾より楽しい記事に出来たらと思います。

2015 弾丸ツアー plus one in winter  セカンドステージ その22

2015-07-07 00:00:00 | 宿泊付のDANGANツアー
今日は七夕ですね。願い事は・・・「15-16シーズンも無事にシャルケの話が書けますように」でしょうか(笑)
しかし、7月7日ってヤバいな・・・
旅をしてから、5か月経過しているって言うのに、完結していないとかwww





それでは本題に参りたいと思います






















2015 弾丸ツアー+1  in winter セカンドステージ その22 




























2月7日と8日1泊2日の一人旅に出かけた話を延々と語らせて頂きたいと思います
2日目の話になりますね
何かゴールは見えてきたけど、多分・・・1週間程度は残りかかりそうですね。








































昨日の続きですね。熊本県にやって参りまして、熊本城を観光している話を続けさせて頂きたいと思いますが・・・










































昨日はメインスポットである天守閣の話を終えて、熊本城シリーズの後半戦に入らせて頂きたいと思います









































次のスポットは、前回は地下を通りましたが・・・今回はその上に当たる










































本丸御殿を訪れたいと思います
本丸御殿は行政の場大名の生活空間として使用されていたみたいです

西南戦争の時に消失しましたが、約130年の時を経て2008年に復元を果たしました。
絵地図や古文書をもとに、現代技術の粋を集めて当時の姿が再現されているようですね。







































それでは、中に入って参りましょう!!
私が最初に注目したのは・・・






































大御台所ですね!!
この本丸御殿には大広間がありますが・・・その広間で宴席を開く食事を作っていた場所、台所を再現したようですね





































土間にはが4つ設置されていて・・・





































その上は吹き抜けとなっていますね
いろりの煙などが上手く排出されるような吹き抜けの構造になっているそうです







































そして・・・当時の食事が再現されたサンプル的なものがありましたね


万延元年(1860年11月、花畑屋敷で、熊本藩主細川慶順(1835-76)初入国の御祝御膳が行われました。

その初日、慶順およびその弟子(護久・護美)の3人に供された本膳料理二汁七菜です。

この後、御酒、御菓子等に続き、後御菓子には同藩の献上品だった朝鮮飴が供されました



・・・って、説明書きには書いてあったかな












































私は食べなかったですけど・・・予約をすれば、この本丸御殿でこの料理を食べることが出来るようです
(おひとり様3,000円だそうですね)







































続いて、大広間を歩いて参りたいと思います
見事な絨毯ですね

まぁ・・・この絨毯は畳を守るためのものって、どこかのブログで見ましたね。




































この広間の外には露地と呼ばれるものありました




































防火用の水槽ですね

先にある小さな堀的なものが、それに当たります。









































この大広間の周りには多くの部屋があり、素晴らしい絵がたくさんありますが・・・
この手のものは大抵が撮影禁止ですよね








































フラッシュでの撮影禁止
・・・ってことは










































フラッシュを使わなかったら撮影可能ってことか!?何て言うサービスの良さだ!!
ブロガー思いの熊本城ですねありがとうございます

城によっては、こう言う絵はもちろんのこと・・・内部が全面的に禁止って言う城もあるぐらいなのに・・・嬉しいですよね。
こう言う絵を撮影させてくれる城ってなかなかないですよねこんな名城なら尚更だと思いますが、サービスいいですね












































嬉しさのあまり、この大広間を動画で撮ってしまいましたが(笑)
その先にあったのが・・・




































昭君の間!!
壁や襖などには中国の前漢の時代の話で、匈奴
(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれています









































こんな素晴らしい絵が撮影出来る熊本城って、やっぱりすごい!!

他の寺院や城ならばフラッシュどころか、撮影そのものが禁止される方が多いですしね。
この気前の良さに感動しています(笑)










































この部屋は御殿の中でも最も格式のある部屋で、藩主の部屋となっていたようですが・・・
ここの初代藩主、加藤清正はもともと豊臣秀吉に対して忠義を尽くしていた秀吉子飼いの名将


一説によれば豊臣家有事の際には秀吉の子である豊臣秀頼密かに、この部屋でかくまうつもりだったって話があります!!



部屋には鶯張りの廊下や外へと通じる隠し通路があるみたいですしね。
表面上は天下人の徳川家康に恭順しながらも、秀吉への恩を忘れない清正の忠義を示しているのだといいますね。
そう言った説から、昭君の間は王「昭君(しょうくん)」の絵がある部屋としつつも・・・実際は「将軍(しょうぐん)の間」を意味するのだと言われますね
(何でも、昔は濁点を使わなかったらしいので・・・どちらも平仮名だと「しょうくん」になるようですしね












































・・・と、言った感じで熊本城第二の観光スポットと思われる本丸御殿を後にしたいと思います
本丸御殿の手前には大きな銀杏の木がありますが・・・これも伝説があるようです










































清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時にこの城で兵乱が起こるだろう。」とつぶやいたという言い伝えがありますね
明治時代、清正が植えた銀杏の木天守とほぼ同じ高さになった時には



明治10年に西南戦争が起こり、熊本城下が戦場となりました!!




本当に兵乱が起きてしまったのですね
あの西郷隆盛が九州で起こした兵乱のことですね。西郷どんは官軍と熊本城で攻防を繰り広げて、この城の天守閣焼失してしまったようです
地元の人は「清正公(せいしょこ)さんの城が燃えている…」って悲しんだようです


明治になっても、加藤清正って慕われていたのですね



この熊本城・・・清正の子の代で改易になり、加藤家から細川家に城主が入れ替わりました
加藤家が熊本城を守っていたのは僅か30年で200年以上あった江戸時代の大半は細川家熊本の歴史の大半を占めていたのですけどね
ちなみに、西南戦争で官軍が立てこもる熊本城を攻撃していた西郷隆盛は攻めきることが出来なかったようですが
西郷どんは「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公負けたとでごわす」って、270年前にこの城を築いた加藤清正に負けたって言っていたようです
それぐらい、加藤清正は尊敬されているのでしょうし・・・清正が築いた熊本城の見事さに参ったって思ったのでしょうね。






それでは今日はこれまでにしたいと思います。
次回は、熊本城シリーズ最終話を書かせて頂きたいと思います



それでは今日はこの辺で失礼させて頂きます
本日もご覧いただきまして、誠にありがとうございました